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青春18きっぷでミニトリップ―早春の東総へ(前) 東金,成東,八日市場

旅行日:平成29年3月17日①
 毎年春にしか買わない青春18きっぷ。
 今年は手始めに南九州旅行で2回分を使った。残りの3回分はいつものように日帰りの小旅行に充てようと思う。

 神奈川県の自宅から日帰りで乗車できる線区は数限りないが,今回はたいぶご無沙汰している千葉県の東金線と総武(本)線を選んだ。東金線には二度くらい乗った記憶があるが,最後に乗ったのがいつだったのか思い出せない。

 ラッシュの激しい最中に出発し,横浜7:59発の横須賀線千葉ゆきに乗る。武蔵小杉から品川にかけての混雑が特にひどかったが,馬喰町で座れた。
 千葉には9:11に着き,9:17発の外房線に乗り換える。大網から東金線に直通する成東ゆきである。

 列車は蘇我から房総半島の主脈をなす丘陵地帯を越え,大網に着く手前で左の線路に分岐する。
 元々大網駅では千葉方面から東金線にしか直通できず,茂原・勝浦方面にはスイッチバックをしていた。外房線を複線化した際に駅を移転してスイッチバックを解消したため,大網駅は「V」字型にホームが配置されている。

大網駅の手前にて。線形的には直進の東金線へと分岐する
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 東金線は大網と成東を結ぶ13.8キロの短い路線で,東金までの区間は明治33年(1900)に開通した。九十九里平野の西側,下総台地のすぐ下を走り,車窓は変化に乏しい。
 最初の下車駅は東金。てっきり海側が市街地だと思っていたが,駅と丘陵地に挟まれた狭いエリアが旧市街地であった。市役所のある海側は広いロータリーも備えているものの,こちらには改札がない。
 千葉から乗ってきた電車は駅舎に面していないホームに着いたため,跨線橋を渡って駅舎を出た。駅の裏側に出るためにはもう一度別の跨線橋を渡れねばならない。この構造はあまりにも不便だ。

古めかしい東金駅駅舎
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短く,閉じた店が多い駅前通り
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「弗」を「ドル」と読ませるのであろう廃パチンコ店
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ガラス戸の金文字がクラシカルな駅前旅館
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 東金は室町時代に土気城を本拠地とした酒井氏の領地であった。酒井氏は大永元年(1521)に東金城に移ったとされ,のちに里見氏や小田原北条氏に臣従した。
 江戸時代には天領となり,将軍の鷹狩り場が設けられ,慶長19年(1614)頃には東金御殿が築かれた。また,鷹狩のための御成街道が整備され,東金は九十九里地域の物資の集散地として発展した。
 現在も旧市街地の狭い街道沿いには近代建築が点々と残る。

文化2年創業,昭和初期に建築された書店の旧多田屋
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明治末期の建築とされる旧東金税務署
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湖月堂菓舗
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「季節の間際に売れる商品」を際物ということを初めて知った
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 古い街並みを抜け,八鶴湖まで行ってみた。台地(丘陵地)の間に入り込んだ谷津地形にある池で,東金御殿建設の際に拡げられたとされる。位置からして,九十九里平野を灌漑する農業貯水池としての役割があるのだろう。

八鶴湖
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 湖の畔には最福寺という寺院があり,丘の下に墓地が広がっていた。本堂は高台にあり,眺望はなかなか良かった。

 最福寺はもともと天台宗の寺であったが,文明11年(1479)に日尊によって日蓮宗に改宗された。酒井氏は領内の寺院をことごとく日蓮宗にし,のちに上総七里法華と称されるようになった。

高台に位置する最福寺本堂
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最福寺境内から東金市街と九十九里平野を見渡す
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木造三階建ての八鶴亭
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 駅に戻り,10:34発の成東ゆきに乗車。終点の成東まで行く。
 東金線は日中1時間おきであるが,大網経由でも成東経由でも千葉には出られるため,目的地を千葉に限れば毎時2本の列車が利用できる。
 成東には9分で到着。次に乗るのは11:13発の総武線銚子ゆきであるので,丁度30分待ちとなる。

駅前を整備中の成東駅
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 駅から少々歩き,作田川を渡ったところにある不動院長勝寺(浪切不動院)を訪れた。作田川に突き出した丘陵の中腹に朱塗りで懸造りの本堂が建ち,周辺からでも大いに目立つ。
 この寺の創建時期は不詳だが,本堂は江戸時代に建立されたという。

 参拝に来ていたおじいさんに頼まれて,久方ぶりにフィルムカメラのシャッターを押した。

波切不動院の山門と本堂
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懸造りを真下から見上げる
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本堂からの眺望
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 戻りはだいぶ急ぎ足で歩き,なんとか列車に間に合った。
 次の下車駅は,成東から4つ目の八日市場。総武線は千葉から成東まで下総丘陵の間を縫って走ってくるが,成東から先は九十九里平野を直線的に敷設されている。なので,車窓は東金線と大差ない。
 途中の横芝では交換待ちで4分停車。景色の流れない退屈な時間と言えばそれまでだが,この気だるい時間にこそ鈍行の旅の味を噛みしめられると思う。
 八日市場11:36着。植木の栽培が盛んなのだそうで,駅前ロータリーにはイヌマキの巨樹が植えられていた。

八日市場駅
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 八日市場は平成の大合併以前は八日市場市であったが,野栄町と合併して匝瑳市になった。「そうさ」と読むのだが,用字が一般的ではないため関東では一番の難読市名であろう。
 「そうさ」は「さ・ふさ」の転訛とされる。小夜を「さよ」と訓むように,接頭語の「さ」には小さいという意味がある。「ふさ」の方は総の国(上総+下総国)を示しているのではないかという説がある。

 八日市場は地名通りの中世の三斎市が名称の由来になっているが,文献上の初出も室町時代であり,中世はそれほど有力な市ではなかったという。江戸時代から商業の集積が進み,匝瑳郡の中心地になっていた。
 なお,明治22年の町村制施行から大正4年(1915)までは福岡町を名乗っていた。

道筋が湾曲した八日市場の中心部
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看板建築の新井時計店
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天明年間(1781~89)創業の和菓子店鶴泉堂
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土蔵造りで棟の意匠がいかめしい坂本総本店
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蔵造りからの改装を窺わせる福田屋洋品店
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 八日市場の街は駅から近い上にあまり広くないので,30分強で駅に戻ってきてしまった。成東以北の総武線は約1時間おきである。
 駅前のコンビニで飲み物を買い,椅子に座って時間を潰す。風は弱く,暖かい陽射しが心地よかった。

 12:39発の銚子ゆきで先へと進む。
 左手に続いていた台地が遠ざかり,干潟という駅に停まる。この辺りには江戸時代まで椿海と呼ばれていた湖があった。椿海は九十九里平野の隆起によって海と切り離された湖で,江戸時代初期の新田開発によって埋め立てられた。

 飯岡を過ぎると,屏風ケ浦へと向かう下総台地に突き当たる。これをトンネルでくぐり,丘陵地に突入する。しばらく谷津を蛇行し,利根川の平野へと下る。成田線と合流し,松岸を過ぎると次が終点の銚子である。

次の記事 青春18きっぷでミニトリップ―早春の東総へ(後) 銚子電鉄と犬吠埼,隅田川夜景
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