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【積雪深128cm】湯沢の武家屋敷街を歩く (豪雪の東北地方を列車とバスでめぐる旅4)

旅行日:平成29年2月(20~)21・22日④

最初の記事 【積雪深3cm】仙台から北上線経由横手へ
前の記事積雪深167cm】横手城下町を散策
 豪雪の東北地方を列車とバスでめぐる旅、第2日目。
 きょうは横手から奥羽線を南下する。最初に乗るのは7:43発の湯沢ゆきなので、6時半に起きてホテルの部屋で朝食を済ませた。

 煖房の効いたホテルから出ると、顔が痺れるような寒さだ。今朝は2:50に氷点下12.5度まで下がったらしい。7時の時点でも氷点下8.8度なので、相当な冷え込みだ。うっすらと陽が射していて、雪の白さが眩しい。
 乗車券はきのう十文字までの分を使ってしまったので、改めて購入した。
 湯沢ゆきは2両連結で、14分停車の横手で高校生がどっと降り、ワンマン運転に変わった。

雪の壁を挟んで奥羽線の電車と北上線のディーゼルカーが並んだ
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 電車はリンゴ畑を見ながら快走。横に広がった枝は雪をまとって怪物のようになっている。次の柳田では交換列車の遅延をもらって3分遅れ、十文字では後方の扉が雪を噛んで閉まりきらなくなった。運転士がなにやらスプレーを持って行って対応にあたり、幸い事なきを得た模様。夏も冬も同じダイヤなのだから、多雪期の苦労は並大抵ではないはずだ。

 横手から20分で湯沢に到着。湯沢の高校は休みなのか、学生の利用はなかった。
 なお、奥羽線は福島側の奥羽南線と青森側の奥羽北線が少しずつ延伸し、明治38年に湯沢・横手間が開通したことにより全通した。

橋上駅舎から街を望む
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蔵のようなデザインの湯沢駅
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 湯沢も城下町で、駅から正面に見える松長根山が城山だった。もっとも、城は江戸時代初期には破却されたので、陣屋町とした方が適当かもしれない。

 8時の時点で気温は氷点下8.8度、積雪深は128センチとのこと。横手よりも30センチ以上少ないが、それは数値の問題であって、見た目は大して変わらない。

駅前には何かしらの雪像があったようだが、新雪に埋められていた
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 駅前通りは雁木が設けられ、雪の日も傘を差さずに済む。ただ、道路の雪が歩道にはみ出して凍っている。沿道はシャッターを閉じた店ばかりだが、これは朝8時過ぎという時刻の問題もあるだろう。

雁木が続く駅前通り
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 湯沢の街は羽州街道に沿って南北に細長くのびていて、駅前通りはその真ん中あたりに出てくる。南側から先に回る事にして、旧街道を進む。初めのうちはロードヒーティングつきの歩道を完備した広い通りだったが、やがて狭まった。

古色蒼然とした洋館が建つ
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 羽州街道沿いに建つ山内家は商家で、妻入の主屋は昭和初期に建てられた。屋根裏部屋があるのか、2階部分が非常に大きい。

山内家住宅主屋
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 東西に通じる二軒町小路を街道の裏通りへと抜ける。駅でもらってきた「湯沢まちなか歴史資源マップ」には、小路の名前まで網羅されているので、こうした知識も得られる。
 裏の通りまで除雪車が入らないためか、路面から塀から電線までとにかく白い世界が広がる。武家屋敷街だった名残で一軒一軒の敷地が広く、黒板塀が連なる。

一本裏通りに入るとこのありさま
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江戸時代末の薬医門が残る武家屋敷
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 中世の秋田県内陸部を支配していたのは小野寺氏であったが、関ケ原の戦いの際に上杉景勝についたため所領を没収された。湯沢を含む雄勝郡は久保田(秋田)に入った佐竹氏の領地に含まれることになり、湯沢城には佐竹南家の義種が配された。

 内町の高台には佐竹南家の菩提寺の清涼寺が構えており、滑りながら坂を上ると景色が開けた。境内には雪の壁に囲まれた通路が続き、本堂も埋まらんとしていた。
 ちなみに、佐竹家には東西南北の分家があるが、南家というのは久保田よりも湯沢が南に位置するという訳ではなく、常陸国時代に太田城(常陸太田市)の南に城を構えていたことに由来する。

清凉寺の本堂
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高台の境内から横手盆地を見渡す
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 先ほどまでは晴れ間が出ていたのに、いつしか雪が舞いだし、降り方が激しくなってきた。

 湯沢の街のなかを羽州街道と絡み合うように流れている水路が湯沢大堰である。ここでいう堰とは用水路のことで、かつては材木などの輸送にも用いられたという。

湯沢大堰沿いに蔵が残る
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内舘町の武家屋敷
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古風な塀の残るのは病院
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 武家屋敷を眺めながら歩き、東西の大きな通りに行き当たると市役所がある。かつては背後の山の上に湯沢城があり、元和の一国一城令によって廃城になると、市役所の辺りに築かれた居館が支配の拠点となった。佐竹義種は淡路守であったため、佐竹家の居館は淡路屋敷と称した。現在は佐竹町。
 武家地が内町、町人町が外町であったのは横手城下町と同じである。戊辰戦争では庄内藩・仙台藩の攻撃を受け、湯沢の街も占領された。その後で内町・外町が火災に遭っている。

正面が湯沢城址の山、右が市役所
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山麓に湧く力水
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 市役所近くには明治24年に建てられた近代建築の雄勝郡会議事堂が記念館として残る。明治期から大正期にかけては庁府県(※)と町村の間に地方自治体としての郡があり、議会も行われていた。
※当時は北海道庁、3府、43県

雄勝郡会議事堂記念館
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 残り時間が厳しくなってきた。記念館内の見学はせず、外町の方へ進む。湯沢の街は湧水が多く、酒蔵など醸造所もいくつかある。

桐谷呉服店の蔵
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由来不明だが、街道沿いに妻入が2軒並ぶ大きな屋敷
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 この先には登録有形文化財の両関酒造があるのだが、そろそろタイムアップ。これ以上進むと列車を逃しかねないので、諦める。
 足を速め、列車の出発時刻の5分前に駅に辿り着いたが、電光掲示板は新庄ゆきが4分遅れている事を伝えていた。

 乗車するのは定刻9:42発の新庄ゆき。秋田・山形県境を越える列車は一日9往復しかなく、このあとの行程から逆算してこの列車に乗らざるをえなかった。

雪まみれで到着した新庄ゆき電車
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 列車は雄物川上流の細い平地を突っ走る。積雪期は往来がなくなるのか、アプローチを失った踏切も多い。
 平野が尽きると院内という駅に停まる。院内には関ケ原の戦いで敗れた浪人が慶長11年に発見した銀山があり、藩政期には鉱山町として発展した。最盛期の殷賑は「山小屋千軒、下町千軒」といわれたそうだ。

雪原を快走する (三関・横堀間?)
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 院内からは複線になり、県境の雄勝峠越えにかかる。中世の羽州街道は有屋峠(黒森峠)を越えていたが,慶長8年に佐竹義宣によって雄勝峠経由に付け替えられ、鉄道もそのルートを踏襲した。
 院内・及位間の複線化は早く、その時期は昭和43年に遡る。未電化だった当時、駅間が長くて上り勾配で運転時間が嵩み、輸送上のネックとなるこの区間を先行して改良したのだろう。それから半世紀がたつが、新庄・大曲間の他の駅間はすべて単線のままだ。
 線路と絡み合うような国道13号沿いにも雪の壁ができている。

複線区間の雄勝峠を駆け上がる
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 峠の院内トンネルを抜けると、珍名駅で知られる及位(のぞき)に着く。真室川に沿って下り、真室川(駅)で対向列車と交換した。
 県が変わったことで乗車客も出はじめ、久しぶりに開いた扉から氷がパリパリと音を立てて剥がれ落ちた。

 終点の新庄には10:44に到着。いつの間にか遅れを取り戻し、定刻であった。

新庄に到着。後方もすさまじい形相に
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次の記事 【積雪深375cm】カルデラの底に湧く肘折温泉へ
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