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浜名湖巡検

旅行日:平成22年11月8~10日
執筆:平成30年8月

前の記事 飯田線で伊那谷から紅葉天竜峡へ
 10時頃に東海道線の新所原駅で集合し、2泊3日の巡検がスタート。参加者は担当の教授以下、私の同級生2人と後輩4人の学生7人だったと思います。

■第一日目(11月8日)
 まずは新所原10:22発の天竜浜名湖鉄道線(天浜線)で今夜の宿泊地でもある三ケ日へ移動。この鉄道は国鉄二俣線を転換した第三セクター鉄道です。国鉄時代は一部列車が豊橋まで直通していたため、東海道線を跨ぐ立体交差が残っています。

豊橋方の立体交差の跡
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天浜線のディーゼルカー
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三ケ日駅はハンバーガーショップを併設
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 午前中は旧三ケ日町役場にあたる三ケ日地域自治センターを訪れ、地域計画課の方から三ケ日地区の概要についてのお話を伺いました。
 三ケ日といえばミカンが有名ですが、その作付面積は昭和30年の720ヘクタールから、国有林の払下げを背景に昭和50年には1,710ヘクタールへと大幅に増加し、その後は頭打ちになっているそうです。果樹園の増加は肥料・農薬、そして土砂の浜名湖への流入をもたらしています。
 ミカン以外では畜産が盛んで、特にウシは“三ケ日牛”のブランドで売り出しているそうです。

三ケ日地域自治センターにあった三ケ日ジャンクション(当時未開通)の模型
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釣橋川・日比沢川でのアユ釣り
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 昼食を挟んで、午後はJA三ケ日の販売指導課の方のお話を伺いました。ミカン農家は管内に約1,300軒あり、そのうち860人が出荷組合に所属しているそうです。三ケ日ミカンの箱に書いてある「ミカちゃんマーク」はJAでの共同選果を通したものだけが使用可能とのこと。そして、この日が今季の初選果でした。
 傾斜地のミカン畑を歩いてから宿舎の旅館に入りました。

傾斜地のミカン畑
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収穫間近の果実
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夕食はこんな感じのラインナップ
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宿泊先はあまり泊まる機会のない旅館っぽい旅館
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■第二日目(11月9日)
 二日目は小型バスをチャーターして浜名湖周辺を巡ります。きょうは並行して水質調査も行うので、朝は8:30に一旦徒歩で出掛け、三ケ日の街が面している猪鼻湖(浜名湖の内湖)の湖岸まで行きました。

三ケ日の街
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猪鼻湖
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 10時頃にバスが迎えに来て、まずは街の東側の津々崎へ。
 そして猪鼻湖をぐるりと回り込んで、浜名湖との接続部にあたる猪鼻瀬戸を見に行きました。瀬戸の幅は80メートルほどしかなく、風光明媚ではありますが、湖水の入れ替えが難しいため、猪鼻湖の水質汚染の原因になっているそうです。

入り江のような猪鼻瀬戸
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瀬戸に架かる吊り橋の瀬戸橋は昭和30年の竣工
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瀬戸橋の袂には変則表示の信号機
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 寸座峠を越え、国道382号を引佐細江(細江湖)という入江沿いに旧細江町へ。国道382号はかつての姫街道をトレースしています。姫街道は見附宿で東海道から分岐し、浜名湖の北岸を回って三遠の国境である本坂峠を越え、御油宿に到る脇往還でした。
 細江町の気賀は江戸時代に、東海道の新居関所に相当する関所が置かれた地でした。
 かつての施設は失われましたが、一連の施設が復元されています。

物々しい入り口
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復元された関所の建物
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 昼食は国民宿舎奥浜名湖のレストランにて。引佐細江を見下ろす高台にあり、眺望は上々でした。

昼食はまたソースかつ丼を食べた模様
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気賀の街と引佐細江
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三方原の向こうに浜松のアクトタワーを望む
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 午後は引佐細江を大きく回り込み、舘山寺温泉へ。東名高速が浜名湖を渡る場所が浜名湖と引佐細江の間の狭窄部で、幅は550メートルほど。また、舘山寺温泉の裏手には内浦という小さな内湖もあり、湖岸線は複雑に入り込んでいます。

浜名湖と引佐細江(東名高速の赤い橋より向こう側)
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内浦
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 舘山寺からは浜名湖と内湖の庄内湖を隔てる半島を南下。この半島は浜名湖の形を複雑なものにしていますが、周辺は干拓が進み、直線的な湖岸ばかりです。そうした場所の一つである干拓地上の浜名湖ガーデンパークに入場。「浜名湖花博2004」が開かれた場所だそうです。
 園内には展望塔があり、約50メートルの高さから浜名湖やその周辺を一望にしました。

すっきりしたデザインの展望塔
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庄内湖にははまゆう大橋が架かる
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弁天島と浜名大橋
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 最後は湖西市にある東海道の新居関所を訪問。関所建築としては往時のものが唯一現存しています。
 現存する建物は安政東海地震(嘉永7年・1854)で被害を受け、翌安政元年に改築されたものです。関所が廃止されたのは改築から14年後の明治2年(1869)のことで、おそらくまた建物が新しかったために転用がきいたのでしょう。小学校、町役場として戦後まで利用されていたそうです。

新居関所
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 第二日目の巡検を終え、弁天島温泉のホテルに入ったのは16時半過ぎ。晩秋の早い陽が沈むところでした。
 夕食はホテルのレストランで摂ったはずですが、内容は憶えていません。翌日は参加者の一人であるとよしの誕生日だったので、ちょっとした誕生会を開催。ただ、近くのコンビニにはケーキがなく、やむを得ずロールちゃんで代用されたのでした。

眺めの良い部屋から。夕陽はギリギリで撮れず
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夜の景色。カメラの性能の限界を突破
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■第三日目(11月10日)
 最終日は6時少し前に目を覚ましたので、一人で朝の散歩へ。国道1号を歩いて中浜名橋、西浜名橋を渡り、新居町駅まで。1時間ほどブラブラして、新居町7:08発の列車で弁天島まで戻りました。

アーチ橋を連続させた中浜名橋
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東海道線の旧橋台
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西浜名橋からの朝陽
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 ホテルの部屋からは浜名湖と遠州灘が繋がる今切口が良く見えます。縄文海進後、浜名湖と遠州灘は砂洲によって隔てられ、淡水湖である浜名湖の湖水は浜名川によって海に流れていました。
 ところが、明応7年(1498)の地震によって津波が発生し、砂洲を崩して浜名湖と遠州灘が繋がり、浜名湖は汽水湖となりました。「今切」という地名は「今切れた」という意味でつけられたと言われています。

ホテルの部屋から、朝の今切
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 9時にはホテルを発ち、浜名湖を埋め立てた渚園にある浜名湖体験学習施設「ウォット」を訪問。
 施設を見学した後は、施設を運営する静岡県水産技術研究所の方から浜名湖の漁業を中心にしたお話を伺いました。

浜名湖体験学習施設「ウォット」
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筒から顔を出したウナギ
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 弁天島に戻ったのち、弁天橋を渡って東の舞阪へ。
 江戸時代の東海道は舞阪宿と新居宿の間が船便で、浜名湖の今切を渡っていました。舞阪宿の西側には渡船場があり、主に幕府役人や大名が利用した北雁木(がんげ)の遺構が残っています。

渡船場の常夜灯
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舞阪漁港
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 あまり店などがないエリアだったので、住宅の1階の小さなお好み焼き屋で昼食。
 午後は舞阪郷土資料館と図書館を訪れました。

江戸時代の舞阪宿のジオラマ
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浜名バイパスをくぐり、遠州灘に面した砂浜に出た
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雲間からの陽が今切口に射し込む
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 これにて巡検は終了。15時頃に弁天島駅で解散になり、東海道線の普通列車を乗り継いで帰りました。しかし、記録が一切ないため、どのような乗り継ぎで帰ったのかはもう分かりません。横浜市内までの乗車券には横浜駅の無効印が捺されているので、珍しく横浜まで乗り通したようです。
 仮に弁天島15:27発の掛川ゆきに乗ったとすると、浜松と沼津だけで乗り継ぐだけで横浜着は19:57です。
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