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大洲―木造復元大洲城天守と臥龍山荘 (2018冬の四国瀬戸内・列車の旅5)

旅行日:平成30年1月(15~)16~18日⑤

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 冬の四国旅、第二日目。11:27に伊予大洲に着いた。今度はこの街を散策する。

 伊予大洲駅は肱川の左岸にあるが、市街地はその対岸にあたる。伊予大洲までの鉄道を引いた愛媛鉄道は小さな私鉄であったので、肱川への架橋費用を出せなかったのだろう。何しろ肱川は伊予国随一の大河であり、川幅も広いのだ。
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 駅から肱川に架かる肱川橋までの間は古い商店街になっていた。田園地帯だった国道沿いにロードサイド型の大型店が進出し、衰退したのだろう。
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醤油の香りが漂う醸造所
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 国道に合流し、橋を渡る。肱川橋は折しも架け替え工事中で、撤去が進む旧橋梁の橋脚の1本から架橋当時のレンガ造りの部分が露出していた。
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 橋の上からの眺めは良く、川に迫り出した小山の上に大洲城が築かれている様子もよく判る。盆地を囲む山々は靄を纏っていて、幽邃な眺めをしている。
 大洲盆地は河口から約12キロを隔たっているにも関わらず、標高は10~15メートル程度に過ぎない。そのため、盆地出口での排水性が低く、水害に遭いやすい。藩政時代はおよそ3年に一度は水害に見舞われ,水嵩が6メートルに達する大洪水も40回以上起きたという記録が残る。
 一方で、その豊かで穏やかな流れは舟運を可能とし、大洲藩の経済の大動脈でもあった。大洲が栄え、城が築かれたのも交通の便が良い要地であったからであろう。近世に大洲に改められる以前は大津と称されており、大きな河港があったことを偲ばせる。

天然の要害たる大洲城
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広い川幅に豊かな水量の肱川上流方向
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 城下の狭い道を辿り、まずは大洲城へ。
 中世大津を治めていたのは、元弘元年(1331)に伊予国守護に任じられた宇都宮豊房に始まる宇都宮氏あった。豊房は現在の大洲市などにあたる喜多郡支配の拠点として,大洲城の前身となる地蔵ケ岳城を築いた。

 戦国期の宇都宮氏は東・中予の河野氏,南予の西園寺氏,土佐国の長宗我部氏,一条氏,豊後国の大友氏に挟まれ,たびたび侵攻を受けた。永禄11年(1568)に河野氏と毛利氏の連合軍に攻められ、城主の宇都宮豊綱は捕らえられた。この戦いで毛利方を率いたのが小早川隆景であった。大津城には河野氏の家臣である大野直昌が配置された。
 豊臣秀吉の四国征伐に際には大野直之(直昌の弟)が敗れたが,この際に再び開城したのは小早川隆景の軍勢であった。

 先ほど肱川橋から見えたように、平地より30メートルほど高い城山の北と東側の山裾は肱川の流れが洗っており、天然の要害をなしている。なので、濠は西と南側に設ければよい。まるでここに城を築いてくれと言わんばかりの突兀とした山だ。

埋め立てられた内濠の向こうが二ノ丸大手門跡
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大洲城の大手
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 四国平定後、小早川隆景の伊予国支配は道後の湯築城を拠点としたため、大津城はその支城という扱いであった。隆景の転封した天正15年(1578)、大津城には戸田勝隆(喜多・宇和郡16万石)が入封した。その後、池田高祐,藤堂高虎(喜多・宇和郡7万石),脇坂安治・安元(喜多・浮穴・風早5.3万石)の統治が行われた。近世城郭は藤堂氏から脇坂氏の時代に築かれたとみられる。
 その後、元和3年(1617)に伯耆国米子から加藤貞泰が大津6万石(喜多・浮穴・伊予・風早4郡のうち)を与えられて入封。6年後に1万石が新谷藩となるが,加藤氏が250年にわたって支配した。大津から大洲へと地名が改められたのはこの頃とされる。

本丸下段でも水を得られるよう巨大な井戸があり、井戸丸とも称される
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井戸丸から見上げる復元天守と高欄櫓
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 本丸の上段に築かれた天守は4層で,東の台所櫓,南の高欄櫓につながった連立式天守であった。台所櫓と高欄櫓は安政地震で大破したため,安政6年(1859),万延元年(1860)に再建されたものが残る。天守は明治21年に解体された。
 本丸上段の入り口には櫓門形式の暗り門があったというが、これも失われている。

左右の石垣が残る暗り門の跡
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台所櫓と復元天守
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 明治期に解体された大洲城天守は平成16年(2004)に復元された。復元事業にあたっては、古写真や江戸期に作られた「天守雛形」といった史料に基づき、国産の木材だけを使用したという。
 できる限りオリジナルに近づけるというのが平成の復元天守なのだろう。鉄筋コンクリートで取り敢えず復元して街のシンボルにした昭和の城とは違うんだぞという気概が伝わってくるようだ。

 天守に足を踏み入れると、まだ新しさを感じる艶やかな木材は明るい。湿度が高いので、木肌は濡れていた。関東は乾燥を極めていたので、夏のような湿っぽさがひどく懐かしく感じられた。決して気温が高いわけではないが、湿度が高いだけでこんなに過ごしやすいとは。

他に類を見ないという1,2階の吹き抜け構造
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 大洲城の縄張りを復元した模型も展示されていた。天守が復元されたとはいえ、石垣の上の櫓がことごとく失われ、往時よりもだいぶ寂しいことになっている。

大洲城の復元模型
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 急な階段を昇って4階まで行くと、大洲盆地を一望にする。

南側の旧武家地を見下ろす
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肱川を挟んで伊予大洲駅方面。靄の中を予讃線の特急列車がゆく
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西側に僅かに残る濠は菖蒲園になっている (井戸丸から)
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 下って三ノ丸に戻る。かつての三ノ丸は街に取り込まれ、範囲も明瞭としなくなっている。
 大正14年(1925)に建てられた加藤家住宅が残る。大洲藩主だった加藤家の住まいだったところだ。それにちなみ、現在は「お殿様公園」になっている。

旧藩主の加藤家住宅
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 お殿様公園には三ノ丸南隅櫓も現存する。明和3年(1766)に改築されて以来のものとのこと。天守などがある辺りからはだいぶ離れているが、台所櫓、高欄櫓、苧綿櫓とともに重要文化財指定を受けている。

三ノ丸南隅櫓。濠の跡は学校のグラウンドに変わった
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 城郭からは離れ、城の東側に広がる城下町へ。「広がる」とは言っても、肱川と山に挟まれた平地は狭い。道は狭く、かなり建て込んでいる印象だ。
 本町の「おおず赤煉瓦館」は明治34年に建てられた旧大洲商業銀行。銀行自体は統廃合を経て伊予銀行になっており、近くに支店がある。

本町の旧大洲商業銀行
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中町の家並み
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古い商家などが残る
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崩れかけた土蔵と石畳の小路
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 古い街並みを段丘の縁まで行くと、臥龍山荘がある。藩主加藤家の下屋敷の庭園があった場所であるが、明治時代に大洲出身の木蝋商河内寅次郎が山荘を設けた。
 入り口の石垣からして手が込んでいることを窺わせる。

月を象ったという円い石材
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 門の脇に建つ臥龍院は数寄屋造りで、4つの部屋からなる。桂離宮、修学院離宮、梨本宮御常御殿などを参考にし、京都からも職人を呼んで最高の用材で作らせたという。

縁側から肱川を望む
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「清吹の間」。肱川と筏流しをモチーフにした欄間
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一枚板にわざわざ線を引いた床板
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「霞月の間」。霞む月と棚引く雲を表現
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襖の引き手にはコウモリの意匠
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 臥龍院の背後は段丘崖を生かした細長い庭園になっており、その奥に不老庵が建つ。

灯篭の剥げたように見える部分は牡丹苔という生長の遅い珍しい苔
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手水鉢を飾り付けるなど、手入れの行き届いた様子
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 不老庵は肱川の崖に迫り出して建てられた懸造りの建物。川の方から見てこそその妙が判るのだろうが、公共交通機関の旅は小回りが利かない。

不老庵
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柱にマキの生木を使っている
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 建物の内部は舟底天井になっている。月の明るい夜には、肱川の水面に反射した月光が室内を照らすという風流な設計なのだそうだ。
 その肱川も上流にダムができたり、河川改修が進んで姿を変えたことだろう。きょうは雨で水量が増し、水鳥が流れに逆らって泳いでいた。

室内
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肱川には沈下橋も架かる
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 足を速めて駅に戻った。意外と距離があるので、片道はバスを使えばよかったかもしれない。

最後に肱川橋からの大洲城を再度写す
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 また列車時刻ギリギリになってしまった。昼食を摂る時間がなかったので、駅近くのスーパーでおにぎりを購入。空いていれば車内で食べよう。
 次に乗るのは14:09発の旧線(伊予長浜)廻り松山ゆきだ。

大洲城天守をバックに、単行のディーゼルカーが到着
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