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一文字城下町―津

旅行日:平成29年1月(17~)18~20日⑥
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 白子から乗った近鉄電車を津で降りる。
 時刻は14時半だが,駅の裏口ともいえる西口を出て目の前にある大観亭支店で昼食にする。ちょっと奮発して,津名物であるウナギを食す。津市は人口あたりのウナギ屋の割合が日本一で,消費量も上位であるという。
 タレが甘みを抑えた関西風なのは,三重県が近畿地方たる所以かもしれないが,とにかく美味しかった。

うな丼で昼食!
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 地下通路で線路をくぐり,津駅の東口に出る。ロータリーは手狭そうだが,さすがにこちら側は賑わっている。
 津市は旧安濃郡で,東流する志登茂川・安濃川・岩田川が伊勢湾に注ぐデルタ地帯に発展した。平安時代は伊勢平氏の拠点である要津の安濃津(あのつ)として繁栄し,中国の書物では博多,坊津(鹿児島県)と並んで日本三津と記された。
 が,河口の堆積が進んだ上,明応7年(1498)に発生した明応東海地震によって津波が襲来し,湊としては衰退したとされる。
 鎌倉時代には安濃津から単に「津」とも称されるようになるのは,アタマに何もつけなくても通ずる「THE 湊町」であったからだろうか。

 駅は志登茂川と安濃川の間に位置し,市街地は安濃川と岩田川の間にある。駅から市街の津城址までは1.8キロほど離れている。

津駅の表側にあたる東口
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 国道23号に出て,南に歩く。かつての参宮街道を踏襲する国道であるが,郊外を通るバイパスの整備が遅れた(現在も未開通区間がある)ため,片側4車線となっている。
 安濃川を渡る際に,下流側の両岸に橋台が見える。かつて走っていた近鉄伊勢線(旧伊勢電気鉄道,伊勢電)の遺構だ。

浅い流れの安濃川
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左岸側の伊勢電の橋台
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国道23号に架かる歩道橋から眺める津市街
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 高い建物が増えてくると,市街地が近づく。城址は本丸周辺を除いて街に取り込まれ,街区も失われている。

 建武の新政の頃に伊勢国司に任じられた北畠氏は南朝の主勢力であったが,正長元年(1428)に岩田川合戦で北朝方の土岐氏に敗れた。これによって所領は一志・飯高郡の2郡に減少した。
 戦国時代に入ると北畠氏が勢力を盛り返すが,永禄10年(1567)に伊勢国に侵攻した織田信長によって徐々に圧迫を受けることとなる。信長は北畠氏配下の長野氏に弟の信包を養子に入れ,実質的に乗っ取った。また,北畠氏の大河内城(松阪市)を攻めた信長は9代目具房の元に次男の信雄を養子として入れ,こちらも乗っ取りを図った。

 北畠氏を従属させた信包は津に築城し,天正8年(1580)に完成させた。5層の天守を構えていたという。

月見櫓跡。道路や遊具の置かれた公園はかつての内濠
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内濠を渡って西ノ丸に通じていた門の跡
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西ノ丸には文政3年に創建された藩校有造館の入徳門が移築保存されている
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 信包は信長の死後に豊臣秀吉によって移封され,文禄4年(1595)に富田知信が5万石で津城に入った。慶長4年(1599),知信は信高に家督を譲る。
 関ケ原の戦いの直前,信高は徳川家康の会津征伐に従軍していた。三成挙兵の報に触れると取って返し,三河国から伊勢湾を渡り,伊賀国上野城主分部光嘉とともに津城に立て籠もった。西軍は3万の軍勢で津城を取り囲み,津の街や周辺の村々は焼かれた。信高は降伏し,高野山に入った。
 戦後,信高は家康に許された上に2万石加増となり,津の復興に尽力した。津城では焼失した天守の復旧はなされず,天守台の修理だけが行われた。

 慶長13年,富田信高は伊予国板島(宇和島)藩に移封となり,代わりに藤堂高虎が伊賀一国と伊勢国の一部の計約23万石を与えられ,伊予国今治から津に移った。
 藤堂家は外様大名ながらも将軍家の信任があり,領地は32.4万石まで増加した。高虎は津城の改修を行い,縄張りを拡大した。海岸近くを通っていた参宮街道を城下に引き入れ,それによって宿屋や商店が建ち並んで繁盛した。
 拡張したとはいえ,津城の規模は5,6万石程度の大名のそれであったという。

本丸戌亥三重櫓跡の高石垣
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がらんとした本丸
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藤堂高虎が築いたという本丸の石垣から内濠を見下ろす
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 廃藩置県後の明治5年(1872),城内の建物は櫓・多聞を残して大部分が売却され,用地は陸軍省の所管とされた。残っていた櫓類も明治期のうちに撤去された。

 なお,現在の三重県エリアの諸藩は廃藩置県で県に置き換わり,明治4年に8県を合わせて安濃津県となった。県庁は津であったが,翌年に三重郡四日市に移り,県名も三重県に改められた。県庁は明治6年に四日市から津に戻ったが,県名は変わらなかった。

