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姫路城に登城する(後) (青春18きっぷでめぐる冬の関西3)

旅行日:平成29年12月(18~)19・20日③

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 姫路城に登城し,の門まで来た。ここからはいよいよ内陣だ。

写真はの門前での乾小天守
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 内陣に入ると,大小天守の間に小さな門が連続する。これまでは「い・ろ・は…」と名前がついていたが,内陣では「水一,二,三…」となる。
 最初の水一ノ門はの門から油壁を回り込んだところに設けられている。ここまでは登り一辺倒であったが,門の先は緩やかな下り坂に転じており,敵兵を惑わす。

油壁を回り込んだところが水一ノ門
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櫓を迫り出させ,狭くしてある水二ノ門
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 ところで,姫路城内の瓦には様々な家紋を見ることができる。これは城主の家が度々換わり,随時修復が施されてきたことを示している。

 関ケ原の戦いで西軍が敗れると,播磨国の豊臣家蔵入地(直轄領)は没収され,豊臣家に関わりの深かった大名もことごとく除封された。ただ,姫路城の木下家定は豊臣一門ながらも京で妹の北の政所を守護して中立を保ったため,備前国足守への移封ですんだ。
 こうして空白域となった播磨国には慶長6年(1601)に池田輝政が1国52万石を与えられて入封した。旧領は三河国吉田15.2万石であったので,大幅な加増であった。そして,翌年には新たなる姫路城築城と城下町整備に乗り出した。築城の費用を賄うため,輝政は検地帳の高直しを行い,播磨国は検地高約62万石に引き上げられた(のちに引き下げ,52万石に戻る)。
 輝政による新・姫路城は5層の天守と3つの小天守をそなえた連郭式で,普請には8年を要した。城郭は城下町全体を濠で囲った総構えで,江戸城と同じ左巻きの渦巻き型に三重の濠をめぐらせた。
 姫山の北を通っていた山陽道は城南の城下に引き入れ,播磨国の中心都市の形成を図った。

 姫路城を中心とした播磨国の統一支配は池田輝政の一代で終わった。嫡男の利隆には42万石が与えられ,西播磨3郡(佐用・赤穂・宍粟郡)は備前国岡山城の弟・池田忠継(28万石)領に加えられた。

備前蝶は池田家の家紋,桐紋は各家で使われた
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 水三ノ門から五ノ門にかけては枡形が連なり,いよいよ大天守が迫る。
 鉄を多用した強固な水五ノ門を抜けると天守の内庭に入る。天守な土足禁止。見学中は脱いだ靴を持ち運ばねばならず,億劫はある。

水三ノ門
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西小天守と大天守の間の水五ノ門
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 姫路城大天守は五層で,内部は7階建であった。
 天守は上層階ほど小さくなるので,下層階は面積が広い。照明に乏しく,もっぱら日光に頼っていた時代の建築物であるので,内部は薄暗い。

下層部は陽も入らず薄暗い
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明るい南側(2階くらい…?)
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壁面には武具を掛けていた
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 大天守は東大柱・西大柱の2本の柱によって支えられている。長さは24.6メートルあり,当初前者は樅材,後者は栂材と樅材で造られていた。築城から300年を経て変状を来したため,太平洋戦争を挟んだ昭和の修理の際に東大柱の下部を台湾産の木材に,西大柱は檜材に取り替えられた。

大天守を支える2本の柱
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 天守の6階の窓からの眺望は見事であった。ただ,格子が入っているので撮影は難しい。絞りを下げてもぼんやり影が入ってしまった。
 南は大手前通りの向こうに姫路駅が見え,そのずっと後ろには瀬戸内海が鈍く輝いている。煙突が点在しているのは飾磨で,家島の山影も望まれる。東西には山陽地方らしい標高は高くないが突兀とした山が重なる。

大手前通りごしに姫路駅方向
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東側には市川の平野が広がる
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西側には姫山・鷺山と同じような小山もみえる
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小天守に展示されていた城下町のジオラマ。姫路駅から姫路城の方向
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 天守から出ると,南側の備前丸に導かれる。この小ざっぱりした通路は築城当時にはなかったものだが,城内見学の一方通行化に一役買っている。
 現在は広場になっている備前丸だが,藩政時代には藩主の居館が建っていた。が,明治15年の火災で焼失した。
 ここから見上げる石垣と大天守の巨大さ。

