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雨上がりの港町・基隆を散策 (臺灣・はじめての国外旅行7)

旅行日:平成30年4月13~16日⑦

最初の記事 台湾・はじめての国外旅行
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 台鉄縦貫線の列車で基隆に着いた。時刻は15時近く。
 基隆は雨の港町と冠され、中文の散策地図にも「雨都基隆」とあった。幸い雨は上がっているが、湿っぽくてどんよりとした空模様だ。
 基隆駅には2つの出入り口があり、私たちは頭端式ホームの先頭に繋がる北口から出た。が、こちらは街から離れた雑然とした地区であった。

現代的な基隆駅(北口)
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 港西街といういわば海岸通りに出ると、古そうな庁舎建築が建ち並ぶ。
 かつての駅前ロータリーに面した海港大楼は昭和9年(1934)に建てられた旧基隆港合同庁舎で、その隣りが旧日本郵船基隆支店。現在は陽明海洋文化芸術館になっており、まりんさんの希望もあって入館。陽明とは基隆市に本社を置く台湾の海運業者である。

6階建ての旧基隆港合同庁舎
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陽明海洋文化芸術館に展示されていた基隆港のジオラマ
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旧駅舎前のロータリーを見下ろす
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ロータリーからの海港大楼(右)と陽明海洋文化芸術館(左)
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 淡水の項でも少し触れたが、基隆は淡水と並ぶような歴史ある港町である。
 1626年にスペインがマニラから艦隊を派遣し、当時鶏籠と呼ばれていた基隆に上陸して占領式を行った。スペインはこの地にサン・サルバドル要塞を築き、台湾支配と中継貿易の拠点としたが、通航は台風によって杜絶しがちであった。
 台湾西部を拠点にしていたオランダは1642年に艦船を派遣して基隆を攻撃し、3ケ月の攻防でスペインを破った。

 明治28年(1895)、下関条約によって台湾が清国から日本に割譲されると、日本軍は東海岸北部の澳底から上陸した。要港である基隆や淡水を避けたのは、清国からの独立によって台湾共和国樹立を目指す動きがあり、抵抗が予想されたためであった。日本軍は陸・海からの攻撃によって基隆を占領し、台北に進んだ。
 基隆港は幅400メートルほどの水路が2キロにわたって入り込んでおり、地形的に港に適している。日本統治時代に岩礁の除去などが行われ、大型船の停泊も行えるように整備された。なお、台湾における日本海軍の拠点は澎湖諸島の馬公(のちに高雄)に置かれた馬公要港部であった。

深く入り込んだ基隆港
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中国語の看板も賑やかな台北へ通じる道
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 港から少し離れ、基隆夜市とも呼ばれる廟口夜市に足を向ける。まだ陽の高い時間ではあるが、大いに賑わい、雑踏をきわめていた。2車線道路に3列に屋台が出ていて、道の両側に元からある店舗が見えないほどだ。骨付き鶏の唐揚げや小籠包を食した。

廟口夜市
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パラソルを立て、所狭しと屋台が並ぶ
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小籠包
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これは何だったか忘れた…
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街を流れる田寮河に架かる太鼓橋の上から
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路地を抜ける
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 駅に戻ると17時頃。このまま区間車で台北に戻ってもよいのだが、17:58まで待てば「自強号」がある。きょう乗った台鉄は非対号列車ばかりであったので、対号列車に乗りたいということで我々の意見は一致した。窓口に行くと、台北までの座席が取れた。あと1時間ほど街を歩くことにする。

基隆駅(南口)
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現代的な改札口周り
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 基隆駅の裏手、すなわち西側は海岸段丘になっており、一段高い平地に街が広がる。観光とは無縁そうな市井の人々が暮らす街だ。
 こんなところを歩いて何が楽しいのかと訊かれても返答に窮すが、現地の人の暮らしぶりが窺える。経済的な発展を遂げたとはいえ、まだまだ古く狭そうな家が多い。家の前に置いた椅子に腰かけて話し込んでいる人も多い。

柵に囲まれている地上駅の跡
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あまり観光客の来なさそうな一劃
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 駅近くのコンビニでビールを買い、発車10分ほど前にホームに降りると、「自強号」は既に入線していた。12両の客車の前後に機関車を繋げたプッシュ・プル方式となっている。前後の機関車(動力車)は流線型をしているが、とぼけたような貌でお世辞にもカッコいいとは言えない。座席は左右2列配置で、前後の間隔もゆったりしている。

 17:52に先行の嘉義ゆきの区間車が発車。嘉義までの291.8キロを5時間59分(日曜以外は6時間3分)かけて走る長距離鈍行だ。この「自強号」も終点潮州着は0:25となっており、始発から終着まで442.4キロ、6時間27分もかかる。地図で潮州を探すと高雄の先に見つけた。台湾島をほぼ北の端から南の端まで走り抜けるわけだ。

機関車はホームを外れて停まっていた
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ゆったりとした座席
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 客車列車らしいガッタンという衝動があって、発車。台北までの間に八堵、七堵、汐止、松山と停車し、先行の嘉義ゆきは台北の4つ先の樹林まで逃げているので、あまり速くは走らない。八堵からの3線区間は別線を走行し、汐止の手前で唐突に本線に移った。この区間の線路の使い方はよく判らない。
 なお、基隆から台北までの自強号の運賃は64元(約237円)。区間車のICカード利用だと37元(約137円)なので、100円でゆったりした座席に座れたことになる。
 居眠りしているうちに地下線を走っており、18:42に台北に着いた。

切符と啤酒
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 捷運で一旦ホテルに戻り、近くの「頂好超市」というスーパーに行き、土産物などを購入。香港資本で台湾にも展開するスーパーだそうで、地元の人向け。
 ホテルに荷物を置き、タクシーで寧夏夜市へ。明後日の方向に走り出したのでちょっと焦ったが、近くの交差点が左折禁止だったようだ。地理に慣れてくれると思わぬ気苦労が生じたりする。

寧夏夜市
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パイナップルジュースを買った
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 夜市のあまりの雑踏でこれという店を見つけられなかったので、夕食は民生西路に沿った料理屋にて中華料理を食した。
 私はサクラエビの炒飯、まりんさんは麺を註文。一品料理として追加したエビマヨにはカラースプレー(カラフルな小さい粒のチョコ)がかかっていた。調べてみると、台湾の料理店では一般的らしい。
 炒飯はものすごく量が多かったが、味が良かったこともあり、なんとか完食。なお、サクラエビの漁獲があるのは駿河湾と台湾東部だけだという。

次の記事 台北の近代建築をめぐる(中) 中正記念堂、台北府城の城門群、台大付設医院など
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