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津軽岩木山麓 高照神社と岩木山神社

旅行日:平成29年5月(30~)31日~6月2日⑥

最初の記事 旅立ち津軽へ
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 青森県の旅,第二日目。きょうからの二日間はレンタカーで移動する。弘前駅前で借り,明日の夕方に新幹線の七戸十和田駅前で返却することになっている。
 シルバーのデミオで8時半頃に走り出し,弘前市街を抜け出て西へ。曇っているが,岩木山は全容を見せている。この山のことを津軽地方では単に「お山」というそうだ。

 最初の目的地は旧岩木町(現在は弘前市内)の高照神社と岩木山神社である。「津軽フリーパス」で乗車できるバスでも行かれるので,できれば昨日のうちに訪れておきたかったが,時間がそれを許してくれなかった。
 津軽平野を横切り,大浦城址のある賀田を過ぎると岩木山の裾を登り始める。百沢という大字の高岡集落に高照神社があった。集落は弘前の古名にちなんで名付けられ,神社とともに整備されたという。

石鳥居をくぐって境内へ
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境内を横切る岩木山の雪融け水とツツジ
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 この地には古くから春日四神(武甕槌命,経津主命,天児屋根命,比売命)を祀る社があったとされ,正徳2年(1712)に弘前藩5代目藩主の津軽信寿によって高岡霊社が建立された。
 津軽氏は春日明神を氏神とする藤原氏の流れを汲むとされ,春日明神を崇拝し,幕府神道方の吉川惟足に師事していた。神社建立は4代目藩主信政の時に決まっていたが,宝永7年(1710)に歿していた。信寿は遺言により,信政をこの地に埋葬し,相殿に祀った。社殿の配置は吉川神道に基づいた独特のものだという。
 江戸時代は「高岡様」として,特に藩士たちに崇敬された。
 高岡霊社は明治元年(1868)に現在の高照神社に改称し,同9年には藩祖の津軽為信を合祀している。

 随神門は文化7年(1810)の建立で,津軽家の家紋が入っている。

随神門 (重文)
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門には津軽家の牡丹の家紋が…
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 社殿は会津藩の保科正之を祀る土津神社(福島県猪苗代町)を手本としている。いずれも赤色に塗られているが,色は褪せつつある。
 柿葺の拝殿は宝暦5年(1715)の建立。
 裏手に回って眺めることのできる本殿は,創建当時の正徳2年に建立されたものが残っている。

拝殿 (重文)
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本殿 (重文)
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 本殿の裏手からスギの並木が続き,200メートルほど奥に廟所がある。鳥居から廟所までの社殿はすべて直線上に並んでいる。
 訪れる人はなく,ひっそりとしていた。並木の右手奥は樹林が失われ,何やら工事をしていた。こんな所を伐採しなくても,と思ったのだが,馬場の復元工事らしい。樹を伐ったのではなく,古くから切り開かれていたのだろう。
 
 廟所の門は文化12年(1815),拝殿は正徳元年(1711)の建立であるが,内部を窺い知ることはできなかった。

杉並木
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津軽信政の廟所
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 クルマで数分走り,岩木山神社へ。こちらは観光地としてメジャーらしく,クルマも結構停まっていた。土産物屋が並び,参拝者も多くて賑やかだ。

 岩木山神社は山岳信仰の神社である。岩木山は形の良い成層火山で,山頂附近に厳鬼山,岩木山,鳥海山という3つの峰を持つ。三峰それぞれを神体とみなして三所権現として信仰された。
 参道の杉並木の間に山頂を見せている岩木山が,山岳信仰の社を効果的に演出している。ここから見えているのは中央の岩木山だろう。

岩木山に向かって延びるかのような参道
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ゆったりと登る参道の先に,岩木山と楼門
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境内のツツジも見頃
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 岩木山を神体とした山岳信仰は古くから行われてきたと考えられているが,この神社の起源に関しては諸説あり,はっきりしていない。戦国時代頃には足利尊氏による山頂の御室,大浦為則による御宝殿があったとされるが,天正17年(1589)の岩木山の噴火で焼失した。
 現在残る諸堂は江戸時代に弘前藩主津軽家によって建立されたものである。その壮麗な建築から「(陸)奥の日光」の異名を持つ。
 楼門は高さ7丈3尺(約22.1メートル)の高々としてもので,石段のすぐ上に建っていることによって高さが強調されている。寛政5年(1628)に山門として建立され,明治の神仏分離までは本尊の十一面観音と五百羅漢像が安置されていたという。諸仏は現在,弘前の長勝寺などに移されている。

楼門 (重文)
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潜むような恰好の狛犬
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 中門は(1694)の建立。
 小さな四脚門であるが,もとは別当寺である百沢寺の門として建てられた。

中門 (重文)
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 拝殿と本殿は弘前藩初代藩主の津軽為信が寄進した。本殿は慶長6年(1601)に下居宮として,拝殿はその2年後に大堂としてそれぞれ建立された。なお,下居宮は4代目藩主信政のときに大きく改修され,元禄7年(1694)に完成した。山門や堂宇に神仏混淆が感じられる。

 拝殿の手前には岩木山への登山口がある。
 岩木山神社の奥社は標高1,625メートルの岩木山山頂に鎮座する。毎年旧暦の8月1日には津軽地方の人々が集落ごとに岩木山神社に参詣し,松明を頼りに山頂に登り,来光を拝む「お山参詣」が行われる。この場所の標高は約200メートルであるから,結構な登山であるはずだ。
 なお,今は岩木山スカイラインが標高約1,300メートル地点まで通じ,そこからリフトに乗り継げば鳥海山山頂のすぐ下まで行くこともできる。

拝殿 (重文)
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奥宮への登山(登拝)口
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 本殿は瑞垣の中にあってよく見えないのだが,朱を基調とした他の社殿とは異なり,黒色である。そこに極彩色の装飾が施され,正面の柱には金の登り龍があしらわれているのが見えた。

瑞垣の外から垣間見る本殿
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極彩色の装飾に金の登り龍
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 境内の白蛇の池には白雲大龍神が祀られている。
 どういう謂われなのか,ここには卵を供える習慣があるらしい。池にまで卵が沈んでおり,それは止めてほしいという掲示が出ていた。

池の小島に鎮座する白雲大龍神
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卵のお供え
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岩木山神社の社務所は別当寺であった百沢寺の旧本堂
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 晴れていれば,この後はスカイラインで岩木山山頂に立つ積りだった。が,すっかり曇っているし,雨になる予報だ。
 山に行くのは止めにし,西目屋村の津軽ダムに寄り道。岩木川沿いの快適な道を走っていると,雨が降り出した。

 ここには昭和34年に完成した目屋ダムがあった。その建設にあたっては水没地域の反対運動が起こったが,下流(受益地域)の農民たちが水没地域の人々にコメを分けて懐柔したという逸話が残る。
 その後,再開発事業で目屋ダムの直下にさらに巨大な津軽ダムが建設され,昨年(平成28年)に完成した。
 立派な展示施設が併設された管理事務所で台紙付きのダムカードを頒けてもらった。

津軽ダム
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ダム湖の津軽白神湖。上流は白神山地
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 別ルートで岩木山神社の近くまで戻り,岩木山の南麓を西へと進む。
次の記事 七里長浜の内側―屏風山砂丘とベンセ湿原
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