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砺波平野から白山山麓を経て福井平野へ (2018年・夏の終わりの飛彈北陸旅行4)

旅行日:平成30年8月30日~9月1日④

最初の記事 稲核風穴から安房トンネルを抜けて旧丹生川村へ
前の記事 白川郷から庄川に沿って砺波平野へ
 夏の終わりの飛彈北陸旅行第二日目。砺波市郊外にある高台のホテルで朝を迎えた。
 テレビを点けると、能登半島方面が大雨に見舞われていることを報じており、富山県内にも大雨警報が出ている。しかし、カーテンの向こうは薄日が射し、僅かだが青空も見えている。

部屋から緩やかに傾斜した庄川扇状地(砺波平野)を眺める
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 朝風呂を浴びてからバイキング形式の朝食。露天風呂は悪天候で閉鎖されていた。
 9時頃に出発し、まずは庄川の河岸段丘上を北へ。和田川ダム脇の丘陵は神保長職の増山城址だという。

山城への入り口
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 段丘の上には「宮森新」、「今泉新」のような「○○新」という名の集落が点在している。「○○新」は北陸地方に多い新田開発地の地名で、「○○新田」に相当する。「○○開発(かいほつ)」というのも北陸地方特有の開墾地名だ。
 きっと高台にも用水が引けるようになってから開発されたのだろう。

段丘上だが水田が広がる
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 中田橋で庄川を渡って、南へ。南北にのびる道から右を見ると、散村の母屋が大体こちら側を向いているのが見える。東向きの妻入りなので、アズマダチと呼ばれている。水田の区劃とやや向きがずれているが、これは圃場整備事業以前から変わっていないのだろう。
 そんな建物を見るため、砺波市の出町近くにある「となみ散居村ミュージアム」を訪れた。
 保存されている建物は、大正4年(1915)に建てられたアズマダチの民家を移築したものだ。建坪67坪なので、非常に大きな物件だ。

復元されたアズマダチ民家
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 敷地内にはもう一つのアズマダチがあって、こちらも大正後期の建築を移築したものである。が、内部は大きくリノベーションし、伝統建築における現代的な生活を提案(?)している。
 1階が80坪、2階が40坪という巨大な邸宅で、部屋数も多い。ダイニングの席数も多く、大家族が住むことを想定しているようだ。核家族が住むには広すぎるが、それはもう現代的な生活と矛盾していないだろうか…。
 それはともあれ、住宅展示場を見学するようで楽しかった。

玄関を回転扉に、格子を窓ガラスに変えたアズマダチ
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梁を残した吹き抜け
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煖炉と長いダイニングテーブル
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 ミュージアム内には「情報館」と「民具館」もあり、前者では庄川扇状地や散村についての展示が充実していた。学生時代、この地域の研究をされている先生の授業を聞いたこともあり、懐かしいワードを久しぶりに見た。
 後者の内部は見学しなかったが、建物は出町小学校の校舎の一部を移築したものだという。

校舎を転用した展示館
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 南砺スーパー農道を南下。下吉江というところ(JR城端線東石黒駅近く)で、一面に黄色い花が咲いているのを見つけてクルマを停めた。
 マメが生っていることを手掛かりに色々調べたところ、この植物はクロタラリアらしい。マメを栽培している訳ではなく、こうして植えておくと、作物の根に寄生して根瘤病を引き起こす線虫の発生が抑えられるという。

黄色い花を咲かせたクロタラリア
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 城端まで来ると砺波平野も終わりだ。川に沿って傾斜が険しくなり、水田は果樹園や畑に変わる。城端ダム、臼中ダム、刀利ダムに相次いで寄ってダムカードを入手する。

桜ケ池の堰堤から。高岡市方面は黒い雲
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アーチ式の刀利ダム
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 刀利ダムから2キロほどで峠を越え、石川県金沢市に入る。金沢市街を流れる浅野川の上流域だ。
 市街地を避けて山側環状に折れようとすると、土砂降りになった。涌波ICの3つ目トンネル(上下本線のトンネルの上に側道のトンネルが重なる)が面白かったが、トンネルを抜けるとたちまち視界を閉ざすほどの降り様だ。

 内川ダム、新内川ダムもこなし、野々市市へ。金沢工業大学近くにある「鬍鬚張魯肉飯」で昼食。台北の街角で見掛けたかの地のチェーン店だが、日本では石川県に2店舗だけあるのだ。
 私が註文したのはご飯に肉皿、ドリンク、小皿のついた「お肉セット」850円。魯肉飯(大)に排骨、タピオカミルクティーを選んだ。台湾で食べるものよりも八角が利いておらず、日本人好みに調整されているようだったが、家の近所に欲しいくらいだ。今度は北鉄電車で来て、ビールを飲もう。
 ちなみに、台湾まぜそばと魯肉飯を組み合わせた日台コラボレーションセットもあった。

石川県で台湾料理の昼食
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 野々市は北国街道の宿場町であったが、官設北陸線のルートから外れてしまった(北陸線野々市駅は市街から離れている)。意図せず通りかかった街道沿いには古そうな建物も多く、一度ゆっくり歩いてみたいものだ。

 野々市からは手取川扇状地の東縁を南下。北鉄電車の石川線が並行している。
 扇状地を放射状に広がっていた手取川や国道、鉄道がひとまとめになると谷口集落の鶴来があり、そこから谷間に一歩入ったところに加賀国一宮の白山比咩(しらやまひめ)神社が祀られている。

神門
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 白山山頂の奧宮に対して、こちらは本宮と称する。白山は養老元年(717)に泰澄が開山し、白山信仰が広まった。
 神社ははじめ手取川右岸の安久濤ケ淵にあったが、文明12年(1480)に火災に遭い、現社地に再建された。白山本宮から改称されたのは神仏分離の進む明治4年のことであるが、「延喜式」神明帳の石川郡の項に「白山比咩神社」がある。

外拝殿。本殿は工事中だった
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 白山比咩神社からさらに南へ。山間部に入ったが、手取川は河岸段丘を造っているので、庄川中流域のような窮屈さはない。国道もよく整備されていて、快適に走れる。
 周囲の山が険しさを増してくると、瀬戸というところで国道が二手に岐かれる。片方は福井県の勝山市へ、もう片方は白山白川郷ホワイトロード(旧白山スーパー林道)を介して岐阜県白川村へ通じている。どちらも走ってみたい道だが、今回は手取川ダムと道の駅瀬女に寄って引き返す。再び驟雨に見舞われる。

 戻りは道を変えようと県道を辿った。対山橋で手取川を渡ったが、この辺りに北鉄金名線の白山下駅があったらしい。大正時代に開通し、昭和62年に廃線になっているが、こんなところまで鉄道が通じていたとは。

山間に河岸段丘を造って流れる手取川
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実りの季節。田んぼから靄が湧き立つ
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 支流の大日川が合する釜清水まで下り、大日川ダムを経て鉱山町の小松市尾小屋へ。気になるが、16時を過ぎたのでパスする。

 国道8号小松バイパスに出ると、これまでの山岳路とは比べ物にならない快走路だ。牛ノ谷峠を越えて福井県に入り、坂井丘陵フルーツラインを経て、県道29号を南下。晴れていれば、東尋坊か三国の辺りで夕陽を見たかった。
 ガソリンが心許なくなってきたので、あわら市内で給油しておく。単価は144円だったので、それほど高くない。前半戦の平均燃費は23.1キロ/リットル(満タン法)であった。

 18時近くになり、夕方のラッシュが始まったので、平和堂系列のショッピングセンターに一時退避。店を出てからも混雑はしていたが、2車線の右側だけ流れており、不安にながらも享受させてもらった。福井市街に向かって左折するクルマが多いのかもしれない。
 19:05に福井市郊外のホテルに到着。第2日目の走行距離は244.4キロ、昨日からの累計は743.3キロに達した。
 雨で気勢が上がらず、「ここも見ない、ここも寄らない」ばかりの締まりのない行程になってしまった。

次の記事 織田・劒神社と今庄宿
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