Entries

青春18きっぷでミニトリップ―中仙道の宿場町本庄&飛鳥山で夜桜

旅行日:平成29年4月5日②
前の記事 青春18きっぷでミニトリップ―鴻巣公園と勝願寺のサクラ,吹上元荒川の桜並木
 18きっぷで高崎線を北上し,鴻巣,吹上,熊谷,岡部と下車を続けた。
 次は本庄で降りる。時刻は14:59。ここまで来ると埼玉県もきわまってきて,利根川を渡れば群馬県という立地だ。

 駅を出ると早速レンガを用いた建物を見つけた。旧大政商店で,肥料店を営んでいた。竣工は大正9年(1920)で,レンガ造りに瓦屋根という和洋折衷が大正時代的だ。耐火を目的にしていたのだろう。

本庄駅前の大政商店
IMG_4862_20170518102248efe.jpg

 本庄も中仙道の宿場町で,板橋・蕨・浦和・大宮・上尾・桶川・鴻巣・熊谷・深谷・本庄…と江戸から10番目の宿場が置かれていた。
 線路と中仙道はほぼ並行しており,駅から街道までは500メートルほどの距離を置いている。

 ひとまず中仙道を横切り,市役所へ。6階建てと高い建物ではないが,展望スペースがあった。段丘崖の上に建っていて,北側は利根川の平地なので見通しが利く。

市役所から本庄市街を望む。駅の辺りにはマンションが立地
IMG_4863_20170518102247a59.jpg

隣りの庁舎がかかるが,利根川方面を見渡す
IMG_4864_20170518102247f40.jpg

 そのまま段丘から沖積低地に下る。元小山川という小さな川が流れ,堤防上を上流に向かう。畑が点在する住宅地で,かつては桑畑だったようだ。
 しばらく進むとやや広い公園があった。元小山川の旧流路が池になっている。
 公園の脇には欄干の意匠が立派な賀美橋が架かる。大正15年(1926)の竣工で,本庄から坂東大橋を渡って伊勢崎に到るルートにあたっていた。両側に歩道が増設されているために橋自体は見えづらい。
 ところで,「賀美」といえば,本庄からすると隣りの郡名である(本庄町は児玉郡)。賀美郡は明治29年に児玉郡に編入されているが,どういう関係があるのだろうか。
 その下流には明治22年(1889)架橋の寺坂橋が架かる。石造りのアーチ橋で,賀美橋の旧道にあたる。

段丘崖のすぐ下を流れる元小山川
IMG_4865_20170518102246a70.jpg

賀美橋
IMG_4867.jpg

寺坂橋
IMG_4870_20170518205151d4f.jpg

 寺坂橋から橋名の由来になった急な寺坂を登り,台地の上に戻る。
 武蔵国と上野国の境界に近い本庄は戦略上の要地で,戦国時代には相模国の後北条氏と越後国の上杉氏が争った。当地には台地を生かした本庄城があり,徳川家康の江戸入府以降は小笠原信嶺が配置された。
 慶長7年(1602)には中仙道が整備されて本庄宿が設置された一方,同17年の小笠原氏の下総国古河転封によって本庄城は廃城となった。本庄宿は江戸時代後期に約1,000軒が建ち並び,2・7日に六斎市が立つなど近在の村々の中心的な都市であった。

 かつての宿場町には往時を偲ばせるような建築物に乏しい。しかし,裏通りに入れば堅牢そうな蔵が見えたりする。間口を狭くした分,家々の敷地には奥行きがあり,街道に面した家屋の後ろに蔵を設けたのだろう。

中仙道に面したクラシカルなカレー屋さん
IMG_4872_2017051820515015e.jpg

裏通りの朽ちた蔵
IMG_4873.jpg

 旧中山道から一本入ったところに,市歴史民俗資料館となった旧本庄警察署が残る。2階のバルコニーには列柱が配されているが,瓦屋根に漆喰塗りの洋風建築だ。
 建築は明治16年(1883)と古い。同年には日本鉄道(現JR高崎線)が開通して本庄駅も開業しており,この街にも一気に近代化の波が押し寄せたのだろう。
 大正関東地震の直後の混乱時には流言に惑わされた自警団ら3,000人が当警察署を襲い,署内で保護されていた朝鮮人33人が殺害される事件が起こっている。さらに扇動者たちによって放火されそうになったが,軍隊の出動によってようやく鎮圧された。
 警察署としての使用は昭和10年(1935)までで,その後は消防団本部,簡易裁判所,区検察庁,公民館,図書館と様々な用途を経験した。資料館開館にあたり,昭和55年に外観復元がなされている。
 また,敷地内には本庄宿に2つあった本陣のうち北本陣の門が移築されている。

旧本庄警察署
IMG_4878_20170518205148a21.jpg

北本陣の門
IMG_4875_201705182051494f5.jpg

 旧中山道沿いをゆくと,レンガ造りの大きな倉庫が建つ。
 旧本庄商業銀行の倉庫で,担保の繭を納めるために明治29年(1896)に建てられた。建築材のレンガは深谷の日本煉瓦製造のものが使用されたという。
 本庄は古くから養蚕が盛んだった地域で,鉄道の開通によって伊勢崎方面からも繭が集積され,機械式製糸工場が立地するようになった。
 本庄商業銀行は武州銀行を経て戦時下に埼玉銀行(現在の埼玉りそな銀行)となり,同行同士の支店が隣接したために富士瓦斯紡績所有となった。その後も変遷があり,昭和52年から平成23年まではローヤル洋菓子店として使用された。同店の閉店により,本庄市が取得し,外観等の復元や耐震補強の上で見学できるようになった。

旧本庄商業銀行煉瓦倉庫
IMG_4886.jpg

キングポストトラスを用いて柱をなくした2階
IMG_4890_20170518210125e79.jpg

 最後に旧本庄郵便局である本庄仲町郵便局を眺める。昭和9年の建築で,当時は一階で郵便業務,二階で電話電信業務が行われていたという。
 タイル貼りの局舎はモダンで,良い意味では古さを感じさせないが,悪い意味では古い建築っぽくないとも取れた。

今でも現役の旧本庄郵便局
IMG_4893.jpg

 駅に引き返し,上り列車で東京方面に戻る。すっかり陽が延びて17時でも明るくなったが,街を見たりするとなれば別の話だ。
 本庄17:28発の小田原ゆきはやや混雑していた。3つ目の籠原で空車を増結するので,そちらに乗り移る。
 一眠りしている間に窓外は暗くなり,荒川橋梁を渡った赤羽で京浜東北線に乗り換え,王子で下車。

 王子で降りたのは飛鳥山公園の夜桜を見ようと思ったからだ。まずは駅前に聳える北とぴあの展望フロアに上がってみたが,写真が撮りづらい。夜景撮影では窓ガラスにレンズをくっつけたいが,足元の台が邪魔になった。北側が辛うじて,といったところ。

北とぴあ展望フロアから
IMG_4905_20170518210124c93.jpg

 線路をくぐって山手台地の方に移れば,花見客で賑わっている。石神井川沿いも宴会をする人々でびっしり埋まっていた。
 音無橋を渡って電車通りを登り,公園に入る。こちらも人が多いが,意外と暗い。サクラをライトアップしているという感じではなく,提灯で通路を照らしている程度だ。

音無橋
IMG_4914.jpg

意外と暗い飛鳥山公園
IMG_4915_2017051821085720d.jpg

 飛鳥山公園から王子駅南口に到る途中には,飛鳥山下跨線橋が架かり,東北線の列車線と貨物線と引上げ線の5線を跨いでいる。この橋は大正14年(1925)の架橋で,半円形の非常にデザインが良い。
 関東地震からの復興期にあたる架橋当時,東北線はまだ複線で,電車線(京浜東北線)もまだなかった。王子電気軌道(都電荒川線)だけは開通しており,大正2年に開通した三ノ輪橋から飛鳥山下(栄町)終点から,14年に王子駅前まで延伸されたばかりだった。橋の名称からすると,飛鳥山下電停から飛鳥山公園へのアクセス道路を踏切から橋梁に替えたものではないだろうか。
 橋の架けられた翌年に田端駅から北に延びる日本人造肥料専用線(のちの北王子貨物線)が開通し,昭和3年に電車線が増設,さらに昭和4年には尾久回りの新たな列車線が整備され,従来の複線は貨物専用となった。つまり,5年余りの間に線路が2線から7線にまで増し,この橋はそれを見守ってきたことになる。

飛鳥山下跨線橋
IMG_4919.jpg

橋の上からはスカイツリーを遠望する
IMG_4927_2017051821085686c.jpg

駅の明かりに照らされたサクラの下を湘南新宿ラインと京浜東北線がゆく
IMG_4930.jpg

 王子駅の南口は小さく,駅員がいなかった。インターフォンを押し,「18きっぷです」と言って通してもらう。
 京浜東北線の電車は空いていて,隅の席に座れたので,このまま横浜まで行ってしまおう。

跨線橋の全景はホームから眺めるのが佳し
IMG_4934.jpg
関連記事
スポンサーサイト
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://sagaminomen.blog.fc2.com/tb.php/591-b79f4d78

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

プロフィール

さがみぃ

Author:さがみぃ
相州生まれの相州育ちです。
このブログと筆者については,水先案内からご覧いただけます。

トップページ

【PC推奨】行先別INDEX

アクセスカウンター

(平成24年8月22日設置)

検索フォーム

QRコード

QR

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる