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飛彈古川を歩く (2018年・夏の終わりの飛彈北陸旅行2)

旅行日:平成30年8月30日~9月1日②

前の記事 稲核風穴から安房トンネルを抜けて旧丹生川村へ
 荒城川沿いを下って古川盆地が開けると、高山市(旧国府町)から飛彈市(旧古川町)に入った。
 古川の街を歩いてみたいので、飛彈古川駅裏手の広い駐車場にクルマを停めた。雨がぱらつきだしたので、傘と最低限の荷物を持って出掛ける。私は駅のある街歩きは鉄道の担当だと思っているが、駐車場さえあればクルマの方が便利になってしまっている。

 JR高山線は7月の豪雨で一部区間が不通になっており、駅前には代行バスが発着していた。

なまこ壁風のデザインの飛彈古川駅
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 古川の街は天正年間(1573-92)に金森可重によって整備された。可重は三木氏を滅ぼして飛彈国を平定、領国化した金森長近の養子で、鍋山城(高山市)の支城として増島城をこの地に築いた。
 江戸時代に入ってからも高山藩3.8万石の金森氏の支配が続いたが、元和の一国一城令によって増島城は廃城となった。その後は「古川旅館」という金森氏の別邸として利用されたというが、元禄5年(1692)に出羽国上山(山形県)に移封となり、高山城ともども破却された。

 街にある円光寺の山門は増島城から移築されたものだという。

円光寺の山門
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 この円光寺は永正11年(1514)に正祐が宇津江村(旧国府町)に開設した道場「垣株堂」を起こりとして、元和7年(1621)に当地に移ってきた。本堂は寛文7年(1667)、庫裡は元禄4年(1692)の建立。

円光寺本堂
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 円光寺の裏手を川が流れている。
 この川は瀬戸川、背戸川といい、江戸時代の初めに築かれた。増島城から新しく開いた田畑に水を送るためのものだったという。丁度、街の裏手を流れていて、「背戸」という名前はここから来ているそうだ。白壁の蔵が川沿いに連なり、コイが泳ぐ景観は古川の街のシンボルになっている。

円光寺と壱之町の間を流れる瀬戸川
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白壁の土蔵を背景に大きなコイが泳ぐ
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 古川の中心市街地には3つの町があり、それぞれが同一の通りに面した両側町となっている。通りは宮川(と荒城川)と瀬戸川に挟まれていて、かつ並行している。
 壱之町は瀬戸川に近く、土蔵を持つ商家が多い。造り酒屋も2軒ある。
 連子格子の渡辺酒造を覗き、日本酒を買った。創業は享保17年(1732)で、明治3年から酒造りを始めたという。住宅兼店舗は江戸時代後期の建築で、明治37年(1904)に当地に移築された。運転があるので試飲ができないのが残念だ。

渡辺酒造を営む渡邉家
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ヘチマで壁面緑化した和ろうそく店
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 古川の町は明治37年に大火に遭っている。円光寺などは焼け残ったというが、市街地の建物はそれ以後に再建されたものが多い。
 もう一つの酒蔵である蒲酒造所も明治39年の建築。創業は宝永元年(1704)だという。通りに沿って連子格子が長く続く。

蒲酒造場
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建物の間に土塀を入れた防火建築
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両側町のため、背中合わせの家と家は町が異なる
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 荒城川に架かる今宮橋の袂に鎮座するのは真宗寺。
 古川には街を囲うように3つの寺があり、この真宗寺のほかは先ほどの円光寺と本光寺だ。いずれも浄土真宗本願寺派に属し、金森氏の都市計画に伴って古川に移転してきたという由緒を持つ。金森氏は移転に際して材木や板材を寄進している。
 この真宗寺は白川郷(高山市、旧荘川村)の白川照蓮寺の明誓の弟子である祐念が大野郡萩町村(白川村)に建立した。

真宗寺本堂
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 弐之町では古色蒼然とした洋館を見つけた。右書きで「院療合河」とあることから、病院であったのだろう。建築された昭和初期はハイカラだったのだろうが、長い年月を経て古川の街並みに調和している。
 向かいに河合医院というのがあったから、今はこちらで診療しているのだろう。

街並みに調和した洋館
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 荒城川に突き当たると、古そうなアーチ橋が架かっていた。戦前のものかと思ったが、銘板には「昭和25年(1950) 岐阜縣建造」と記されていた。 橋の名は霞橋。

アーチ橋の霞橋
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対岸には料亭旅館の八ツ三館
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 霞橋の袂には前述の三寺の一つである本光寺が建つ。
 この寺は白川蓮正寺の明心に帰依した教了が天文元年(1532)に古川に編んだ草庵の流れを汲んでいる。本堂は明治37年の大火で焼失後、再建された。岐阜県飛彈地域では最大の木造建築であるという。
 これら3つの寺に参詣する行事が毎年1月に行われるという。縁結びを謳っているが、これは明治・大正期に長野県の製糸工場から帰省した娘たちが着飾って三寺に参り、それが縁で嫁にいく者が多かったことに由来するという。随分と即物的だが、悪い感じはしない。

本光寺の山門と本堂
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壱之町の通りと駅前通りの交点。クラシカルな食事処が立地
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 踏切を渡り、駐車場に戻った。西へ向かってから富山県に入るため、清見村を目指す。猪臥山トンネルを抜けるのが近いが、高山ICから中部縦貫道の高山清見道路を経由した。

次の記事 白川郷から庄川に沿って砺波平野へ
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