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青春18きっぷでミニトリップ―鴻巣公園と勝願寺のサクラ,吹上元荒川の桜並木

旅行日:平成29年4月5日①

 3月末に18きっぷで川原湯温泉に行ってから一週間が経過した。遅れていたサクラも5分か7分咲きくらいにはなってきた。
 春の18きっぷは10日までだが,仕事等の都合で4月5日が自分の利用できる最終日である。晴れても雨でも出掛けなければならないが,幸い晴れの予報が出た。
 行き先はサクラの咲いていそうな関東平野。普段はなかなか降りる機会のない高崎線で途中下車をしてみようと思う。


 海老名で5つ目の入鋏印を捺してもらって相模線に乗り,茅ケ崎7:59着。高崎線とは全く関係のない方向に来たのには理由がある。
 一旦改札を出て,券売機でライナー券を買う。8:05発の「おはようライナー新宿26号」(新宿ゆき)は満席だが,8:20発の「湘南ライナー12号」(東京ゆき)には空きがあった。駅前のコンビニでコーヒーを買ってから,貨物線の3・4番線ホームに下りる。階段の手前で駅員がライナー券をチェックしていた。茅ケ崎駅では一般の旅客列車は5・6番から発着するが,ラッシュ時のライナーは貨物線を通るのだ。
 「12号」は10両編成で,うち2両がグリーン車となっている。残り8両の普通車は,停車駅の小田原,茅ケ崎,藤沢の各駅に振り分けられ,茅ケ崎からの客は1~3号車に乗ることになっている。
 発車時刻が近づき,「カモメの水兵さん」をあしらったヘッドマークを掲出した踊り子号用の列車が入ってきた。

「湘南ライナー」が茅ケ崎駅に到着
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 藤沢を発車すると,品川までノンストップ。早速,大船附近で先行する高崎ゆきを追い抜いた。ただし,東京駅にはあちらの方が2分早く着く。
 東戸塚を過ぎると,旅客線と離れて横浜市の郊外部を迂回する。この区間に乗車するのは初めてで,このためにわざわざライナーに乗ったのだ。
 まずは長い猪久保トンネルに突入する。その先に釜壇山トンネル,釜谷トンネルが続くが,これらはシェルターで繋がっている。この貨物線は強い反対運動の末に建設されたので,騒音対策でこのようになっている。シェルター区間は壁がトンネルよりも若干遠いかなと感じる程度で,暗かった。
 ようやく明るくなると,羽沢貨物駅を通過する。相鉄線と接続する東部方面線の建設工事が行われているのが見えた。
 再び長いトンネルとシェルターを抜け,生麦で地上に出る。東海道線の上野ゆきと並んだ。茅ケ崎駅を10分早く出た列車であるが,東京駅には向こうの方が8分早く着く。なんだか時空がおかしくなったような気がしてくる。

 鶴見川を渡ると,東海道線と京浜東北線の線路を跨ぎ越し,横須賀線に並ぶ。新川崎駅の裏手を通過し,武蔵小杉駅の手前で横須賀線に合流。多摩川を渡ってどんどん加速したが,並行する新幹線がスラスラ追い抜いていった。
 品川駅の手前で信号待ち。品川からは東海道線の旅客線を走行するため,旅客下り線と平面交差する。下りの特急「踊り子105号」が出てきた。
 品川駅で半数ほどの客が下車し,東京着9:22。4分後には後続の「湘南ライナー14号」が到着。上りのトリを務める「14号」は小田原からずっと旅客線を走行し,茅ケ崎での10分差を4分まで詰めてくるのだ。

東京駅に二本のライナーが並んだ
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 前置きが長くなった。
 東京9:37発の高崎ゆきに乗る。一週間前にも乗ったばかりなので新鮮味に乏しいが,サクラはだいぶ咲き揃っている。桶川駅前の古そうな建物が気になったが,今回はパス。サクラの名所に魅かれて,鴻巣で降りる。10:31着。
 駅を出て線路沿いに7,8分大宮方面に戻ると,サクラの樹が集まっているのが見えてくる。鴻巣公園だ。
 高低差のない平面的で広々とした公園で,お花見をするには好ましい場所かもしれないが,写真向きではない感じだった。春休みということもあって,老若男女で賑わっていた。

鴻巣公園のサクラ
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 公園の隣りは鎌倉時代の文永年間(1264~75)の創建とされる勝願寺。天正年間(1573~93)に清厳上人によって現在の場所に再興され,円誉上人が堂塔を再建した。江戸時代には徳川家康に「三つ葉葵」の紋を使うことを許され,京の知恩院の末寺となるなど格式が高かった。また,関東十八壇林の1つに数えられる学僧の寺でもあった。
 家康は牧野氏(下総国関宿藩主→丹後国田辺藩主),伊奈氏(武蔵国小室藩主→関東郡代)を檀家にして勝願寺の地位を確かなものにした。その関係で,両家の墓がある。他にも,本多忠勝の娘で真田信之の妻である小松姫やその三男で信濃国埴科藩主の信重の墓もある。
 小松姫は元和6年(1620)に江戸から草津温泉に当時に向かう道中の鴻巣宿で亡くなり,信重も慶安元年(1648)に鴻巣宿で客死している。

 江戸時代の本堂は結城秀康の御殿を下総国結城から移築した豪壮なものだったらしいが,明治初期に風害で失われてしまった。位置関係からすると,勝願寺境内の一部を開放して鴻巣公園にしたのではないかと思う。

願勝寺参道の桜並木
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立派な仁王門の両側にもサクラ
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大きな本堂は明治24年の再建
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小さな石碑が集まっていた
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真田信重夫妻,小松姫の墓
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 勝願寺の参道を表側に出れば,中仙道に突き当たる。

 家康が五街道の一つとして整備した中仙道に宿場町として鴻巣宿が指定されたのは慶長7年(1602)のこととされる。それ以前は北本市の本宿に宿場があったという。
 慶長16年には二代目将軍秀忠の鷹狩りが当地で行われ,その際の休泊施設となった本陣は鴻巣御殿と称された。
 鴻巣宿は人口も多く,4と9のつく日に市が立つなど商業の中心地としての側面もそなえていた。現在は郊外に国道のバイパスができてクルマの流れからは外れ気味だが,旧宿場町は駅から近いこともあってか寂れているという感じはしなかった。

かつての中仙道鴻巣宿,現在の県道164号
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古そうな用品店も混じる
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瓦屋根が美しい商家建築
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明治初期に建てられた土蔵が残る田沼家
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 旧宿場町の京側の外れには,鴻神社が鎮座する。
 明治6年(1873)に鴻巣宿の雷電社・熊野社・氷川社を合祀して鴻三社とし,さらに35年頃に東照宮などを合祀して成立したという。
 社名にちなんで,子宝祈願の神社として人気があるようだ。参拝者には若い女性や夫婦が目立った。

サクラがほぼ満開となった鴻神社
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本殿は小ぶりな建物
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結うとコウノトリの形になるおみくじ
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 ここで引き返して駅に戻る。駅前には公共施設や映画館,商業施設を兼ね備えたビルがあり,市が中心市街地の整備にも力を入れていることを窺わせた。平日電車,休日クルマというのはベッドタウンの宿命かもしれないが…。

 11:55発の籠原ゆきに乗る。大宮以来台地の上を通ってきた高崎線だが,鴻巣を過ぎる頃には周りの低地との比高がなくなり,車窓には田んぼが現われるようになる。
 今度は下車駅は鴻巣から二つ目の吹上。近くを流れる元荒川沿いが桜並木になっているという。
 
 吹上駅は快速の停まらない小規模な駅だが,明治18年開業(高崎線の開通は16年)以来の長い歴史を有す。江戸時代の吹上は距離の長い鴻巣宿・熊谷宿間の間の宿の役割を持っていた。
 駅前通りを真っ直ぐ進めば元荒川とクロスするが,私は右手に進んでから川に近づいて行った。

元荒川のサクラ
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 私は元荒川という名前からそれなりに幅の広い川を想像していた。が,その川は予想に反して幅の狭い浅い川であった。しかも,周りの住宅街よりもだいぶ掘り込まれている。
 明治時代の地形図を見ると,元荒川は細いながらも激しく蛇行している。おそらくある時期に直線化されて堤防が築かれ,その上にサクラの樹が植えられたのだろう。
 元荒川が荒川だったのは400年近くも前の話で,関東郡代の伊奈忠治によって新たな流路が掘られたのは寛永6年(1629)のことである。もともと荒川は吉川市附近で利根川(現在の中川)に合流していたが,この事業によって市野川に繋がれ,川越の北西で入間川と合流するようになった。

橋の上から
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浅い元荒川をカモのつがいが泳ぐ
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 駅から延びる通りと交差する辺りが花見客で賑わっており,露店も出ていた。それはいいのだが,川沿いの狭い歩道にまで敷物を広げて花見をしているのには辟易する。いちいち避けるのが面倒になって,川沿いの道路に上がった。

 吹上附近の元荒川に架かる橋にはこだわりが見える。
 その中でも新佐賀橋は唯一のアーチ橋で,欄干にサクラの意匠が施され桜色に塗装されている。架橋は昭和8年で,土木学会推奨土木遺産。

アーチ橋の新佐賀橋
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飛び石からローアングルで
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 花見をする人々の姿がまばらになってくると,高崎線の橋梁をくぐる。上り線が大正15年(1926)の架橋,下り線が複線化された昭和5年(1930)の架橋だそうだ。橋台は下り線がレンガ造り,上り線がコンクリート造りと見受けられた。
 上下の列車が轟音を立てて通過していった。

頭上を貨物列車が通過し,耳を聾する
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 桜並木は榎戸堰まで続く。遠くに現在の荒川の高々とした堤防が見えている。
 榎戸堰は元荒川が荒川だった頃からあったそうで,明治36年(1903)に木造からレンガ造りに改められた。現在は改修されてコンクリート造りになっている。

榎戸水門
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 裏側から駅に戻る。気温が上がり,上着を脱いでも暑い。
 駅前広場まで来ると,下りの列車が来てしまった。ホームで待たされるだろうなと思いながら改札を抜けると,7分後にも列車があった。その後は17分も開いており,なんともいびつな運転間隔だ。
 13:27発の高崎ゆきを熊谷で下車し,昼食。約1時間後の特別快速で岡部に進む。
 岡部駅前にサクラの樹があるのことは何年か前から気になっており,この機会に降りてみた。駅舎も古びていて良いのだが,思ったよりも桜木が広場の端のほうにあった。

岡部駅前のサクラ
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