Entries

南九州への旅2017―序

平成29年3月6~9日①

 最後まで未訪問県として残った愛媛県に足を印したのは,3年前(平成26年)の4月のことであった。
 その後も各地を旅することを続け,2度3度と足を向ける都道府県が大半を占めるようになってきた。そうなると,まだ1度しか行ったことのない都道府県が気になってくる。一昨年は熊本県と大分県,鳥取県,長崎県に2度目の到達を果たし,残りは愛媛県,宮崎県,鹿児島県,沖縄県の4県に減った。
 今年度の旅の計画を立てた時,宮崎県と鹿児島県を組み入れたのだが,3月に行くことに決めたためにすっかり遅くなってしまった。その間に割り込み計画の沖縄県が先行した。

 旅程は4日間で,羽田空港・鹿児島空港間の往復の航空券は12月中旬に確保した。前2日間は「青春18きっぷ」利用の鉄道旅,後ろ2日間はレンタカー利用のドライブとして,変化をつけた。
日隅薩



 出発は羽田7:55発のSKY301便。5時半過ぎに家を出て,横浜から直通の特急で羽田空港に向かった。
 前回,鹿児島県に行ったのは大学の卒業旅行の際で,あの時も同じ便名であった。時刻は9:05発だったので,1時間ほど繰り上がっている。

 スムーズに羽田を飛び立ち,すぐに雲上へ。地上の景色はほとんど見られず,着陸直前に錦江湾から霧島連峰を眺められただけであった。鹿児島空港は霧島市の台地上に位置し,周辺の谷から立ち昇る靄が美しかった。きょうは雨のち晴れという予報だったが,これはもう雨は上がったのだろう。

霧島連山を望みながら降下する
IMG_4227_20170310165944d82.jpg

 鹿児島空港着10:05(5分延)。
 当初の予定では10:25発のバスで嘉例川駅に出て,吉都線経由で都城,日豊線で宮崎泊,翌日は日南線を南下して志布志からバスで都城ないし国分に出て日豊線で鹿児島に向かうことにしていた。いつもなら前夜に清書する行程表も,今回は珍しく早目に仕上げた。
 しかし,直前になって都城で見たい場所が月曜休館であることが判明し,2日分の行程を反転させることになった。普段しないようなことをすると得てしてこんな目に遭う。

 なので,まずはバスで志布志に向かう。鹿児島市街へのバスは10分おきの高頻度運転であるが,他の地方都市に行くバスは少ない。志布志ゆきのバスは11:10発なので,ターミナル内で時間を潰した。

鹿児島空港のバス乗り場
IMG_4230.jpg

 ようやく発車時刻が近づき,バスに乗り込む。運行会社は三州自動車で,いわさきグループのようだ。三州は薩摩・大隅・日向を指すのだろうが,島津氏の版図を思わせる。
 客は僅か6人で,志布志までこれを上回ることはなかった。運賃は1,640円。

シンプルなデザインの三州バス
IMG_4231_20170310165943084.jpg

 空港を出たバスは急な坂を駆け下りて霧島市の中心市街地である国分へ。国道10号で亀石峠を越え,シラス台地の上に位置する牧之原(旧福山町)に到る。空港から国分までと,牧之原から志布志までの間が急行運転になっており,一部の停留所は通過した。多少なれど地元の人の乗り降りもある。
 起伏のあるシラス台地を進み,岩川の街に入る。旧大隅町,現在の曽於市内の岩川は,いわさきグループの創始者である岩崎與八郎生誕の地でもある。かつて都城と志布志を結んでいた国鉄大隅線が通っていたので,車窓にも廃線跡が見られた。
 急に台地を下ると,街が開け,13:00に志布志に到着。国道沿いのドラッグストアの一劃が停留所で,長距離路線としては何とも呆気ない終点だ。空港からの客は私を含めて3人であった。

志布志に到着
IMG_4232_20170310165943c74.jpg

 バス停から少々歩いて志布志駅へ。次に乗るのは13:45発のJR日南線列車である。
 現在は日南線の終着駅となっているこの駅であるが,かつては志布志線,大隅線も乗り入れるジャンクション駅だった。両線は昭和62年(1987)に相次いで廃線となった。
 残された日南線には大きな駅は過分であったのか,平成2年に移転し,現在はこじんまりとした造りになっている。

志布志駅
IMG_4233.jpg

駅舎を背に振り返る。旧駅跡は道路や商業施設になっている
IMG_4234_201703101931543bc.jpg

 志布志はウナギの養殖が盛んな地であるというが,乗り換え時間が中途半端なので,駅の近くの店で買ってきた弁当を車内で開いた。駅舎内には観光協会が入っていたが,無人駅であり,当然駅弁などもない。
 1両きりの列車の乗客は10人ほど。海側のボックス席に座れた。乗りつぶし目的らしい鉄道ファンや観光客が大半を占めた。一人は空港からのバスでも一緒だった。日南線沿線であれば宮崎空港の方が便利であるので,彼も私と同じように往復乗車を嫌ったのだろう。

縮小した志布志駅に停まる日南線の列車
IMG_4235.jpg

 志布志駅を発車した列車は,前川を渡って坂を登りながらトンネルをくぐると,海沿いの崖の上に出た。
 次の駅は大隅夏井である。アタマに「大隅」を冠した駅であるが,この辺り(旧南諸県郡)は明治9年まで日向国であった。

志布志・大隅夏井間にて
IMG_4236_201703101931548ec.jpg

 日南線は志布志線の延伸として,志布志側から建設が始まった。昭和12年に油津に達すると,油津・飫肥間の油津線(旧宮崎県営鉄道を国が買収)を組み込み,昭和16年に北郷まで開通した。
 一方,北側の建設は戦後まで遅れ,南宮崎・北郷間が昭和38年に一気に開通した。この際,南宮崎・青島間では先に開通していた宮崎交通線の路盤を流用している。
 昭和38年に全線が開通した際,志布志・北郷間は志布志線から日南線に編入された。「日南線」という国鉄にしてはハイカラな路線名なのは,開通が新しいからなのだ。戦前の開通なら,「日隅線」とか「隈日線」になっていたかもしれない。

 串間から南郷にかけては都井岬に続く半島を横切るため,山越えとなる。山肌には花粉をたっぷりつけた茶色いスギの木が目立つ。狭い平野には水田が広がり,もう水を入れている。3月中に田植えをするのだろうか。
 南郷から油津までは再び海沿いをゆく。日南線の車窓の中では,この辺りが一番風光明媚であった。

南郷・大堂津間で細田川の河口を渡る
IMG_4238_20170310193153119.jpg

七ツ岩と小場島を望みながら海沿いを走る大堂津・油津間
IMG_4241_201703101931528b6.jpg

 油津は深く入り込んだ湾を持つ港町で,飫肥藩の外港であった。ここは是非散策したい街なのだが,時間の都合上飫肥との選択となってしまう。結局,飫肥の顔を立てることになった。
 志布志から乗ってきた列車は油津が終点で,わずか1分の接続で南宮崎ゆきに乗り換える。どちらも1両同士なので,運用の都合なのだろう。

油津駅での乗り換え
IMG_4243.jpg

 油津から飫肥までは2駅なので,もう席にはこだわらない。両駅の間にはその名も「日南」という駅がある。
 日南市は昭和25年に飫肥町,油津町,吾田町の3町と1村が合併して成立した。その際に市名や役所の位置に関して飫肥と油津が随分揉めたらしく,結局役所は中間の吾田に置かれた。駅名も昭和27年に吾田から日南に改称された。

 広渡川と酒谷川の平野を走り,15:07に飫肥着。

乗ってきた列車が飫肥駅を発車してゆく
IMG_4244_201703132236523cc.jpg

 15時を過ぎ,ようやく目的地らしい目的地に到着した。
 18きっぷに入鋏印を捺してもらい,街に出る。
次の記事 飫肥城と城下を散策する
関連記事
スポンサーサイト
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://sagaminomen.blog.fc2.com/tb.php/569-d9adb504

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

プロフィール

さがみぃ

Author:さがみぃ
相州生まれの相州育ちです。
このブログと筆者については,水先案内からご覧いただけます。

トップページ

【PC推奨】行先別INDEX

アクセスカウンター

(平成24年8月22日設置)

検索フォーム

QRコード

QR

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる