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日本海沿いを北へ―鼠ケ関から庄内平野を経て象潟・蚶満寺まで (2017晩夏の越後南東北ドライブ旅 4)

旅行日:平成29年8月29日~9月1日④

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 越後・南東北ドライブ旅第二日目。鼠ケ関(ねずがせき)で新潟県から山形県に入った。鼠ケ関は緯度で言うと尾花沢や古川と同じくらいにあたるので,既にずいぶんと北まで来ていることになる。
 鼠ケ関は勿来関,白河関とならぶ奥羽三関の一つである念珠関(ねずのせき)が置かれた地であった。弁天島というのが景勝地らしいので,東北突入記念に立ち寄ってみることにした。

 弁天島は陸繋島のようだが,陸繋砂州の部分は漁港の堤防にされている。島には海洋信仰の厳島神社があった。
 島の先端には灯台があるようだが,南側に造られた歩道は随分荒々しい。崖の途中に辛うじて人が歩けるだけの水平な部分を造り,脇にはホッチキス状の金属製の手すりが点々と打ち付けてある。その歩道は波に洗われ,とても通れそうにない。

社殿が新しい厳島神社
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波が洗う弁天島灯台への道
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 仕方なく島の北側に回ると,こちらには通れる道があった。磯は黒っぽい色をしている。笹川流れの花崗岩と同じく深成岩の斑レイ岩であるが,こちらは苦鉄質(花崗岩は珪長質)であるので色が違うのだ。生まれた年代も新しく,日本海が拡大して以降のものらしい。
 灯台の向こうに見える粟島はだいぶ小さくなってきた。胎内市以来のお付き合いもそろそろ終わりになりそうだ。

弁天島北側の黒っぽい色の磯
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小ぶりな灯台の向こうに粟島
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笹川流れ方面を振り返る
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通るのを断念した遊歩道を上から見下ろす
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漁港の道端ではイカを干していた
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 江戸時代の念珠関は街の北にあったらしい。国道7号に戻るところの交差点名は異字体の「鼡ケ関」となっていた。
 6キロほど進むと日東道のあつみ温泉ICがある。鶴岡西ICまでは通行料無料だが,トンネルばかりだろうからそのまま国道を進む。無料高速のおかげで交通量は再び減ってくれた。

 国道7号の方も由良からは内陸に入って鶴岡,三川を経て酒田を目指すので,由良で海沿いの県道50号に折れる。
 由良の港は出羽三山の開山伝承にも登場する。飛鳥時代の崇峻天皇の第三皇子である蜂皇子は蘇我馬子から逃れて丹後国由良から日本海を北上し,当時はまだ倭国の勢力圏外であったこの地にに上陸したという。由良からは三本足のカラスに導かれて羽黒山に登り,さらに月山と湯殿山を開山したとされる。丹後の由良と同名の当地を結びつけたのだろうか。
 由良の集落を見下ろす場所では,鳥海山も姿を現した。山頂附近に雲がかかっている。

由良港。荒倉山と白山島の間に鳥海山が小さく見える
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 由良から加茂にかけては崖下の海沿いを走る。道も広くて気持ちよいが,波飛沫を浴びてフロントガラスが白く汚れる。
 加茂にはクラゲの展示で知られる鶴岡市立加茂水族館がある。駐車場は埋まり,施設前にも人が大勢。最近流行っているとは聞いていたが,ここまで人気があるとは思わなかった。
 国道112号に折れ,高館山を回ると東側の山が切れて,庄内平野に入る。緑に覆われた砂浜海岸が延び,手前には湯野浜温泉のホテルビル群が並ぶ。そして,背景にはたおやかな鳥海山の優美。

由良と加茂の間にて。白波が押し寄せる
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庄内海岸,湯野浜温泉,長く裾を引いた鳥海山
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 湯野浜温泉を抜けると風景は一変し,鬱蒼とした松林となった。庄内平野の海岸部には砂丘が発達しており,メロンなどが栽培されている。砂丘に造られた庄内空港の滑走路の下をトンネルでくぐる。
 松林を抜けると,道が広がって出羽大橋を渡り,酒田の街に入る。国道は市街地を抜けているが,一方通行区間もあった。再び砂丘になって,立体交差で国道7号に合する。酒田市とにかほ市の間も高速道路の未通区間なので,交通量は多い。

出羽大橋で京田川と最上川を渡る
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 吹浦の鳥海大橋で月光川を跨ぐ。庄内平野と砂丘はここで尽きて,代わりに鳥海山の山裾になる。長く引いた裾は海にまで達し,波が洗っている。一番突き出した三崎で山形県から秋田県にかほ市に入る。近代以前の三崎は峠越えをしており,松尾芭蕉も伊能忠敬も難渋したことを記しているが,現代の国道は何とも呆気なかった。
 小砂川のコンビニで小休止。酒田以来,前後のクルマを気にしながら走ったのでくたびれた。
 駐車場から見上げる鳥海山が見事であった。

田んぼの向こうにどっしりと構える鳥海山
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薄日を受けた稲穂を前景に撮影
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 秋田県で最初の街は,市町村合併でにかほ市になった象潟。
 取り敢えず入ってみた道の駅「象潟」がこの旅の最北到達地点となった。昨年は湯沢市まで来たので,緯度にして約10分だけ記録を更新した。秋田県は南北に長いカタチをしているので,一般道でこれ以上先を目指すのは大変だろう。

 少し戻り,国道と並行するJR羽越線の踏切を渡って,蚶満寺を訪れる。
 蚶満寺は延暦年間(782~806)に慈覚大師が創建したと伝わる古寺で,元禄2年(1689)には「おくのほそ道」の旅で松尾芭蕉も訪れている。当時の象潟は東西1.5キロ,南北5キロの潟があって,その中には多くの島が点在していた。九十九島や八十八潟と称され,文人憧れの景勝地であった。
 なお,「蚶」という字は「アカガイ」の意で,象潟の地名も古くは「蚶方」(『延喜式』など)と記された。

蚶満寺山門は江戸時代中期の建立とされる
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 景勝地だった象潟は文化元年(1804)の地震で風景が一変した。象潟では地面が約2メートル隆起し,潟は干上がり陸化した。マツの小島は海中から,水田の中に浮かぶようになった。
 地震後,当地由利郡を領有する本荘藩では陸化した象潟の開田計画を立てたが,もともと潟を寺領としていた蚶満寺はこれに反対した。計画阻止のために24世住職の覚林は京に上り,皇族閑院宮の文化4年の祈願所の指定を受けた。藩は閑院宮家に祈願所の取り下げを申し入れ,覚林は捕えられた。
 開田は一部が実施され,その10分1ほどが蚶満寺に寄付されたという。

寺の周囲の水田地帯にはマツの生えた小丘が点在
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蚶満寺本堂
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船着場の跡とされる池
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樹齢1000年とされる境内のタブノキは,大きすぎて引きがとれず
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 庫裡にはネコがたくさんいた。首輪をして鈴をつけられているから,寺で飼っているのだろう。
 人に慣れているらしく,近づいても逃げない。その代わり,カメラを向けてもこちらには関心はないとばかりにソッポを向いてしまうので張り合いがない。ネコを可愛がっていると蚊がたかる。

境内はネコだらけ
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 歴史があるぶん気位の高い寺かと思ったが,拝観受付の方も気さくで,印象は良かった。さっきのネコが何か悪さをしたらしく,建物の中から叱る声が聴こえてきた。

次の記事 鳥海ブルーラインを走って鳥海山五合目鉾立展望台へ
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