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宮崎神宮と宮崎市街の近代建築

平成29年3月6~9日④

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 南九州の旅,第二日目。
 寄り道した宮崎空港駅10:36発の延岡ゆき普通列車に乗り,宮崎を通り過ぎて11:01に宮崎神宮駅で下車。
 神宮の最寄駅にちなんで社殿風の駅舎があったというが,つい何年か前に解体されてしまったという。駅の入り口には申し訳程度に鳥居が立っていた。

 駅は国道10号に面しており,通りの向こうに大きな鳥居が聳える。宮崎神宮の東参道にあたるようだ。

宮崎神宮駅前の交差点に立つ鳥居
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 通りを進むと前方に神宮の森が見えてきて,境内に入る。社地は25ヘクタールと広く,一劃には博物館などもある。社叢はスギの木が多いが,あまり手入れがされていないのか細い樹が密生していた。
 宮崎神宮は神武天皇(神日本磐余彦天皇)を祀る。その創建時期は詳らかでないが,古記録によると鎌倉時代初期に当地に遷座してきたとされる。古くは神武天皇宮と称されたが,明治6年に宮崎神社,同11年に宮崎宮,大正2年に宮崎神宮と改称された。
 明治31年から40年にかけて規模が拡大され,社殿も改められた。現在の社殿はこの時期に建立されたものである。さらに皇紀2600年を記念して昭和15年(1940)にも拡大事業が行われ,現在の規模になった。
 背景には,神仏分離令と神道の強化があった。政府に先駆けて廃仏毀釈を進めた鹿児島藩では明治2年(1869)にすべての寺院を廃したが,その影響を受けた日向国諸藩でも宗教改革が進められた。宮崎県域では,慶応年間から明治5年までの10年弱の間に約8割の寺が廃止された。

青銅製の鳥居
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四ツ脚門形式の神宮正門
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 正門をくぐると拝所があり,一般の参拝はここで行うことになる。
 拝所の正面は幣殿で,その奥に神殿があるのだが,見えない。幣殿の左右には神饌所(左)と御料屋(右)があり,全体として対称性が強い。

拝所
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拝所から拝むことになる幣殿
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なまこ壁の旧徴古館
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 出るときは表参道へと進み,国道10号に出た。JR日豊線は普通列車の本数が少なく,宮崎神宮駅の宮崎方面ゆきは11:16発のあと12:43発まで開いている。
 そのまま市街地を目指して歩き続けたが,想像していたよりも距離があったのでバスに乗ればよかった。神宮前から橘通の山形屋前まで25分を要した。

宮崎市中心市街地の橘通3丁目交差点。核となる宮崎山形屋
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 橘通を進み,宮崎県庁舎を訪れる。

 県域の話は前々回も触れたが,宮崎県は廃藩置県後の県の統廃合によって明治6年に成立した。それ以前は美々津県と都城県の一部で,両県の境界は大淀川であったから,ほぼ中間地点に県庁が置かれたことになる。
 県庁は政府の命によって宮崎郡(上?下?)北方村に定められ,県名は郡名から決められた。初代参事(県知事)の福山健偉は,北方村は不便であると判断し,上別府村に県庁舎を設けた。明治9年から16年まで鹿児島県に統合されていたことも前々回触れたとおりである。
 西南戦争では,明治10年7月に清武で政府軍に敗れた西郷軍が宮崎に引き,大淀川対岸の中村町に火を放った,宮崎の西郷軍と中村の政府軍の激戦となり,多くの溺死者を出したという。

 現在の県庁舎は,分県50周年記念事業の一環として建設され,昭和7年(1932)に完成した。設計は茨城県庁舎などを手掛けた置塩章。
 前庭に植えられた植物がなんとも南国らしかった。

宮崎県庁舎
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 県庁前はクスノキ並木になっていた。駅前通りも歴史があるのだろう,両側から伸びた枝が道を覆わんばかりに生長している。

県庁前のクスノキ並木
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 県庁の近くに位置する県文書センターは大正15年(1926)築。当初は宮崎県農工銀行であった。

銀行建築らしい重厚な文書センター
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入り口の庇を支える部材の装飾が美しい
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 ホテルで荷物を受け取り,宮崎12:47発の西都城ゆき普通列車に乗る。宮崎・西都城間は普通列車が概ね1時間に1本の割合で設定されている。
 JR九州の新型電車はとてもスタイリッシュなのだが,この電車は前面が黒,側面がアルミ地というシンプルなデザインゆえに汚れが目立つ。

宮崎停車中の西都城ゆき
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 今回4度目の大淀川を渡り,南宮崎を過ぎると丘陵地帯にかかる。新興住宅地らしい街並みが広がり,僅かながら乗降客が入れ替わる。
 都城は大淀川の上流に位置する街であるが,旧高岡町(宮崎市)から旧高崎町にかけてが峡谷になっているため,鉄道は南の方を山越えする。田野を過ぎるといよいよ本格的な登りとなり,標高約260メートルの青井岳駅まで曲線と勾配が著しい。
 長い青井岳トンネルを抜けて下りにかかり,楠ケ丘信号場で待っていた特急「きりしま10号」と交換した。
 あっさり都城盆地が広がり,宮崎から約1時間で都城に着いた。が,都城市の市街地へは都城駅よりも次の西都城駅の方が近いため,私はそのまま西都城まで乗る。

 宮崎県内の鉄道は大正時代に開通し,当時宮崎本線と称されていた吉松(肥薩線)~都城~宮崎の路線が最も古い。ルートには少しでも都城の街に近づこうとする苦心が窺えるが,それでも都城駅は市街地のかなり北に設置された。その後,大正12年に都城で分岐して志布志に到る志布志線が開通し,都城市街の西側をかすめることになったので,西都城駅が開設された。
 さらに昭和になると西城と分(現在の隼人)を結ぶ国都線(国都東線と国都西線)が開通し,東九州の縦貫鉄道が完成した。これにより,路線名が整理され,小倉・鹿児島間が日豊本線と名付けられた。

次の記事 都城散策ののち鹿児島へ
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