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鴻之舞金山跡と旧上藻別駅逓 (雨降り・夏の北海道2018・6)

旅行日:平成30年7月2~5日⑥

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 夏の北海道旅行、第三日目。
 夜半に雨が強く降ったようだ。ホテルの部屋のカーテンを開くと、窓越しにも雨が降っているのが判る。停滞する梅雨前線のせいで、きのうは特に道央で大雨となり、空知管内で石狩川と支流の雨竜川が氾濫したという。留萌管内での土砂災害や、上川管内での道路寸断などもニュースで繰り返し報じられていた。

 8時過ぎにホテルを出ると、非常に寒い。8時の時点の気温は10.3度しかない。一応と思ってキャリーケースに詰め込んできたウインドブレーカーが活躍する。まさか7月に着ることになるとは思わなかった。
 まずは山間の鴻之舞金山に向かう。単純な往復では面白くないので、一旦渚滑まで行き、中渚滑と上渚滑のあいだから道道553号を辿った。

上渚滑の29線にて、まだ背の低いトウモロコシ畑
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 鴻之舞金山は藻鼈川の上流にあった。
 金鉱が発見されたのは大正5年(1916)のことで、翌年に住友が買い取り、本格的な採掘がスタートした。地名はアイヌ語の「ク・アリ・イ」(仕掛け弓のあるところ)に縁起の良い漢字をあてて名付けたそうだ。
 金の埋蔵量は佐渡金山(新潟県)、菱刈金山(鹿児島県)に次ぐ国内3位とされ、最盛期の昭和29年には年2.97トンもの金を生産した。しかし、その後は金の品位が低下し、昭和48年(1973)に閉山した。

 私は道道305号でかつて鉱山街があったところを通り抜け、下りながら遺構を見ていくことにした。折り返し地点はきのう遠軽から滝上に行く途中に通った交差点の先である。
 鴻之舞の上流側に位置する金竜町・旭町は社宅がびっしりと建ち並んでいたというが、今は森に還っている。街があったことを伝えるのは一枚の立て札だけだ。

鴻之舞金竜町
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鴻之舞旭町
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 鴻之舞地区には昭和17年に約1.5万人の人が住んでいたという。現在はゼロである。
 閉山後に住友は施設の大半を取り壊したため、建造物は少ない。その中で目を引くのが、大煙突だろう。この煙突は昭和7、8年頃に建てられ、精錬所の発電などに使用された。

数少ない遺構の中でシンボル的存在の大煙突
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 元町は鴻之舞の中心地で、映画館の「恩栄館」をはじめ、市役所の支所や病院、小中学校、郵便局などの公共施設が集まっていた。今やそんな市街地の面影は一切なく、人よりもシカやクマが出てきそうな雰囲気だ。小雨の中、鳥のさえずりが響く。

取り壊しを免れた住友の紋が入った蔵
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鴻之舞元町。中学校の正門に通じていた道
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学校への橋が残るが、立ち入り禁止
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 小学校に隣接していた鴻恩寺の跡地には、慰霊碑が立つ。金山で犠牲になった240人を祀っている。ここが街の中であったはとても思えない。
 夏の今は鬱蒼と茂った森に隠れているだけで、遺構はたくさん隠れているのかもしれない。

森の中に立つ慰霊碑
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鴻之舞住吉町。門柱だけが残る清明寮の跡
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 大煙突の他の遺構としては、道道を跨ぐトラス橋の存在感が大きい。この橋は鴻紋軌道のもので、架け替えた上で水道設備に転用されている。
 鴻紋軌道は鉄道省名寄線紋別駅との接続を目的に、昭和18年に開通した。それ以前は石北線の丸瀬布に通じる索道が主な輸送手段であった。
 しかし、戦況の悪化によって金は不急不要とされ、鴻之舞金山は休山させられてしまう。戦後は昭和24年に操業再開するが、鴻紋軌道は昭和25年に廃止された。製錬後の金や銀の量は僅かであるため、わざわざ鉄道で輸送する必要がなかったというのが廃止の理由らしい。

道道を跨ぐ長大なトラス橋
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トラス橋を見上げる
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 無人の地と化した鴻之舞であるが、わずかに住友鉱山が操業を続けている。操業停止から半世紀近くが経過してもなお、鉱毒防止の浄化は欠かせないそうだ。また、採石が行われている場所もあった。

増水した藻瞥川が軌道跡の橋脚を洗う
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 かつての市街地の下流には沈殿池が残っているが、高台にあるため見られなかった。倶知安内坑の跡を過ぎると、鴻之舞から上藻別に入る。川の名前は鼈甲の「鼈」だが、字(内地の大字に相当)は「別」を使っている。
 上藻別は駅逓所が置かれていた地で、当時の建物が現存している。駅逓所は開拓時代の北海道において、宿泊や通信(郵便)を取り扱う施設で、最盛期には600ケ所に置かれていた。鉄道や道路の整備に合わせて減少し、制度としても昭和23年に廃止されている。
 上藻別駅逓所が設置されたのは大正15年とかなり遅い部類に入り、昭和15年まで存続した。

 建物は元駅逓取扱人が経営する旅館、住宅に転用されたのち、現在は資料館になっている。鴻之舞金山で働いていたという昭和5年生まれのおじいさんが色々解説してくれて、当時のエピソードなどをまとめた冊子まで下さった。7月だというのに煖房をつけるほど、きょうは寒い。

旧上藻別駅逓所。正面部分は昭和9年の増築
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鴻之舞桜町。街の跡に植林が行われていた
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 帰りは藻鼈川沿いを素直に下り、元紋別を経て紋別に戻った。

次の記事 紋別→湧別→佐呂間→仁頃→北見市
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