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鳥海ブルーラインを走って鳥海山五合目鉾立展望台へ (2017晩夏の越後南東北ドライブ旅 5)

旅行日:平成29年8月29日~9月1日⑤

最初の記事 曇天空振り魚沼スカイライン
前の記事 日本海沿いを北へ―鼠ケ関から庄内平野を経て象潟・蚶満寺まで
 越後・南東北ドライブ旅,第二日目。秋田県にかほ市,象潟の蚶満寺までやって来た。時刻は16時。
 きょうの宿泊地は山形県酒田市なので,そろそろ引き返すことにしよう。鳥海山の西側には鳥海ブルーラインという旧有料道路の県道が通っており,象潟から鳥海山の5合目まで上がり,遊佐町の吹浦に下ることができる。この手の道路は山頂に向かって登るだけというパターンが多いので,通り抜けられるのは嬉しい。時間も時間なので,あわよくば高みから日本海に沈む夕陽を見たい。

 その前にもう少し九十九島を見ようと,蚶満寺から象潟の郊外に走らせる。

鳥海山にかかっていた雲はほとんど取れた
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規模の大きなマツの丘も
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 日東道の象潟ICへのアクセス道路を登ってゆくと,日本海と九十九島を見渡すことができた。黄色くなりつつ稲穂の海と,深緑のマツの取り合わせは今だって充分に風光明媚だと思わせる。
 そもそもどうして九十九島ができたかというと,これは約2500年前の弥生時代に起こった鳥海山の大規模な山体崩壊による。この際の岩屑雪崩は日本海に達し,その流れ山地形が浅瀬の島となった。その後,沿岸流によって砂洲が造られて外海と切り離され,潟になったのだ。

高台から見下ろす九十九島
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 インターを通り過ぎてなおも登ると,標高180メートルくらいのところで平坦面に達する。
 平野との間に奈曽の白滝という大きな滝があるので,見ていこうと駐車場に停めたが,歩くようなので止める。歩くのを厭う様ではいけないが,夕暮れまでの時間が惜しかった。鳥海山の周辺には飽海三名瀑をはじめとした滝や湧水が豊富なので,また来たときはじっくり見て回りたい。

白い花をつけた蕎麦畑を前景に
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 奈曽の白滝からは急勾配でぐんぐん登る。ヘアピンカーブが連続し,植生もどんどん移り変わり,低木が多くなった。緯度が高いので,関東甲信越あたりの山に較べるとかなり低い標高で高木限界を迎える。
 4合目くらいで路肩が広がっている場所があり,周囲も開けていた。海や街が遥か下になっている。

陽の光の道ができた日本海
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雄大な道路の風景
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丘陵地の間を田んぼが埋め尽くす旧象潟町方面の大展望
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崖の縁に風力発電機が林立する南由利高原
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 さらにカーブを繰り返し,奈曽川の深い谷を挟んで稲倉岳(標高1,554メートル)を望む場所に来た。
 遠くからだと大きな一つの山のように見える鳥海山であるが,西鳥海山と東鳥海山の二つの円錐形成層火山からなり,稲倉岳は前者の方に区分される。鳥海山の火山活動は約55万年前に始まり,16~2万年前に西鳥海山が,2万年前以降に東鳥海山が形成された。新しい東鳥海山の方が急峻で,標高も高い。
 西鳥海山は稲倉岳の他,笙ケ岳(標高1,635メートル)や月山森(同1,650メートル)などの外輪山からなり,長径2キロほどの爆裂火口の内部には鍋森,扇子森の中央火口丘や火口湖の鳥海湖をもつ。しかし,ここからだと火口内部を窺い知ることはできない。

稲倉岳
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象潟は遥か下方に
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 ここまで来れば,五合目の鉾立展望台は間もなくだった。山荘や食事処,トイレなど一通りの施設があるものの,人気はほとんどない。広い駐車場に何台か停まっているクルマの主は山に入っているのだろう。
 温度計は13度を示しているので,いろいろと着込んでから車外に出る。風がなく陽が射しているからいいものの,8月とは思えない気温の低さだ。

 展望台は奈曽川の深い谷に迫り出すような造りになっていて,谷底を覗きこむと足が竦む。みるみる雲が湧いてきて真っ白になったからと思いきや,雲が流れてまた山体が見えたりする。なかなか目まぐるしい。

日暈の中に自分の影が映った
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谷伝いに雲が流れ下ってゆく
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深く深く刻み込まれた奈曽川の谷
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 稲倉山の後ろに黒々と姿を見せているのが,標高2,236メートルで鳥海山最高峰の荒神ケ岳。こちらは東鳥海山に属する。
 東鳥海山はは七高山(2,229メートル)や伏拝岳を外輪山とし,長径約3キロの爆裂火口に荒神ケ岳や新山がある。新山は享和元年(1801)の噴火でできたため,享和岳とも呼ばれている。山岳信仰の山であるので,荒神ケ岳には大物忌神社が祀られている。
 東鳥海山は弥生時代の紀元前466年に大規模な山体崩壊を起こし,馬蹄型のカルデラが生じた。なぜ紀元前のことが年単位で特定されているのかというと,埋もれ木の年輪年代測定法によるらしい。木の年輪幅が寒暖の差によって変わることを利用したものだという。

 それはともかく,この際の岩屑雪崩は日本海に達し,象潟の流れ山地形を形作った。カルデラはその後の火山活動による熔岩で埋まり,荒神ケ岳の熔岩ドームが形成された。
 貞観13年(871)には山頂附近で水蒸気爆発を起こし,火山泥流が山麓に多大な被害をもたらしたことが記録されている。前述の享和の噴火では登拝者8名が噴石の犠牲になっている。最近では昭和49年(1974)の春先に水蒸気爆発を起こし,融雪泥流を引き起こした。

荒神ケ岳や七高山などからなる東鳥海山は黒っぽく見える
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手前の急崖には白糸の滝が懸かる
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奈曽川の谷から出た雲が高原地帯を覆う
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 鉾立山荘は秋田県に位置するが,鳥海山の各峰は山形県に属する。一般的に,県境クラスの境界は尾根に沿って山頂に達することが多いだろうが,鳥海山附近の県境は妙に直線的な上に山頂部を山形県側が独占している。
 これは,境界をめぐって宝永元年(1704)に矢島藩と鶴岡藩が幕府に訴え出たことによる。幕府の裁定により,西は笙ケ岳から稲倉岳の8合目,東は女郎岳の腰の不毛の地を由利郡(矢島藩)と飽海郡(鶴岡藩)の境界とした。その後,廃藩置県後の県域の変遷を経て由利郡は秋田県に,飽海郡は山形県に属したため,このような境目になっているのだ。

 いつの間にか西の空は雲に覆われていた。太陽も隠れ,これでは海に沈む夕陽は拝めそうにない。
 逆光が解消されて見えやすくなった西の方には庄内平野や,山形県唯一の離島である飛島の小さな姿が望めた。

山体に当っていた陽が翳り,綿状の雲が湧いてきた
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庄内平野を遠望
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洋上には海岸段丘からなる平べったい飛島の姿
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 山形県側の吹浦まで一気に下る。眺望的には鉾立展望台に劣るので一度も停まらなかったが,5合目に近い国民宿舎大平山荘は眺めが良さそうであった。
 国道7号で酒田の近くまで戻り,市街をぐるりと迂回するそのままバイパスを進む。酒田ほどの都市ともなるとロードサイド店も充実している。宿泊先もイオンの隣りであった。
 第二日目の走行距離は314.3キロ。累計で700キロを少し超えた。

次の記事 眺海の森から出羽三山の羽黒山を経て秋保温泉へ
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