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越中国府の伏木から氷見へ (秋の北陸、歴史の旅7)

旅行日:平成26年10月(14~)15~17日⑦

最初の記事 三河から越前へ~日本の東西南北の境目をゆく
前の記事 城下町から工業都市へ―小松を歩く
 第6回目の更新から早3年半近く。前回の記事の最後で「今回の旅では、石川県はこの1本で終わりで、次回は富山県に進みます。」と書いたのですが、それから長い時間が経ってしまいました。
 一度、更新を再開しようと再び書き始めたこともあったのですが、途中で一時保存をかけようとした際にネットが切断し、せっかく書いた分が全部消えるという目に遭ってやる気を失くしました。
 更新再開にあたっては、画像サイズを拡大したり現行の様式に合わせます。


 金沢で昼食を摂り、14:29発の普通列車富山ゆきに乗車。津幡を過ぎると前方に山が迫り、俱利伽羅峠をトンネルで抜けて富山県に入りました。冠雪した立山連峰がうっすらと見えてきて、15:07着の高岡で下車。今夜はこの街で一泊しますが、それまでにもう少し行動。
 高岡15:13発の氷見線のディーゼルカーに乗り換え。列車は高岡の市街を抜け、2つ目の能町で新湊線を分かちます。この線はJRの路線で唯一独立した名前がついた貨物線で、旅客は乗ることができません。
 それに呼応するように沿線には大きな工場が現れ出し、小矢部川を渡河。次の伏木で下車しました。

伏木駅
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貨物設備が直線、本線が左に分岐という駅構内の配置
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駅の裏手に並ぶ廃車体
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 伏木は小矢部川と庄川河口の港町です。古代には越中国府が置かれ、大伴家持が赴任したことで知られます。家持は天平18年(746)に越中国守に任じられ、当地で5年の年月を過ごしました。
 越中国府の国府津であった伏木も中世には海退が進み、その地位は低下。守護の力が増大したこともあり、守護所は放生津(新湊市→射水市)に置かれました。

 江戸時代には北前船の寄港地となり、射水・礪波両郡の年貢米の積出し港や、飛騨国などから下ってくる木材の集積地という役割を持ちました。また、蝦夷地から魚肥が運ばれるようになり、川舟によって砺波平野の村々に輸送されました。この頃には松林の植林や石材による防波堤の整備が行われています。
 明治初期には灯台が設置され、明治8年には洋式汽船も来航。さらに大正時代に入ると日本鋼管(JFE)、北海曹達(東亜合成)などの工場が設立され、重化学工業地帯として発展しました。

廻船問屋だった棚田家
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 高台の伏木古国府に立地するのが勝興寺。曰くありげな地名は国府の名残で、周辺の発掘調査では掘立て柱の大型建物の遺構も検出されています。
 勝興寺は瑞泉寺(南砺市、旧井波町)と並び、戦国時代の越中国における一向一揆の拠点でした。その前身である土山御坊(南砺市、旧福光町)は文明3年(1471)、本願寺の蓮如による開基。甲斐国の武田信玄と通じたことで越後国の上杉謙信と対立し、その配下である神保長職の侵攻を招きました。
 現在地への移転は天正12年(1584)のこと。神保氏張に古国府城を与えられたためです。

 宝暦6年(1756)には金沢藩6代藩主吉徳の八男闡真が入寺し、住職を務めました。しかし、前田家に嗣子がいなかったことから還俗し、11代藩主治脩となりました。これにより寺格は盤石なものとなりました。

唐門は明治26年に京都の興正寺から移築された。後光が射した
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 勝興寺の本堂は治脩の援助を受け、安永3年(1774)に再建されました。これは西本願寺阿弥陀堂を手本としたもので、真言宗寺院の中では破格の規模と形式を持つものであるそうです。

大きな本堂
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本堂の内部
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方形の経堂とイチョウの大木
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 勝興寺を後にして、伏木の街をブラブラ。
 塔屋を備えた建物は伏木気象資料館。明治42年(1909)に伏木測候所として建てられました。当初は中央部に望楼を設け、風速計が設置されていましたが、昭和初期に測風塔(現存する塔屋)が建てられたため、撤去されています。
 その名残なのか、テレビの天気予報では富山県西部の代表地点が「高岡伏木」で表示されいました。

高岡市伏木気象資料館
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 氷見線の線路の近くには旧秋元家の大きな屋敷があり、伏木北前船資料館となっています。
 秋元家は廻船問屋を営んでおり、屋敷は明治20年の大火後に再建されました。建物の屋根に取り付けられた望楼は伏木湊への船舶の出入りを見張るためのものだったそうです。

伏木北前船資料館
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屋根上の望楼
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明治43年に建てられた旧伏木銀行。現在は高岡商工会議所伏木支所
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 氷見線の全線に乗りたいところですが、列車で氷見まで行って折り返すのでは芸がありません。そこで、伏木から氷見まではバスを利用することにしました。
 16:40頃の加能越バスを利用すると国分で海沿いに出ました。二上山が富山湾に臨むこの地は、源義経の伝承に由来する雨晴です。前方には能登半島の山地が海に沿ってたおやかに続いています。

バスの車窓に雨晴海岸
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加能越バスを氷見駅口で下車
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 バスを降りると、列車の時刻まで少し間があったので、海辺に出て富山湾を見て過ごしました。残念ながら立山連峰には雲がかかってしまいました。

氷見の海
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 戻りの列車は氷見17:59発の高岡ゆき。派手なラッピングの「忍者ハットリくん列車」でした。漫画家の藤子不二雄A氏が氷見市出身であることにちなんでのもの。
 すっかり陽が暮れてしまいましたが、未乗の伏木までの区間も車窓の様子は分かっています。

氷見駅にて
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車内も賑やかな「忍者ハットリくん列車」
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 高岡着18:28。駅裏手のホテルで1泊。4,200円で2食付きという破格の安さでした。


※北陸新幹線の開通に伴い、JR北陸線は平成27年3月に第三セクターのIRいしかわ鉄道とあいの風とやま鉄道に移管されました。
※高岡市伏木気象資料館では、訪問時に撤去されていた望楼が復元されたそうです。

次の記事 城端寺内町を散策する
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