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東武野田線小旅行(後・春日部~大宮) 日光街道粕壁宿と岩槻城下

旅行日:平成30年4月2日③
最初の記事 東武野田線小旅行(前・船橋~野田市) 利根運河と桜と菜の花
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 東武野田線の旅は船橋から北へ、そして西へ進み、14時半頃に春日部駅に降り立った。
 春日部駅は伊勢崎線との接続駅で、地上にホーム3本を有する。駅舎は東西に設けられており、跨線橋が繋いでいる。つまり、駅の東西を行き来できる構造にはなっていないのだ。主要駅ながら駅ビルもなく、小ざっぱりしている。

地上にある春日部駅東口
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 春日部は大落古利根川の自然堤防上に開けた街で、江戸時代には日光街道の粕壁宿が置かれた。
 ひとまず旧日光街道を越え、大落古利根川の河畔に立った。名前の通り江戸時代初期までは利根川の本流の一つであった。利根川東遷事業で本流から切り離されたことにより、土砂の堆積が抑えられたため並行諸河川よりも相対的に低いところを流れている。そのため、幹線排水路として農業排水を流下させており、「大落(おおおとし)」を冠している。
 堤防は低く、流れはあるのかないのか分からないほどだ。両岸にはサクラが植えられ、風が吹くたびに花びらが舞い上がる。

自然堤防上に発展した粕壁宿Kasukabe.jpg
(地理院地図「自分で作る色別標高図」にて作成。1メートルメッシュ。一部註記加筆)

河岸の名残なのか、川沿いに建つ漆喰塗りの土蔵
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大落古利根川に架かる華奢そうな春日橋
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風に舞うサクラの花
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さらに花びらの乱舞。もう少し空が青ければ…
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 大落古利根川と並行する旧粕壁宿へ。バイパスが出来て通過交通は通らなくなり、県道になっている。古い建物は少ないが、直線的な街路は電線が地中化されていて、すっきりした街並みだ。
 粕壁宿は江戸側から新々田、三枚橋、新宿(本町)、中宿(仲町)、上宿(上町)、寺町と分かれていた。
 なお、「粕壁」が「春日部」の表記に変わったのは、昭和19年に粕壁町と内牧村が合併した際であった。古代の名代部が鎌倉時代に「春日部郷」となったので、こちらの方が本来の表記といえる。鎌倉時代に当地に住まい名乗った春日部氏が後醍醐天皇の忠臣として討ち死にしたため、戦時という時宜を得た改称とも言えるかもしれない。

土蔵造りの旧商家・東屋田村本店
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「西南 いハつき、東 江戸」と記された石柱。天保5年(1834)
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江戸時代初期から続く米穀商・永橋庄兵衛商店
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米穀商を営んでいた浜島家の漆喰壁土蔵 (登録有形文化財)
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 日光街道は日光側で折れ、新町橋を渡るが、その曲がり角に最勝院が構えている。直線街路の先端に立地するので、存在感は大きい。

突き当りにある最勝院
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境内にはサクラの大木が連なる
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瑞々しい巨木の新緑
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岩槻街道沿いで見つけた石造りの蔵
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 春日部15:28発の普通電車で岩槻へ。柏から春日部まで10分おきだった電車は、3本に1本(30分おき)が大宮まで急行運転となる。その穴を埋めるように春日部・大宮間の小運転が入り、毎時8本運転となる。
 春日部から大宮にかけての野田線は、岩槻街道沿いに敷設された。岩槻街道は中仙道大宮宿と日光街道粕壁宿を結んでいた。いよいよ市街地が連続するのかと思いきや、駅間の低地部は田園地帯が広がった。しかも、北に屋敷林を持った散村が残っている。野田線の車窓では、この区間が一番印象に残った。
 東岩槻を発車すると、元荒川の沖積低地を横切り、台地に上がって岩槻に着く。

春日部から大宮にかけての地形概要Noda_w.jpg
(地理院地図「自分で作る色別標高図」にて作成。5メートルメッシュ。一部註記加筆)

 岩槻駅は現代的な橋上駅舎であるが、外観は白壁に黒瓦風と蔵を思わせる。駅舎内に観光案内所が入っているのもこれまでの駅とは違う。
 広々とした駅前広場の向こうに建つビルが岩槻区役所で、下層部にはスーパーが入居している。そこだけ見ると都市近郊の駅そのものだが、駅前通りに点々と掲げられた「人形」の文字が強烈に個性を主張している。

岩槻駅
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 岩槻は城下町であるが、東西方向の岩槻街道と南北方向の日光御成街道が交差する交通結節点でもあった。日光御成街道は江戸の中仙道本郷追分から北上し、川口・鳩ケ谷・岩槻を経て日光街道の幸手宿に到る、将軍の日光参詣の道であった。
 街道沿いの東玉大正館は大正時代に建てられた旧中井銀行岩槻支店。中井銀行は地元資本の銀行ではなく、東京日本橋に本店を構えており、埼玉県内にいくつかあったその支店だったようだ。
 近くにあった旧岩槻市役所は解体され、人形の博物館を建設していた。

