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高岡の街を歩きまわる(前) 高岡古城公園、大佛寺、山町筋、金屋町 (秋の北陸、歴史の旅9)

旅行日:平成26年10月(14~)15~17日⑨

最初の記事 三河から越前へ~日本の東西南北の境目をゆく
前の記事 城端寺内町を散策する
 北陸の旅、第三日目。城端を往復し、11時過ぎに高岡に戻ってきました。この後夕方までは高岡市街を散策することになっています。
 まずは駅から1キロ弱離れた高岡古城公園へ。駅から続く標高10メートルほどの段丘の先に城はありました。桜馬場通りという名の道ですが、桜木は失われています。
 「古城」というのは高岡城が慶長19年(1604)には廃城になったことにちなむ名称です。そもそも高岡の地に城が築かれたのは慶長14年であり、城下町時代はわずか5年にすぎませんでした。

 天正13年(1585)に羽柴秀吉が富山城の佐々成政を降伏させると、越中西部の3郡(射水・礪波・婦負郡)は前田利勝(利長)に与えられました。利勝は前田利家の長子です。二上山南麓の守山城を本拠としましたが、慶長2年(1597)に富山城に移りました。
 前田利長は金沢藩主についたのち、慶長10年に家督を利常(利家の四男)に譲り、その4年後に隠居城として高岡城を築きました。
 慶長19年に利長が歿すると武士は金沢に戻り、街は町人地となりました。それから400年が経過しているため、建物などはありませんが、濠などはよく残っています。

高岡城址の深い内濠
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 古城公園には射水神社や市立博物館が立地。射水神社は越中国の一宮で、二上山の麓から明治の初めに当地に遷座してきました。なお、越中には一宮が4つもあるそうです。社殿は明治33年の高岡大火で焼失し、明治35年の再建。

射水神社
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市立博物館
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 大手町の大佛寺には高岡大仏が鎮座しています。大佛寺の創建時期は明らかではありませんが、江戸時代から大仏を祀る寺院があったそうです。先代の大仏は木造であり、前述の高岡大火の折に焼失し、再建の機運が高まりました。
 高岡は銅器の製造が盛んであることから今度は青銅製にして当地で鋳造されました。30年の年月をかけて昭和8年に完成しました。高さは15.85メートル(像自体は7.43メートル)とのこと。

高岡大仏
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 路面電車の万葉線が通る国道156号を横切り、並行する山町筋へ。この道は近江国の中仙道鳥居本宿と越後国直江津を結ぶ北国(北陸)街道にあたっています。前田利長の時代に高岡の街に引き込まれた街道は、右に左にと曲がることを繰り返すので、追うのは難しくなっています。
 なお、山町筋の「山町」は町の名前ではなく、高岡御山車祭りの山車を保有する10の町の総称です。
 明治の大火はこの地区にも及び、その被害の教訓から多くの建物が防火建築の土蔵造りで再建されました。そのうち42棟が現存し、重要伝統的建築物群保存地区に指定されています。

錦糸商だった旧室崎家の「高岡市土蔵造りのまち資料館」 (小馬出町)
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 重厚かつ豪壮な菅野家住宅も明治33年の再建。江戸時代は廻船問屋を営み、明治になると高岡銀行や高岡電灯を創業するなど、街の有力者であったそうです。
 山町筋から一本入ったところにある、2つの半円窓が特徴的な店舗は井波屋仏壇店。明治38年の建築で、国の登録有形文化財指定を受けています。

菅野家住宅 (木舟町)
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筏井家住宅 (木舟町)
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井波屋仏壇店 (守山町)
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 土蔵造りが多い山町筋にあって、シンボル的な存在なのが富山銀行本店でしょう。県名を冠した銀行ですが、県庁所在地の富山市ではなく高岡市に本店を構えています。
 この建物は大正3年(1914)に高岡共立銀行の本店として建てられました。高岡共立銀行は現在の北陸銀行の前身の一つで、昭和39年まではこの建物が高岡支店として使用されていました。建物の設計は東京帝大で辰野金吾に学んだ田辺淳吉です。

レンガ造りの富山銀行 (守山町)
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山町筋の街並み
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佐野家住宅 (御馬出町)
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 北西に進むと千保川を渡ります。コンクリートに固められた都市河川の趣きですが、中世には庄川の本流であったとされる川です。
 天正13年(1585)の天正大地震後の際に現在の庄川が本流となりましたが、千保川も分流であり続け、高岡への舟運に活用されていました。

千保川
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 千保川の左岸は金屋町。名前の通り、金物の鋳造を行う職人町です。
 高岡における銅の製造は、高岡城が築かれたばかりの慶長15年に前田利長が礪波郡西部金屋村の鋳物師を移住させたことに始まります。千保川沿いの地区に拝領地を与え、金沢藩の保護の下で鍋・釜・鋤・鍬などが製造されました。
 明治維新後は特権を失いますが、花瓶や火鉢に象嵌や着色を行うことで芸術的な価値を持たせ、海外に輸出することで利益を上げました。高岡市は現在も美術銅器のシェアが高く、ブロンズ像などの製造が行われているそうです。

 金屋町も重要伝統的建造物群保存地区に指定されていますが、修景のための工事が行われていて、雑然としていました。

金屋町の街並み
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キューポラ(溶解炉)と煙突が残る旧南部鋳造所
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塀の上にネコ
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 北陸線の線路をくぐり、南側の清水町へ。
 水道公園には昭和6年(1931)に築かれた配水塔が保存されています。

清水町の旧配水塔
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 このあとは瑞龍寺へ。長くなるので、高岡編は後編に続きます。

次の記事 高岡の街を歩きまわる(後) 瑞龍寺と長い帰路の記
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