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弘前の古い街並みと建物を見て回る(1) 仲町重伝建地区,青銀記念館など

旅行日:平成29年5月(30~)31日~6月2日③

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 弘前城址の弘前公園を一巡し,北門(亀甲門)を出た。出羽国に入る参覲交代路が大間越街道(海沿い)から碇ケ関越え(山越え)に変わる以前の大手門である。
 濠に沿った街並みは亀甲町で,大間越街道沿道の商家町である。かつては小店(雁木)のある商店街だったそうだが,ほとんどが失われ,唯一石場家が名残をとどめている。
 石場家は「三国屋」,「丸世」を屋号に江戸時代は藁の加工品や荒物を扱う商家で,明治以降はコメや肥料を商うようになったという。江戸時代中期の建物だが,小店や蔀戸は復元とのこと。

多雪地域らしい小店(雁木)のある石場家 (重文)
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 亀甲町の裏手は,重伝建に登録された古い街並みが残るという仲町。

 仲町というのは町名ではなく,弘前城下町の地域区分の一つである。城東・城南の台地上が上町,西側の低地が下町で,その間が仲町に分けられる。重伝建地区は若党町・馬喰町・小人町の3町にわたる。細い通りの両側が同じ町名になる「両側町」になっている。
 弘前市街は古くからの町名がそのまま続いていて,この3町もそうである。若党は高位の武士の付き人,小人は藩の雑用をする者,馬喰はウマの世話をする者のことで,武家やその関係者の街だったようだ。
 歩いてみると,古い建物は少ない。生け垣の裏側にゆったりとした敷地の住宅が建っていて,高級そうな住宅地の雰囲気だ。聞くところによると,当時の地割りを留めている点に価値があるとのこと。当時の武家屋敷は庭に畑があったため,敷地がゆったりしている。
 生け垣には雪に強いサワラが多く用いられている。

生け垣と植木,黒板塀が連なる若党町
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冠木門も見られた。背後に岩木山
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 古くからの建物はあまり残っていないが,江戸時代の建築物が3棟移築されている。
 この建物は江戸時代中期に小人町に建てられた武家屋敷で,藩士の笹森氏が住まっていた。平成7年に所有者から市に譲渡され,若党町の現在地に移築された。

旧笹森家住宅
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 若党町の西側には一つの敷地に旧伊東家と旧梅田家が建つ。手前側が伊東家で,江戸時代後期に藩医伊東氏の居宅として建てられた。
 元の所在地は追手門前の元長町だったが,昭和55年に当地に移築された。

旧伊東家住宅
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 奥側の旧梅田家は茅葺き屋根。嘉永年間(1848~55)の建築で,元の所在地は城南の在府町。

茅葺き屋根の旧梅田家
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吹き抜けになっている高い天井
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 若党町の一本北の通りは馬喰町。生け垣が続く落ち着いた通りだ。東西方向の通りには電線がないので,すっきりしている。

馬喰町の家並み
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 若党町に戻って,旧岩田家住宅。この建物は移築ではないようだ。
 建築は寛政年間(1789-1801)末から文化年間(1804~08)とされ,200年間にわたってあまり手を加えられずにきた。
 なお,岩田氏の初代である岩田吉勝は上杉氏の家臣で,二代市左衛門は武蔵国松山城(埼玉県吉見町)で戦死している。その後,4代恵孝のときに4代目弘前藩主の津軽信政に召し抱えられた。

旧岩田家住宅
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 仲町を離れ,城の東側を南に向かって歩く。元寺町にある翠明荘は第五十九銀行の頭取高谷英城氏の別邸として建てられた。現在はレストランというか,料亭になっている。和館・洋館・奥座敷などが登録有形文化財に指定されているが,表からはその全容を見ることはできなかった。

昭和9年築の翠明荘洋館 (国登録)
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外からはあまり見えない翠明荘の日本館 (国登録)
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 翠明荘の隣りは石場旅館。増改築がなされているが,創業・建築明治12年(1879)という老舗旅館である。

石場旅館(国登録)
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 さらにその隣りは日本基督教団弘前教会。弘前教会は明治8年(1875)創設の東北地方初のプロテスタント系教会で,クリーム色のこの建物はその3代目。明治40年に斉藤伊三郎氏の設計で建てられたもので,両側に塔を配したゴシック様式の建築。

日本基督教団弘前教会
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 あまりにも暑いので,コンビニに寄って水分補給。あとで知ったが,この日の最高気温は29度だった。

 南北に細長い元寺町の交差点に建つクラシカルな3階建てのビルは旧弘前無尽株式会社社屋。昭和2年(1927)の建築で,弘前で二番目の鉄筋コンクリート建築とのこと。見たところ3階部分は建て増しのようだ。

旧弘前無尽社屋 (国登録)
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 追手門前の元長町には非常に目につく重厚な擬洋風建築がある。青森銀行記念館だ。明治37年(1904)に第五十九銀行本店として親方町に建てられた。設計した堀江佐吉は弘前藩お抱えの棟梁であった堀江伊兵衛の長男で,多くの洋風建築を手掛けた。弘前をはじめとした津軽地方には彼の作品が多く残る。
 第五十九銀行は明治12年に旧弘前藩の士族によって設立された青森県初の銀行である。昭和18年に銀行の戦時統合で青森県下の5行が合併したため,青森銀行弘前支店となった。弘前支店は昭和40年に新築されたため,これに際して50メートルほど移動され,向きも変えて保存された。大きな通りに面していないのはこのためだ。

青森銀行記念館 (重文)
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二階へと続く瀟洒な曲り階段
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二階の広間に3つの扉が並ぶ
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応接室の青色の漆喰天井
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優美にカーブしているが,あまり実用的ではない曲がり階段
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 取りこぼしもあるが,城南地区へと続く。各所が中途半端に離れているので,全然バスに乗れず,歩きづめだ。

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