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湯島界隈を散策する―旧岩崎邸庭園、湯島天満宮、湯島聖堂

旅行日:平成30年2月9日

 この日は坊さんの上京研修に併せて都内で飲み会。午後は坊さんと出掛ける予定でしたが、研修で風邪をもらったとかで、夕方まで一人で歩き回ることにしました。

 昼過ぎに「小田急東京メトロパス」を手に都心へ向かいます。代々木上原・梅が丘間の複々線供用まであとひと月を切り、目に見える工事はほぼ済んだように見えました。
 代々木上原で千代田線の古い電車に乗り換え、湯島で下車。

湯島駅は不忍池の至近
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 湯島に来たのは旧岩崎家庭園を見るため。三菱の岩崎家といえば、高輪にある岩崎弥之助(弥太郎の弟で、2代目社長)邸が有名(※)ですが、こちらは弥太郎の子で、三代目社長の岩崎久弥邸でした。
※現在は三菱グループの倶楽部「関東閣」(非公開)

 入り口は不忍通りから一本裏に入ったところにありました。ここは不忍池と同じ低地ですが、邸宅は台地の上です。谷田川(藍染川)と神田川に挟まれた本郷台の先端に位置します。

レンガを漆喰で覆っていた塀が一部再現されている
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低地の門から台地上の邸宅への長いアプローチ
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 この場所は江戸時代に越後国高田藩主榊原家の下屋敷だったところでした。岩崎家によって邸宅が建てられたのは明治29年のこと。
 今の住所は台東区池之端一丁目ですが、昭和42年までは茅町(昭和22年までは下谷区)だったため、“茅町本邸”と呼ばれていたそうです。

 坂を登り切ると、壮麗な洋館が現れます。入園料は400円ですが、地下鉄の各フリーきっぷを呈示すると割引きになります。

壮麗な邸宅
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 この洋館はイギリス人建築家ジョサイア・コンドルの設計。J. コンドルはいわゆるお雇い外国人として来日し、明治20年に官職を解かれたのちは三菱の顧問に就任しました。三菱は麹町区永楽町(千代田区丸の内)の土地を陸軍から払い下げられ、ここにJ.コンドル設計によるレンガ造りのビルディングを建設していきました。「一丁倫敦」と呼ばれたこのビル街は、現在の丸の内オフィス街の原形になりました。

 邸内は各部屋にしつらえられた煖炉のマントルピースが目立ちます。
 普段は館内での撮影ができないそうですが、本日は解禁日とのこと。ただ、丁寧に調度品一つ一つ規制線を張っているので、写真は撮りづらいです。

邸宅内
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柱一本一本にまで装飾が施された階段周り
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別棟に通じる地下通路まであった
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広々とした東向きのサンルーム
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天井の日本刺繍
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2階のベランダ
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 洋館の裏手には和館が建っています。完成当時は建坪550坪という規模だったそうですが、現存するのは大広間部分のみ。
 一室がカフェになっていて、小岩井農場産の牛乳などを使ったケーキや飲み物が提供されていました。なぜ岩崎家で小岩井農場かというと、弥之助が出資者の一人だったからです。小岩井は野義真、崎弥之助、上勝の頭文字からきています。

和館
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畳敷きの廊下、襖絵
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 茅町本邸は往時は敷地面積1.5万坪を誇りましたが、現在公園になっているのは5,500坪。
 戦後のGHQによる接収され、財閥解体のあおりを受けて物納。昭和21年の財産税は、金融資産1,500万円以上は税率90パーセントという苛烈なものでした。
 国有化後は最高裁判所司法研修所等として使用され、敷地も南側の台地の縁が切り崩されたり、西側に国立近現代建築資料館が造られるなど蚕食されました。

建設当時の「茅町本邸實測圖」
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 洋館の南側は宏大な芝庭。榊原家時代からのものと思われる巨樹も残っています。
 往時は市中を見下ろす立地だったはずですが、低地に建てられたビルの高層化が進み、今や見下ろされることになっています。今後は失われた芝庭の一部(池之端文化センター跡地)が返還され、拡張されるそうです。

庭内には巨樹が聳える
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高さ2メートルはあろうかという石灯籠
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庭のスイセンの花
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 庭園側から洋館を見ると、後ろに東大病院が入ってしまいますが、近づいて低アングルにすることでかわすことができます。

ベランダ側には列柱が並ぶ
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 別棟として撞球場が建ちます。撞球とはビリヤードのこと。
 校倉造風(ログハウス風?)の壁に、細かな木のパネルを貼り合わせたスイスの山小屋風の造りにしています。洋館の地下通路はこの建物に通じていました。

撞球場
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室内
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 浅い谷を通る春日通りを挟んで、向かいの本郷台の縁に鎮座するのが湯島天神と通称される湯島天満宮。あまり縁がなかったので、初めての参詣です。
 「湯島」という地名は古く、平安時代には豊島郡の郷名としてすでに見られます。湯島郷は文京区湯島から旧下谷区、旧日暮里町にかけて、すなわち文京区から台東区西部あたりに比定されています。なお、文京区東部の「本郷」は「湯島本郷」が縮まった地名と考えられています。

 創建は南北朝時代の正平10年・文和4年(1355)とされ、文明10年(1478)に太田道灌によって再興されたと伝わります。徳川家康が江戸城に入った際には湯島郷が朱印地として与えられました。
 社殿は平成7年に造営されたため、まだ新しく見えます。

湯島天満宮拝殿
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本殿
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受験シーズンなので、絵馬の数がすごい
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御徒町方面から登ってくる男坂
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銅製の鳥居は寛文7年(1667)鋳造
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 裏から入って表から出る形になりましたが、鳥居前から延びる細い道を南下。道沿いにラブホテルが点在しているのは、湯島公園芸妓会所があった名残ではないかと思いますが、ちゃんと調べたわけではないのではっきりしたことは言えません。

 浅い谷を一つ挟むと御茶ノ水駅が近く、神田川の谷の縁には湯島聖堂があります。
 湯島聖堂は元禄3年(1690)に忍岡(豊島台先端部の上野台)から移ってきた孔子廟。聖堂には寛政9年(1797)に開学した昌平黌(昌平坂学問所、※)が併置され、幕府儒学の最高学府となりました。
※「黌」は「まなびや」の意。ちなみに25画。

 昌平黌は東京高等師範学校(のちの筑波大学)となり、湯島聖堂は大正関東地震の際に焼失したため、鉄筋コンクリート造りの中国風の建物で再建されました。

入徳門は宝永元年(1704)建立のものが残る
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杏壇門
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大成殿(孔子廟)
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 陽が傾いてきたので散策はこの辺りで切り上げます。神田川の深い谷に架かる聖橋を渡り、千代田線の新御茶ノ水駅へ。

聖橋から
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 遠回りになりますが、新御茶ノ水から大手町乗り換えで神保町へ。時間の許すだけ神保町の書店と古書店を回って過ごしました。

 竹橋から東西線で門前仲町に移動し、18時から23時過ぎまで3軒飲み屋をはしご。1時過ぎに辛くも帰宅しました。
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