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三岐鉄道北勢線・三岐線に乗る

旅行日:平成29年1月(17~)18~20日③
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 桑名の街を一回りし,昼食を摂ってから駅に戻ってきた。
 次は桑名駅前にある西桑名駅から三岐鉄道の北勢線に乗る。三岐鉄道は員弁川の左岸に北勢線,右岸に三岐線という二つの鉄道路線を走らせている。
 その出自は複雑なのだが,解説は後回しにして,西桑名駅で「1日乗り放題パス」(大人1,100円)を購入し,改札をくぐる。丁度,折返し13:05発の阿下喜ゆき電車が入ってきた。
 それにしてもこの電車,実に小さい。
西桑名駅に停車中の北勢線電車
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 6,7割程度の座席が埋まり,西桑名を発車する。坂を登って急なカーブを曲がり,JR関西線と近鉄を跨ぎ越す。
 左右に揺さぶるように走るが,それ以上に縦揺れが激しい。レールは10メートル位ごとに継ぎ目があって,それを踏む度にゴツンという振動が足元からアタマまで伝わってくる。

 北勢線は特殊狭軌と呼ばれる狭い軌間が特徴で,線路の幅は762ミリに過ぎない。数字のキリが悪いが,ヤードポンド法でいえば2フィート6インチになる。
 日本の鉄道の軌間は,国鉄(JR)の在来線やそれと直通する私鉄が1067ミリ,路面電車が1372ミリ,新幹線や多くの電鉄系私鉄が1435ミリで建設された例が多い。人が足を閉じて立つよりも,足を開いて立った方が身体が安定するように,軌間が広い方が車体が安定し,高速運転に向く。車輌も大きく出来る。
 軌間762ミリは輸送量が少ない路線や,鉱山の軌道などで多く建設された。軌間が狭くて車体が小さければ,取得する用地は少なく,施設の建設費も安く済むからだ。関東地方でも青梅鉄道(JR青梅線),千葉県営鉄道(JR久留里線),上野鉄道(上信電鉄)が特殊狭軌で開通し,のちに狭軌に改められている。
 北勢線も北勢鉄道によって,大正3年(1914)から昭和6年(1931)にかけて特殊狭軌で建設された。

 車内も狭く,ロングシートだというのに向かいの人と膝を突き合わせて座ることになる。

向かい合った座席の間隔が狭い車内
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(終着駅にて撮影)

 員弁川が近づいてくると家並みが切れ,駅間は田園地帯を走るようになる。一面の雪景色で,前方を眺めると,2条の線路だけが雪の中から出ている。

前方に鈴鹿山脈を見つつ,雪景色の中を走ってゆく
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 電車は少しずつ乗客を降ろしながら,員弁川の沖積平野を進む。東員で7分,2つ先の楚原でも6分停車し,西桑名から終点の阿下喜までの所要時間はぴったり1時間となっている。20.4キロに1時間とは非常に遅い。乗っていると結構飛ばしているような感じがするが,最高速度は時速45キロに過ぎない。速度と速度感は別のものなのだろう。

 戦後も特殊狭軌のまま残った鉄道路線は各地にあったが,それらの多くは地方の零細な私鉄であった。そのため,モータリゼーションの進展の中で消えていった。こんな速度ではマイカーはおろかバスにすら太刀打ちできなかったのだろう。

 そんな中で北勢線が残ってきたのは,大私鉄の近鉄が営業してきたからだろう。三重県下の鉄道・軌道・バス会社の多くは戦時中に三重交通に一本化されたが,昭和40年に鉄道部門が近鉄に移管された。
 今日国内に残る特殊狭軌路線は三重県内の三岐鉄道北勢線と四日市あすなろう鉄道の2路線,黒部峡谷鉄道の計4路線に過ぎない。三重県下の3路線はいずれも最近まで近鉄の路線であった。
 大私鉄の近鉄といえども,近年では地方の不採算路線が大阪近郊の主要路線の足を引っ張っているようで,次々に路線の切り離しを行ってきた。北勢線も廃止の方向性が打ち出され,結局は平成15年(2003)に並行私鉄である三岐鉄道が引き取った。