現在唯一の建物は,復元された丑寅三重櫓
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 城を離れ,旧城下町の観音寺の方へ行ってみる。
 規模の大きな寺だが,空襲で焼けたために伽藍は新しい。
 参道にあたるピュアだいたてというアーケード街はすっかり寂れ,シャッターを閉じた店ばかりだった。人通りもまばら。

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境内では早くもウメの花が咲いてた
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観音寺門前のピュアだいたて
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百五銀行には旧行舎の一部がモニュメント的に残る
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アーケードで分かりにくいが,近代建築も見られた
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 中心部から海に向かって延びる大通りにはフェニックスが植えられている。この先には現代版安濃津ともいうべき津なぎさまちがあり,伊勢湾を突っ切って中部国際空港(セントレア)まで所要時間45分の高速船が就航している。
 私はそこまで行かずに,脇道を折れる。特に名のない2車線道路であるが,地元では近鉄道路と呼ばれているらしい。

津なぎさまちへ通ずるフェニックス通り
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 近鉄道路は,先ほども少々触れた近鉄伊勢線(伊勢電)の廃線跡である。伊勢神宮へのアクセス鉄道であったが,昭和36年に廃止された。

 伊勢線は複線で線路用地の幅が広かったため,廃止後は一部の区間が道路化された。
 岩田川に架かる橋梁は下路ガーダー橋を2本並べた構造で,道路橋としては異様な造りとなっている。複線幅ながらも上下線の間にも補強用の仕切りがあり,クルマで通る際には圧迫感を感じそうだ。

道路橋らしからぬ構造の岩田川の橋梁
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リベットの目立つ無骨な造り
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 伊勢神宮に向かう鉄道としては,関西鉄道(JR関西線)の亀山から津を経て山田(現・伊勢市)に到る参宮鉄道(JR紀勢線・参宮線)が明治30年(1897)に開通し,その嚆矢となった。関西鉄道,参宮鉄道は国策により明治40年に買収国有化された。

 昭和に入ると,大阪の上本町を起点とする大阪電気軌道と参宮急行電鉄(参急,両社がのちの近鉄)が延び,昭和5年には外宮前まで繋がった。
 同じ年には伊勢電気鉄道が桑名から大神宮前(外宮附近)まで開通している。伊勢電は元々,四日市から若松,白子を経て津に到る伊勢鉄道という小さな鉄道会社であったが,名古屋と伊勢神宮を結ぶ経営方針を打ち出した。
 しかし,伊勢電は過剰な設備投資の割に収益を上げられず,名古屋に繋げられないまま参急に買収される。参急は津線(津~伊勢中川)を津の江戸橋で伊勢電に繋げ,名古屋進出の足掛かりとした。昭和13年に参急名古屋(近鉄名古屋)まで全通し,軌間が異なるものの,大阪・名古屋・伊勢神宮のある宇治山田のネットワークが完成した。

 一方,旧伊勢電の路線で参急と並行する江戸橋・大神宮前間は支線の伊勢線に転落した。特に,松阪市から宇治山田市(伊勢市)にかけての区間は国鉄と参急の2路線が並行していたため,戦時中の昭和17年に伊勢線の新松阪・大神宮前間が廃止された。
 参急は関西急行鉄道を経て昭和19年に近畿日本鉄道(近鉄)となり,江戸橋・新松阪間も存置していたが,昭和36年に廃止された。

橋の上から岩田川河口を望む
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 丁度潮の引いた時間だったので,堤防から橋の下に下りることができた。
 このガーダー橋は7径間であるが,大神宮前方の2径間だけやや小ぶりな造りになっている。

桁の異なる造りを観察できた
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陽の傾いてきた津市街方向を望む
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 岩田川沿いに上流方向に戻り,途中から国道163号に入って,近鉄の津新町駅を目指す。
 津市街には津駅よりも津新町駅の方がやや近く,こちらにも急行電車が停まる。ただ,近鉄に並行してJRも通っているのに,JRは駅すらなく素通りなのはもったいない。
 駅前には再開発らしい大きなマンションが建ち,なかなか便利そうなところだ。

近鉄津新町駅
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 津新町17:05発の伊勢中川ゆき普通電車に乗る。3両連結で,やや混雑していた。
 電車は津の郊外住宅地らしい駅々で客を減らし,10分強で伊勢中川着。

 伊勢中川は西から来た大阪線と北から来た名古屋線が合し,山田線となって南へ向かうジャンクション駅で,線路が輻輳している。1本の線路の両側がホームという構造になっており,多くの列車を捌きつつ,乗り換えの便宜を図っている。
 私の乗ってきた伊勢中川止まりは1番のりばに着き,向かいの2番のりば始発の宇治山田ゆきに接続する。接続中に後続の急行松阪ゆきが3番のりばに入ってきて先発するが,この時2番のりばの電車は両側のドアを開けているので,車内を通り抜けて1番線から3番線にも乗り換えることができる。
 写真を撮っている間に2番のりばの左側のドアを閉められてしまったが,運転士が私に気付いて開けてくれた。

夕闇迫る伊勢中川駅にて
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 きょうは伊勢市駅前に泊まるので,宇治山田ゆきの電車に乗る。
 ホテルは本当に駅前にあり,部屋からはJRと近鉄の駅構内が一望にできた。
次の記事 大神宮参詣のち,伊勢湾渡海渥美半島経由豊橋へ
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