備前丸からの大天守と西小天守
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 備前丸から二ノ丸へ下るルートは,登城路と重ならない。往時は登ってきたルートが「上道」,備前丸経由は「下道」と区別されていた。こちらも門や櫓が連続し,見所は多い。
 が,見学者は食傷気味なのか,天守を見たあとの消化試合のようにだらだら歩いている人も増えた。

 最初の門は備前門。櫓門形式をとるこの門も明治の火災で焼けてしまい,昭和の修理に際して復元された。門の手前の石垣には石棺が用いられているのがはっきり判る。石棺をはじめ,燈籠や墓石の流用は戦国期の城郭の石垣には間々見られ,転用石といわれる。

備前門。左手前の石垣には転用石の石棺が
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 備前門の東側には低地に突き出した腹切丸があるが,修復工事のため立ち入ることができなかった。
 その下は「いろは門」が復活して,りの門。この門からは慶長4年の墨書きが発見されており,木下家定の時代に建てられたことが判明している。
 「り」と「ぬ」の間は有名なお菊井戸のある上山里丸。

築418年のの門
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櫓門形式のの門
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 の門との門の間では,特に「扇の勾配」と呼ばれる高石垣を間近に見ることができる。反り返った石垣は上ほど切り立ち,敵がよじ登るのを防いでいた。
 きょうは自衛隊員が登っており,何もこんなところで訓練をしなくても…と思ったのだが,よく見ると石垣の隙間に生えた草を抜いていた。姫路城址には早くから陸軍が置かれ,現在も町の北側に陸上自衛隊の姫路駐屯地が所在する。

反り立つ扇の石垣で除草作業中
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埋門のの門を上から
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の門の右手には池田輝政の時代に石垣が拡幅された痕がある
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 るの門をくぐると,三国堀のある二ノ丸に戻る。
 菱の門をから出ていってしまう人たちを後目に,鷺山に築かれた西の丸を一巡する。

 西の丸は本多忠刻の時代に築かれた。
 池田利隆の死により子の光政が跡を継いだが,まだ7歳の幼い藩主に要地姫路は任せられないと,元和3年(1617)に因幡国鳥取に移封された。姫路には伊勢国桑名から本多忠政が所領25万石(うち10万石は子の本多忠刻領)で入った。池田家時代の42万石との差として,明石10万石に小笠原忠真,龍野5万石に本多政朝(忠政の次男)が配置され,畿内と中国地方の間にあたる播磨国は譜代大名で固められた。
 忠刻の正室は徳川家康の孫娘千姫(秀忠と江の子)であった。千姫は7歳で豊臣秀頼に輿入りし,大坂夏の陣で落城した大坂城から助け出された。救出後,江戸に戻る際に忠刻と再婚し,化粧料として10万石を得た。
 一国一城令が出たばかりの時期であったが,西の丸の造営は許可され,忠刻と千姫の居館中書丸が西の丸,下屋敷「武蔵野御殿」が三ノ丸に設けられた。

西の丸からは各櫓の甍がひしめく様子が見える
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長く連なる百軒廊下
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ヲの櫓からは櫓が天守まで連なっているかのように見える
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 百軒廊下の北の先には化粧櫓があり,見学ルートの出口となっている。
 化粧櫓は千姫の化粧料10万石の一部を使って築かれたものとされ,千姫はここから男山八幡宮を遥拝したという。夫の忠刻との間に儲けた男子は夭折し,忠刻自身も31歳で病死してしまったため,千姫の姫路住まいは10年間だった。

化粧櫓
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櫓内は住宅様式になっており,千姫の居室を再現
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 要地であった姫路の領主は江戸時代に目まぐるしく代わった。藩主が幼年では任せられないということで,本多氏のあとは松平(奥平)氏,松平(結城)氏,榊原氏が入封。この時代には河川改修と積極的な新田開発が行われた。榊原政倫も2歳で藩主となり,再び松平(結城)氏,本多氏,榊原氏,3度目の松平(結城)氏が入ってくる。
 寛政2年(1749)には松平明矩が転封となるが,その際の御用銀の不還付や飢饉の際の年貢の取り立てに激怒した領民による大一揆が起こった。次に入封した酒井忠恭は大水害下での入城となったが,早速復興に手腕を発揮した。旧領の上野前橋と同じように藩校好古堂を設けて教育にも力を入れ,領民に飢饉に備えて麦などの貯蔵を行うことを触れた。
 酒井氏は本多氏,榊原氏と並ぶ徳川四天王の家柄で,ようやく幕末までの長い治世が続くことになる。

 これで一旦城を離れ,周辺の散策に移る。

次の記事 姫路城下町散策と黄昏の天守
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