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東武野田線小旅行(前・船橋~野田市) 利根運河と桜と菜の花

旅行日:平成30年4月2日①

 今年の初めに「パスネット」を払い戻した。「パスネット」は関東の私鉄で使用できた磁気カードで、私が小学生から中学生だった15年ほど前に蒐集していた。
 その多くはお金がなかった時期に使ってしまっていたが、確認してみると9,000円分が残っていた。払い戻し期限の1月末を過ぎると、無に帰してしまう。当時の齢の9,000円は、現在の価値感覚からすると9万円くらいに匹敵するだろう。そんなことを考え出すと、容易く使ってしまうのは惜しいように思えてくる。

 そこで、払い戻した9,000円を使って関東私鉄の小旅行をしてみることにした。
 私は関東地方のJR東日本の路線には全部乗ったが、私鉄となるとかなりの未乗区間を残している。そんな路線を巡って途中下車をすれば、まだ見ぬ街で新たな発見があるだろう。15年前のクソガキ少年への鎮魂を込めて。

 第一回目は東武野田線を選んだ。特に深い理由はないが、全長62.7キロという距離は手頃だし、沿線の野田にも岩槻にもまだ行ったことがない。

 「小田急東京メトロパス」を手に、海老名7:09発の快速急行でスタート。複々線化の完成後初めての乗車だが、快速急行への混雑の集中が著しかった。
 代々木上原、大手町、西船橋と乗り継いで、9時過ぎに船橋に着いた。4月最初の平日とあって、大手町辺りは新入社員らしい初々しい姿が多かった。

 船橋から野田線の旅を始める。
 東武船橋駅は東武百貨店の3階に入っているが、ホームの先端の改札口があるという私鉄に多いスタイルではない。地上、改札口、ホームが別々のフロアなので、こじんまりとしている割りに移動が多い。
 ちょうど柏からの電車が着いて客がどっと降りてきた。この電車が折り返す9:17発の柏ゆきに乗る。少し古い車輛で、窓が上下に分かれているのは今時珍しい。

船橋駅に入ってくる野田線の電車 (私が乗ったのとは別のもの)
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 船橋を発車した電車は高架線を北へ向かう。高架はそのまま台地上に繋がった。野田線の南部は下総台地である。
 下総台地には樹枝状にヤト(千葉県では谷津という)が入り込んでおり、線路は築堤でいくつも小さな谷津を越える。線形は直線的だ。住宅地が途切れると、白い花をつけた果樹園が点在するようになる。ナシの名産地の鎌ケ谷市に入っている。
 新京成線、北総線(、京成線)連絡の新鎌ケ谷は近代的な掘割駅であったが、その他は駅前が雑然とした小駅が続く。次の六実から逆井にかけての2駅間は単線のままであった。複線化工事が行われているようだが、昼間さえ10分おきに電車が運転されているので、ダイヤはタイトなはずだ。

東武野田線南部区間の地形概況
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(地理院地図「自分で作る色別標高図」にて作成)

 少しずつ乗客が増え、常磐線を跨ぎ越すと左手から別の複線が寄り添う。こちらも野田線で、柏駅はスイッチバック形式になっている。船橋から丁度30分で到着した。
 ラッシュ時の一部電車を除いては柏を跨ぐ直通運転がないので、大宮ゆきに乗り換える。改札口は階段を上がった先にあるが、2つあるホームの先同士を繋ぐ通路によってフラットに乗り換えられるようになっている。
 9:51発の大宮ゆきは急行であった。急行といえども春日部までは各駅に停まるから、今のところは関係がない。

柏駅で大宮ゆきの新型電車に乗り換え
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 柏から野田市にかけては野田線の起源ともいえる区間で、明治44年(1911)に開通した。野田で生産される醤油を輸送する目的で、千葉県営鉄道が運営した。その後、路線の延伸とともに北総鉄道、総武鉄道と名を変え、太平洋戦争下で東武鉄道に加わった。
 利根川と江戸川に挟まれた下総台地の尾根上をなぞるようなルートを採っている。

台地の尾根を通る柏・野田市間と利根運河
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(地理院地図「自分で作る色別標高図」にて作成)

 船橋から30キロ近くを乗り通してしまったが、運河で下車。東京理科大学のキャンパスがあるため、若者がどっと降りた。
 「運河」とは随分ざっくりした駅名であるが、これは駅のすぐ北側を通る利根運河に由来する。
 
 利根運河の両岸にはサクラの樹が植えられている。この時季ならば是非とも途中下車したいと思っていた。

利根運河とサクラ
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浮き橋に見えるが、川底に座礁していた
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 江戸に出入りする東廻り航路は、銚子から利根川を遡り、江戸川を下って江戸に到っていた。
 しかし、江戸時代後期になると河道への土砂の堆積が進み、江戸川の今上村(野田市)から桐ケ谷村(流山市)にかけては水量が少ない時には通船出来なくなっていた。利根川も同様で、江戸への荷は木下(印西市)・布施・船戸(柏市)で陸揚げし、流山・加・松戸まで陸送する不便が生じていた。

 その不便を解消するため、利根運河株式会社が設立され、オランダ人技師のローウェンホルスト・ムルデルの指導で工事が進められた。運河は全長約8.5キロ、水面の幅16メートルで、平均水位は1.6メートルで設計され、明治23年に完成した。
 明治24年には3.7万艘の通船があり、東京と銚子を結ぶ蒸気船も就航した。が、川舟は鉄道に取って代わられる時代を迎え、日本鉄道海岸線(常磐線)や総武鉄道(総武線)が開通したこともあって、大正2年には年2万艘を割り込んだ。
 昭和16年に会社は解散し、運河は国が買い上げて洪水調整を行うようになった。その後、利根川との接続点が塞がれた時期や導水路として利用された時期もあったが、現在は河川維持放水と周辺小河川等の排水に利用されている。

 桜並木に鎮座する手水石は会社から元取締役の今村清之介の墓所へ明治36年に寄贈されたものだという。通水125周年を機に今村家から流山市に寄贈され、谷中墓地から当地に移設された。

「利根運河株式会社」の銘のある手水石
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水面に散ったサクラの花びら
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 水辺まで降りていくと、この運河の深さにここまで掘り込んだ苦労が偲ばれる。下総台地の尾根は標高約20メートルあるが、利根川・江戸川は約5メートルのところを流れている。つまり、この附近では高さ15メートル分も掘り込んだということになる。
 運河としての役割を失った今日では水量もごくわずかで、カモなどの水鳥が群れていた。
 
川面から見ると、台地を深く掘り込んでいることが判る
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花びらが舞う桜並木
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 線路をくぐった東側が理科大学。こちら側の斜面は一面の菜の花だ。

利根運河を渡る野田線電車。複線化にはもう一本の橋梁が必要
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河原を彩る菜の花
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菜の花とサクラと野田線
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 駅に戻り、11:06発の電車で先に進む。先ほど見えたように、運河からは単線区間に入った。複線分の用地は確保されているようだ。
 次の梅郷から複線に戻るも、駅間で再び単線となる。高架化工事が行われており、仮線に移る。駅部の工事が進む野田市で下車。貨物扱いがあった名残だろうか、構内は広い。

高架化工事が進む野田市駅
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次の記事 東武野田線小旅行(中・野田市~春日部) 醤油醸造の街・野田
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