FC2ブログ

Entries

青春18きっぷでミニトリップ―上諏訪宿と高島城址と片倉館

旅行日:平成29年12月15日②

前の記事 青春18きっぷでミニトリップ―製糸業の街岡谷へ
 中央線列車で上諏訪駅に降り立ったのは14時半過ぎであった。17時には真っ暗になるから,持ち時間は少ない。
 駅は国道20号に近接しており,ロータリーの確保もままならないほどの距離だ。

上諏訪駅。イルミネーションは花火をモチーフにしている
IMG_8931.jpg

 甲州街道を拡幅した国道沿いは商店街になっており,古そうな商家や看板建築が多い。駅は甲州街道の上諏訪宿の京都方の外れに設けられたようだ。甲州街道は下諏訪宿で中仙道に合流するので,江戸から来ると上諏訪宿が最後の宿場であった。

銀行建築の雰囲気を持った学習塾
IMG_8932_20171222195518fa0.jpg

国道沿いに2,3階建の看板建築が連なる
IMG_8933.jpg

煙草屋に八百屋,洋品店に電器屋が所狭しと並ぶ
IMG_8935_20171222195520af8.jpg

 その中で特に際立った存在が,隣り合った花屋と貴金属店だ。いずれも木造建築のファサード(正面)にパネルを貼り,洋風の装飾を施した看板建築である。
 右側のブライダル染花みむら店舗は昭和4年の建築で,石造り風。左側は三村貴金属店店舗は昭和3年の建築で,半円形の装飾に特徴がある。両方とも国有形文化財に登録されている。

2つの看板建築が並ぶ
IMG_8936.jpg

 緩やかに坂を登りながら東京側に少し進んでいくと,造り酒屋が立ち並ぶようになる。上諏訪といえば,「真澄」の宮坂醸造(現社名は神州一味噌)が有名だが,霧ケ峰の伏流水を生かした酒造りが盛んな土地なのだ。
 蔵元は和風建築が多いので,先ほどの看板建築群とは好対照だ。「試飲できます」の看板に魅かれるが,入れば買わずには済まないだろうし,酒瓶を持って歩くのは大変なので,暖簾はくぐらないでおく。

「信州舞姫」の舞姫酒造
IMG_8939.jpg

大きな建物の麗人酒造
IMG_8942_20171222195525361.jpg

宝暦6年(1756)創業の酒ぬのや本金酒造
IMG_8943.jpg

 街道沿いはどこまでも歩いて行ってしまいそうなので,角間川に架かる橋が現われたのを機に右に折れる。側溝に敷設された鉄管には温泉が流れているらしく,ところどころに設けられた蛇口からは湯がほとばしっていた。「湯小路」という名の交差点があったので,そういう名の通りなのだろうか。

開け放たれたままの蛇口からは湯が出ていた
IMG_8945_20171222195528477.jpg

路地の曰くありげな建物
IMG_8947.jpg

 単線の中央線を踏切で越えると,土地は低くなり,川が複雑に交わり合うエリアとなる。この先にある高島城は,防御のために諏訪湖に近い低湿地帯に築城された。今はすっかり陸地に取り込まれているが,張り巡らされた河川にその名残が見える。

中門川が島崎川と交差し,衣の渡川が分流する一劃
IMG_8948_20171224014424f23.jpg

 高島城址は高島公園になっており,北側の濠と石垣が残る。天守などは復元されたものだ。

 諏訪郡では古くから諏訪大社の大祝(おおほうり)であった諏訪氏(上社)と金刺氏(下社)の力が強く,平安期には武士化したと考えられている。南北朝期には金刺氏が信濃国司小笠原氏に帰順するが,これを諏訪氏が駆逐し,諏訪地域の支配を固めた。
 しかし,戦国時代には甲斐国の武田信虎(信玄の父)が伸張し,敵対するようになる。一時は和睦したものの,信虎を駿河国へ放逐した信玄は諏訪郡に侵攻し,諏訪頼重は自害させられた。
 大祝は頼重の叔父が継ぎ,信玄は自刃した諏訪頼重の娘を側室にした。この二人の間に生まれたのが,のちに武田家を継ぐことになる四男勝頼である。信玄は勝頼に諏訪氏を継がせる積りだったようだが,長男義信が幽閉されたことで本家に戻った。

 設楽原の戦いで武田勝頼が敗れたのが天正3年,織田信長の甲斐征伐によって勝頼が自刃したのが天正10年3月。論功行賞で甲斐国と信濃国諏訪郡は河尻秀隆に与えられたが,その僅か3ケ月後に本能寺の変が起こる。これに乗じて諏訪大社上社大祝の諏訪頼忠が茶臼山城(古い時代の高島城)を奪還した。
 頼忠は北条氏政について徳川家康と戦うが,敗れて臣従することとなった。その際に諏訪郡を安堵されるが,家康の関東移封に伴って武蔵国(のちに上野国)に移った。
 代わって諏訪郡には日根野高吉が配置された。高吉は諏訪湖に面した湿地帯に高島城を築いた。

復元角櫓。濠の水面は凍り付いている
IMG_8953_20171224014425aa7.jpg

大手の冠木門と冠木橋
IMG_8954_2017122401442770c.jpg

 日根野高吉は安土城や大坂城の築城にも関わった人物であるが,湿地への築城には多くの困難を伴ったようだ。城郭の不等沈下を防ぐためにマツの丸太を井桁状に組んで沈め,その上に盛土をして石垣を積んでいるという。だが,後年に何度も崩れている。築城期からの石垣はもはやほとんど残っていないとのこと。
 慶長6年(1601),高吉の子吉明のときに日根野氏は下野国壬生藩に転封となり,入れ替わりに諏訪頼水(頼忠の子)が旧領に復帰した。古来からの縁地への復帰の歓びは一入だったのではないだろうか。以降は江戸時代を通じて諏訪氏の知行が続いた。

 高島城は廃藩置県後に石垣を除いて取り壊され,公園として開放された。天守は昭和45年に復元された。当地は寒冷な気候であるため,往時は瓦の代わりにこけら葺きだったというが,銅板葺で復元されているほかは史料・写真考証に基づいているそうだ。
 復元天守の内部は3層の資料館になっているが,鉄筋コンクリート感が強かった。

夕陽を受けた復元天守
IMG_8957.jpg

 高島城本丸の北側には二ノ丸,三ノ丸が配置され,甲州街道の通るこちら側の守備を重視していたことを窺わせる。三ノ丸と街道との間には縄手道だけが通じていたというが,平和な時代を迎えて周辺の干拓が進んだ。干拓地ももはや市街地に取り込まれために「諏訪の浮城」と呼ばれた往時を偲ぶことは難しい。

天守の上層から諏訪湖を望む
IMG_8972_20171224014424078.jpg

城郭時代には湿地の中に1本だけの縄手道が延びていたというが…
IMG_8975.jpg

 住宅地に変じた三ノ丸あたりを歩くと,大きな醸造蔵があった。
 「真澄」の宮坂醸造が所有する丸高の蔵と店舗である。大正時代(1912~18頃)の建築とのこと。

大きな切妻造の丸高蔵店舗(国登録有形文化財)
IMG_8979.jpg

 衣の渡川に沿って諏訪湖の湖岸へ。湖岸道路には市の木であるカリンが植えられている。
 太陽が湖の南西の山の端に隠れると,急速に暗くなってゆく。それととも急に冷え込んできた。湖面を渡る風も冷たい。

揺らめく水面が夕照を映している
IMG_8985.jpg

岡谷あたりの街並みと北アルプス
IMG_8988.jpg

 湖岸を辿り,上諏訪温泉へ。温泉街にある日帰り入浴施設・片倉館に寄っていく。
 片倉館の「片倉」とは,前回の岡谷の項でも触れた片倉組のことである。
 2代目片倉兼太郎は大正末期に欧州・北米を視察に訪れ,その際に地域住民への福祉施設が充実している点に感銘を受けたという。そして,そのような施設を諏訪地域にも造りたいと考え,昭和3年(1928)に完成させたのがこの片倉館であった。
 建設の基金は片倉一族から募り,国家公務員の初任給が75円の時代に80万円を集めたという。良くも悪くも格差の時代を感じるエピソードだ。

 敷地内の諏訪市美術館は旧懐古館で,戦前を象徴するような帝冠様式に近い。昭和18年に建てられ,戦後に市に寄贈された。コンクリート造りに見えるが,木造建築だという。

急角度の屋根に塔屋や煙突を配置した片倉館
IMG_8998.jpg

隣接する会館棟
IMG_8996.jpg

旧懐古館である諏訪市美術館
IMG_8994.jpg

 浴場は「千人風呂」と称されるほど広く,天井も高い開放的な造りになっている。全体的に洋風で,彫刻やステンドグラスが配されている。
 大きな湯舟は深さが1.1メートルもあり,底には玉砂利が敷かれている。「歩くとほど良い刺激が得られる」という触れ込みだが,歩くと波立ってしまうので,他に人がいるときは大人しくしていた方が良さそうだ。湯温はやや高めで,長くは浸かれなかった。

 2階には休憩室があり,さらに一段高くなったバルコニーからは諏訪湖と周辺の夜景を望んだ。湯上りの身体には冷たい夜気が心地よい。

対になっている屋上の排気孔
IMG_9002.jpg

バルコニーから望む諏訪湖
IMG_9006.jpg

ライトアップされた片倉館
IMG_9011.jpg


 片倉館から上諏訪駅までは7,8分。列車の時刻を見計らって歩き出した。上諏訪駅は甲州街道側にしか改札がなく,湖側からのアプローチは一旦跨線橋を渡らねばならない。橋上駅舎にしないのだろうか。

 上諏訪18:09発の甲府ゆきは,交換の特急列車を待ったために発車が少し遅れた。まだ朝の遅延を引きずっているようだ。
 眠っている間に県境を越え,甲府盆地が近づく。終点甲府では塩山ゆきにしか接続せず,後続の大月ゆきは小淵沢始発なので,韮崎で一旦下車。
 韮崎駅前には商業施設「ライフガーデンにらさき」がある。片倉工業の工場跡地に立地しているので,今回の小旅行と少しは関連がある。もっとも,私が訪れたのはビールとつまみを購入するためであった。

 大月ゆきは空いていて,甲府まではボックス席を占めることができた。甲府では7分停車し,特急「スーパーあずさ32号」の接続待ち。しかし,またまた遅延。
 甲府発車の時点で7分遅れたが,大月までに5分を取り戻した。後から特急「かいじ124号」(甲府始発なので定刻)が追ってきているので,なんとか逃げ切れた恰好だ。

 大月からは17分の接続で,中央特快東京ゆき。これまた遅れており,発車時刻を過ぎてから到着した。気温は既に氷点下まで低下しており,ホームの寒気が身に染みた。
 東京直通はオールロングシートになるが,10両の長い編成は空いているのであまり気にならない。ドアには押しボタンがついており,停車中に寒気が入り込まないのも良い。

 八王子で横浜線に乗り換え,橋本からは相模線。接続が悪くて25分くらい待たされた。
関連記事
スポンサーサイト
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://sagaminomen.blog.fc2.com/tb.php/660-4cdeb926

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

プロフィール

さがみぃ

Author:さがみぃ
相州生まれの相州育ちです。
このブログと筆者については,水先案内からご覧いただけます。

トップページ

【PC推奨】行先別INDEX

アクセスカウンター

(平成24年8月22日設置)

検索フォーム

QRコード

QR

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる