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薩摩半島をドライブ(1) 知覧麓を歩く

平成29年3月6~9日⑥

最初の記事 南九州への旅2017―序
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 南九州への旅,第3日目。昨日までの前半二日間は鉄道を利用したが,きょうから始まる後半二日間はレンタカー利用となる。
 今夜も鹿児島に泊まり,明日の夕方に鹿児島空港でレンタカーを返却することになっている。

 夜中に雨が降ったらしく,濡れた舗道を歩いてレンタカー屋へ。開店時刻の8時よりも早目に出てきたので,近くのジョイフルで朝食を摂る。
 タイムズレンタカーで日産NOTEを配車され,いざ走り出す。きょうは薩摩半島を周遊する。まずは南九州市の知覧に向かう。

 鹿児島市内はラッシュ時で渋滞していた。電車通りは右折レーンがある交差点が少なく,前(軌道内)に出て右折待ちもできないので,後ろがつかえてしまうのだ。
 国道225号を南下し,坂之上から県道20号で姶良カルデラの外輪山を越える。途中からやや狭かった。
 外輪山の外側に出て,県道19号を進む。万之瀬川に沿って長い橋梁を連ね,交通量の少ない快走路であった。鹿児島・枕崎間の最短ルートになっており,山越えルートを谷山ICを経由すれば狭路を通過せずに済んだようだ。

 一部が自動車専用の南薩縦貫道という地域高規格道路に入り,知覧金山水車ICを出る。知覧の街に入り,南九州市役所に近い観光用の有料駐車場に停めた。
 走行中には一時雹が降ってきて焦ったが,陽が射してきた。

知覧の麓集落
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 知覧は麓集落の街並みで知られる。
 江戸時代に鹿児島藩が設置した外城のうち,外城衆中(郷士)の住む集落を麓集落といい,南九州では単に「麓」という地名として残っている例が多い。戦国時代の城は山城や平山城が多かったから,城山の麓の城下町という意味合いがあるのだろう。ただし,観光客誘致のために「武家屋敷群」とされることが多い。
 飫肥も良かったが,こちらも修景に力を入れており,通りの入り口に立つと電線などが目に入らない。道も昼間は車両通行止めになっており,路面に白線などが描かれていないのも良い。
 重伝建への登録は昭和51年で,飫肥の4年後のことであった。

 地区内の7つの庭園が国の名勝に指定されており,見学できるようになっている。 知覧の麓集落では,各邸宅が庭園をそなえている。こじんまりとしたものだが,それぞれ個性を競っている。
 各屋敷に係員がいる訳ではなく,入場券代わりのパンフレットを購入してこれを持って回ることになっている。現在も人が住まっている屋敷も多い。

石垣と生け垣の続く通り
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この時季数少ない鮮やかな花・ツバキ
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 知覧は鹿児島藩の私領の一つであった。都城の項でも記したが,鹿児島藩では戦国時代の戦乱によって士族階級が人口の約4分の1にまで膨れ上がり,鹿児島城下に住まわせるのは不可能な状況にあった。
 藩では琉球国以外の領地を約110の外城という行政区画に区分し,それぞれに武士(外城衆中)を配置した。外城には藩直轄地である地頭所と一族が支配する私領があり,延享元年(1744)の時点で地頭所92外城,私領21外城あった。知覧は私領の一つで,佐多氏が支配を行った。

 佐多氏は島津家4代忠宗の三男忠光を祖とし,文和2年(1353)に足利尊氏からこの地を拝領した。島津氏は分家がとても多く,養子も含めると縁戚関係が非常に入り組んでいる。
 佐多氏は天正19年(1591)に一族が起こした海賊事件で一旦は移封され,知覧の地は島津氏直轄領(地頭所),種子島氏の私領を経て慶長4年(1599)に佐多氏が地頭職に就いた。私領となったのは延宝5年(1677)のことである。
 延享2年(1745)に領主を継いだ佐多氏18代目の久峯は鹿児島藩主島津豊継の三男で,参覲交代の度に藩主に従って江戸を往復したという。久峯は学問を好んだとされており,学問所の胥傚館(しょうこうかん)を創立した。麓集落の景観や庭園が整備されたのもこの頃である。

枯滝を設けた西郷邸の庭園
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円い石による石垣が続く脇道
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 知覧の麓集落は亀甲城の山城を背景に,約700メートルの通り沿いに続く。全体としてみれば直線的だが,道を途中を緩やかにカーブさせたり,鈎型に曲げることで見通しを悪くしてある。

防備のために道を鈎型に曲げた箇所に石敢當が建つ
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 麓集落の半ばに知覧独自の二ツ家が保存されている。ここに建てられたものではなく,移築保存されたものであるとのこと。
 二ツ家は南九州に見られる住居形態で,居住用のオモテと台所のあるナカエが別棟になっている。別棟は生活上不便なので,建築時期を追って両者が近づいていったそうだが,知覧では遂に一棟に合わさった形態となったそうだ。

曲がり角の向こうに茅葺き屋根が覗く
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二つの方形をずらしてくっつけた造りの知覧式の二ツ家
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 知覧麓の庭園には枯山水が多い。同時期に作庭されたことから,ある種の流行りのようなものがあったのだろうか。
 一応7つ全てを見学させてもらったが,私の浅学では語り分けられないので,いくつかをピックアップして紹介させてもらう。

広い佐多美舟家の庭園
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立石と梅の樹を配した佐多直忠家の庭園
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時季外れでウメの花は僅か
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カーブに沿って刈り揃えられた生け垣が続く
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 知覧麓集落ではもう一つ,旧高城家が二ツ家である。ナカエの部分は昭和期に失われてしまい,平成になってから復元されたそうだ。
 武士の屋敷らしく男女の玄関が別になっていたというが,見た目は縁側のようでもあるし,格式ばかりだという感じがしなくもない。

旧高城家の二ツ家
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縁側のような男玄関(左)と女玄関(右)
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 亀甲城のすぐしたに立地する森家の庭園には小さな池があり,唯一の池泉式庭園となっている。
 屋敷の入り口には目隠しの屏風岩がある。方形の石材を積み上げたもので,角ばって刈り揃えられた生け垣と調和している。

屏風岩と角刈りの生け垣
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池のある森家庭園
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一劃には菜の花畑が
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 武家屋敷群を離れ,麓川に架かる石橋の矢櫃橋を見に行く。
 矢櫃橋は嘉永5年(1582)に架けられた眼鏡橋である。麓川には佐多氏21代久福が天保15年(1844)に永久橋という石橋を架けたが,水害で度々破損したため,その遺材を用いて再架橋された。
 周辺の開発が進んで分かりづらくなっているが,当時は両側から山が迫り出した麓川の狭窄部で,橋を架けるには最上の位置だったのであろう。滑りそうな橋の上に恐る恐る立つと,狭くなった川底には甌穴が作られ,流水のエネルギーが下方に向かったことを示していた。

華奢そうさ見た目の石橋・矢櫃橋
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橋の下の流れには甌穴が発達
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 麓集落の外側にあたる県道を歩いて駐車場に戻った。

 知覧からは池田湖経由で枕崎を目指す。
 喜入方面に走り,指宿スカイラインの頴娃ICに出て,南下する。スカイラインの頴娃以北は有料だが,以南は無料となっている。

次の記事 薩摩半島をドライブ(2) 開聞岳を望みながら池田湖,枕崎へ
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