銀行建築を生かした東玉大正館
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 南の細い道に入り、岩槻城まで歩く。
 住宅地に埋もれた茅葺屋根の平屋建ては、岩槻藩の藩校遷喬館。藩主大岡忠正の時代に、藩士児玉南柯によって設立された。同時期には庶民向けの教育施設として戩毅堂も創られ、教育に力を注いだ。
 別の通り沿いには東京近郊では珍しい酒造があったのだが、定休日にあたっていた。

藩校「遷喬館」
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鈴木酒造は残念ながら月曜定休
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 駅の観光案内所の地図を頼りに大手門を目指したが、気が付かずに通り過ぎてしまった。写真を撮っていたら誰何されそうな、住宅街の真っただ中だったと思う。
 そこから坂を下ると、岩槻城址公園に到る。谷間の宏大な緑地帯には遊具なども整備され、子供たちの声が賑やかだ。
 この谷間は岩槻城址時代には水が満たされ、元荒川に突き出した台地の先端に本丸があった。濠の大半は埋め立てられてしまった。

濠の面影が残る池
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水面にサクラが花びらを浮かべる
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台地の縁を生かしていた岩槻城と、台地上の城下町
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(地理院地図「自分で作る色別標高図」にて作成。1メートルメッシュ)

 岩槻城の元となる岩付城が築かれたのは、長禄元年(1457)のこととされる。室町幕府と鎌倉公方はその約20年前の永享の乱以来対立が続いており、康正元年(1455)には鎌倉公方が下総国古河に移っていた。
 関東管領方の上杉(扇谷)持朝は太田道真・道灌親子に命じ、古河公方への牽制として岩付・河越(川越)・江戸城を築いた。
 戦国時代の太田氏は岩付城を拠点にして長らく後北条氏と対立していた。が、太田資房(のちの氏資)が後北条氏に内応して、城主である父・資正を追放した。こうして岩付は後北条氏の支配下に入った。そして、豊臣秀吉の小田原征伐の折、浅野長吉に攻められて落城した。

 小田原征伐後に関東に入った徳川家康は、高力清長を岩付城に配置した。清長は城下の整備を進めるとともに逃散した領民の帰農に取り組んだ。江戸時代前期の藩主は度々交代したが、江戸の北の抑えとしていずれも幕府老中などの要職者が配置された。
 宝暦6年(1756)に大岡忠光が入封すると、以降は幕末まで大岡氏が藩主を世襲した。戊辰戦争時には早い段階で新政府に帰順している。

台地と低地の境には濠が巡らせてあった
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迷路のような空掘りは散策路に
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 廃藩置県後は旧藩の飛び地が錯綜していたが、明治4年11月に地理的区劃に基づいた整理が行われ、埼玉県も設置された。当時の領域はおおむね荒川以東中川以西であった。このとき、県庁は埼玉郡岩槻に置かれることになり、県名も郡名から採ったのだが、県庁舎に適当な建物がなく、足立郡浦和の旧浦和県庁舎が仮庁舎に充てられた。そのままズルズルと仮庁舎の時代が続き、明治23年に正式に浦和が県庁所在地となった。

 元荒川沿いの細い道をのんびり歩き、岩槻街道の岩槻橋に出た。浅い川だが、川幅いっぱいに流れている。河畔林も茂って自然豊かにも見えるが、裏側には自動車解体工場のような小さな工場が多い。

岩槻橋から元荒川を眺める
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 ここまで来ると東岩槻駅の方が近そうだが、岩槻駅まで戻った。
 街道沿いにはヤマブキが植えられ、黄色い花をつけていた。区の花として制定されているというが、太田道灌のヤマブキの故事にちなむのだろう。

区の花ヤマブキの鮮やかな黄色
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 岩槻17:25発の電車で大宮へ。綾瀬川、芝川の谷を横切るところ以外は台地上で、住宅地が広がる。
 右手からJR宇都宮線が近づいてくると北大宮で、JRの列車が高速で追い抜いてゆく。相鉄の平沼橋を思わせる駅だった。
 終点大宮着17:37。船橋から脇目も振らずに来れば1時間40分余りのところ、8時間以上を要して着いたことになる。東武大宮駅は宏大なJR駅とはやや離れてた場所にあり、駅ビル内に連絡通路が続いていた。


 大宮17:51発の埼京線通勤快速電車で赤羽へ。いつの間にか雲の広がった夕暮れの空を眺めながら高々とした高架線を飛ばす。通勤快速は途中武蔵浦和にしか停車せず、追いついてきた新幹線にも食らいついてゆく。
 赤羽駅から東京メトロ南北線赤羽岩淵駅まで歩き、「小田急東京メトロパス」にしたことを恨みながら四ツ谷乗り換えで新宿に出た。
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