阿下喜が近づくと,竜ケ岳(左)や藤原岳(右)が間近に
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 楚原を過ぎると,やや山深いところを走る。積雪もなかなかの量だ。
 最後は坂を下って,平地に開けた街に辿り着く。旧北勢町(現在はいなべ市の一部)の中心集落の阿下喜である。終着駅で下車した客は20人くらいだった。

終着駅は新しい木造駅舎であった
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 電車が折り返すまでには24分ある。駅の周りをちょっと歩くには丁度いい時間だ。
 私は員弁川に架かる橋に立って藤原岳を眺め,駅に戻って構内に保存された古い電車を見学した。

藤原岳は石灰の山
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阿下喜駅の一劃で保存されている開業当時の電車
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藤原岳を仰ぎ見る阿下喜駅構内
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 14:29発の西桑名ゆき電車で引き返し,楚原で下車。楚原駅の北側には近代化産業遺産の橋梁が二つあるので,これらを見に行く。
 楚原駅は台地の上にあり,周辺は道が狭かったものの歩き易かった。橋までの道標も整備されている。
 が,台地の縁まで来ると,突然急傾斜の下り坂になった。轍はあるものの除雪はされておらず,恐ろしく滑る。切通しの石垣がなければ,下れなかったかもしれない。
 坂の下で用水路を渡り,堤の上の道の折れる。一人分の足跡が残っていたので,それに歩幅を合わせたが,それでも靴の中に容赦なく雪が入ってくる。

雪原の向こうに橋が見えてきた
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 そして何とか橋の下に辿り着いた。ここだけは雪が積もっていないので,一心地つけた。
 この橋,名前を六把野井水拱橋という。下を通る用水路が江戸時代に引かれた「六把野井水」で,「拱橋(※)」はアーチ橋の意である。コンクリートをブロックを積み上げたアーチ橋であるが,その積み方が変わっている。下から見ると斜めに積まれているように見える。
 この構造を「ねじりまんぽ」といい,レンガやブロックを積んだアーチ橋を川や道路に対して斜めに架ける際に用いられる。
 コンクリートブロックによるねじりまんぽは現存する唯一のものであるという。

 見上げていると,模様に酔うというかヘンな気持ちになってくる。

※余談だが,「拱橋」は「きょうきょう」が正しい読み方だが,慣例的に「こうきょう」と呼ばれる

雪中を六把野井水拱橋の下に辿り着いた
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下から眺めるねじりまんぽ
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 六把野井水拱橋の阿下喜寄りには明智川拱橋という3連アーチ橋があるので,そちらも観察する。この橋もコンクリートブロック造りとなっており,その点が珍しいという。二つのアーチ橋が架けられた大正5年はまだ“混凝土(コンクリート)”の黎明期だったのだろう。
 その前に上りの電車がやって来た。電車は非常にゆっくりとやって来るので,私でも写真が撮りやすい。
 この電車は楚原で下りの電車と交換するので,今度はアーチ橋が写る位置で待ちかまえて撮影する。さっきの電車は3両連結だったが,今度は4両繋いでいる。しかも,よく見ると前1両と後ろ3両の車体の長さが違っている。

八幡神社の鳥居と龍ケ岳を背景に入れて撮影
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下り電車が3連アーチ橋を渡ってゆく
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明智川拱橋を真横から
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 ここから歩いて三岐線の三里駅を目指す。
 北勢線と三岐線は同じ会社ながら,その生い立ちの違いゆえに接続していない。しかし,員弁川の両岸に敷設されているため,両線の駅間を歩いて移動することができる。最も近いのは北勢線の阿下喜駅と三岐線の伊勢治田駅の間(約1.7キロ)だろう。
 が,私は北勢線の二つの橋梁を見たかったので,楚原駅で降りた。楚原駅から一番近い三岐線の三里駅までは約3キロを隔たっているが,ここまで既に1キロほど歩いたので,残りは約2キロである。

 国道421号に出て三笠橋で員弁川を渡り,反対側の台地に上がる。ここでも歩道は除雪されておらず,歩きづらかった。
 三里駅は小さな集落の静かな駅であったが,スクールバスが着いて高校生たちが降りてくると賑やかになった。

三里駅からも藤原岳がよく見えた
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 私は三里16:02発の西藤原ゆき電車に乗った。西藤原までは5駅だが,もう大きな街がないので車内は空いていた。 
 三岐線は藤原岳で産出される石灰を加工したセメントを輸送する目的で敷設された。そのため,貨物が第一義であり,旅客は二の次といった感がある。私鉄のダイヤは30分間隔とか1時間間隔のようにきれいに揃っていることが多いが,この線は30~60分くらいの間でランダムな間隔になっている。貨物列車を走らせるために等間隔にできないという。

 沿線の解説は後回しにして,ひとまず西藤原16:19着。ここまでの客は3人しかいなかった。

西藤原駅のホームには滑り止めの蓆が敷かれていた。電車は西武線の中古
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 三岐鉄道という会社名は重県と阜県を結ぶことを意図し,西藤原から関ケ原まで延伸する計画があったという。地図を見て意外に感じたのだが,三重県と岐阜県の県境は標高約260メートルに過ぎない。東海道線の関ケ原駅までの距離は20キロ程度だ。

三岐線の終着西藤原駅
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 折り返しは5分後。次の17:02発を待つと陽が暮れてしまうので,慌ただしく電車に戻る。
 今度は運転席のすぐ後ろの短い座席に座る。前方を眺めるには都合の良い席だ。

 西藤原から東藤原にかけては藤原岳を回り込むように走る。西藤原駅近くの線路際には珪石鉱山があるようだが,線路は延びていない。
 圧巻は東藤原駅の手前で,セメント工場の中を走る。車窓からは左手のプラントしか見えないが,右手にはもっと大きな施設があるようだ。
 左右の引き込み線を集め,セメント貨車が並ぶ東藤原駅に進入する。

セメント工場内を走る
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左右から引き込み線が合流。前方には電気機関車がたむろしている
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広い構内の東藤原駅に進入する
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 次の伊勢治田には貨物用の側線が広がり,その次の丹生川には機関車や貨車を保存した博物館がある。
 先ほど乗車した三里を過ぎ,梅戸井で貨物列車と交換。両者の進入はほぼ同時で,なかなかスムーズな行違いだ。
 貨車を牽引するのはED451というナンバーの機関車で,私の地元の相鉄ED10形と同じ時期・会社の製造とのこと。塗装やライトこそ違えど,確かに似ている。

梅戸井駅で貨物列車と行違い
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 梅戸井の先で員弁川から朝明川の水系に移り,いなべ市から四日市市に入る。この辺りまで来ると沿線は四日市市の新興住宅地で,乗客も増えてきた。

 終点の近鉄富田駅が近づくと,JRを乗り越え,そこで線路が二手に分かれる。電車は右に進路を得ると,築堤を走り,もう一度JRを跨いで近鉄の線路に並び,近鉄富田駅に進入する。

 じつは三岐線の始発駅は2つに分かれていて,旅客列車は近鉄の近鉄富田駅,貨物列車はJR関西線の富田駅から出る。
 三岐鉄道が開業した昭和6年時点で既に両線は開通していたが,貨物輸送を主とする三岐鉄道は当然ながら国鉄駅に乗り入れた。旅客列車の一部が国鉄四日市駅まで直通していたこともある。
 しかし,国鉄は旅客列車の本数が少なくて不便なので,三岐の客の多くは富田駅で下車し,近鉄富田駅まで歩いて近鉄に乗り換えていた。両駅間は500メートル弱離れている。
 そこで三岐鉄道は昭和45年(1970),近鉄富田駅までの連絡線を引き,旅客列車の乗り入れを開始した。その際に線形の関係上,国鉄(JR)を二度跨ぐことになった。この辺りの具合は,新旧の地図を見較べるとよく判る。
 旅客列車の富田駅乗り入れはその後も細々と続いたが,昭和60年に廃止され,現在もホームが残っている。

三岐線の新旧路線を比較
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(左は昭和10年発行2.5万分1地形図「桑名」,右は地理院地図。「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成させていただいた)

 近鉄富田着17:10。近鉄の名古屋方面ゆきホームに横付けされるので,乗り換えは便利である。
 今夜は四日市に泊まるので,一日乗車券で改札を出て,改めて入場する。
 陽の暮れたホームは底冷えがし,しかも電車は出たばかりであった。ようやく入ってきた17:26発の準急電車は3両連結で,かなり混んでいた。
次の記事 四日市港に末広橋梁を見に行く
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