紅葉秋晴れ三方五湖
【16.11】山陰と北陸のあいだ―晩秋の丹後若狭
旅行日:平成28年11月(8~)9~11日⑧
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丹後・若狭の旅,最終日。
朝,ホテルの部屋のカーテンを開けると,道路の路面が濡れている。夜中に雨が降ったようだ。
きょうは小浜を見てから滋賀県に抜け,どこかのインターチェンジから高速に乗って帰ることになる。
8時過ぎに出発し,国道27号を西へ走る。小浜に行く前に三方五湖を見ておきたい。
美浜町に入った佐田というところで海沿いの県道に出て,コンビニで適当に朝食を済ます。雲が霽れ,青空が見えてきた。
三方五湖は久々子湖,日向湖,水月湖,菅湖,三方湖の5つからなる。あらましについては後で述べることにして,まずは久々子(くぐし)湖の岸に出る。島だったらしい飯切山まで砂洲が伸び,海から切り離された潟湖である。水深は2メートルと浅い。南側から流入する宇波西川によって湖底の堆積が進んだようだ。
久々子湖の湖畔から三方五湖有料道路,愛称レインボーラインが始まる。有料道路であるが,東側は無料で通行できる。
一旦登って下り,県道244号との交差点を過ぎたところに料金所があった。通行料金は普通車1,040円であるが,特割引期間ということで半額の520円となった。これは嬉しい。
湖から離れて急な坂を登っていくと,右手に別の湖が現われた。日向(ひるが)湖である。
日向湖は円い形をしていて,久々子湖よりも小さいが,水深は35メートルと深い。そのためか養殖業が盛んで,筏が浮かんでいる。紅葉に縁取られた箱庭のような湖である。
山の切れ間から若狭湾が見えている。ここには日向水道という水路が海に通じているが,これは江戸時代前期に開削された。
先ほど「一旦登って下り…」と書いたが,その部分に沖積低地があり,久々子湖まで繋がっている。
左手には木々の間から三方五湖最大の水月湖が見える。水月・菅・三方の三湖は狭窄部で繋がっており,一つの湖のようでもある。
なお,写真を写している私の下には導水路が通じ,水月湖の水を日向湖に排出している。
海に面していない三湖は,古い時代には菅湖から流れ出る気山川が久々子湖に通じていた。が,寛文2年(1662)に三方断層が動く地震があり,川が4メートルも隆起した。そのため,三湖の排水がされなくなり,三湖の周りは水浸しになり,集落が水没したという。
当地を領する小浜藩は対策を急ぎ,行方久兵衛によって2年後の寛文4年に水月湖と久々子湖を直接繋ぐ浦見川が開削された。
さらに水月湖と日向湖を繋ぐトンネルが宝永6年(1703)に計画されたが,工事は難航し,寛政2年(1779)にようやく完成をみた。それがこの下を通っている嵯峨隧道である。
排水が進んだことで,湖岸附近の浅瀬が陸化し,新田開発が進んだ。
さらに標高を上げると,若狭湾の眺望が開けてくる。ここは細長い常神半島の付け根である。内海側には集落が点在しているが,外海側は斜面がそのまま海に落ちている。
昨日は大荒れだった海面も,きょうは比較的穏やかそうだ。
レインボーラインの最高地点は標高約330メートル。その辺りに分かれ道があり,広い駐車場に通じている。
この駐車場からの眺望もなかなかよいが,ここからはケーブルカーとリフトが梅丈岳に通じている。この山の高さは400メートル強で,山頂の辺りが山頂公園として整備されている。公園の入場料はケーブルカー・リフト込みで大人800円。どちらに乗っても良いのは,きのうの天橋立傘松公園と同じである。
私はまたリフトを選んだ。昇りながら後ろを振り返ると,海面が遥か下方に見え,怖いと思った。私は高いところは平気な方なので珍しい。
山頂公園からの眺めは,それはもう文句なしに素晴らしかった。三方五湖はもちろんのこと,遥かに越前岬や丹後半島を望み,その間の若狭湾を一望にする。湖沼の後ろには滋賀県との県境をなす野坂山地があり,その山襞から靄が平地に流れてきている。
若狭湾は日本海側では珍しいリアス式海岸が発達している。湾の西の丹後半島の付け根には山田断層が,東の越前岬への海岸沿いには甲楽城断層がそれぞれ通り,その間が沈降運動をしている。三方五湖も河谷が沈水した溺れ谷である。
公園内にはいくつかの施設もあるようだったが,360度の眺望に魅せられ,景色ばかり見て写していた。
高さ感に慣れたせいか,すぐ下に地面が見えているせいか下りのリフトは特に恐怖感もなかった。
クルマで一気に下ると,水月湖の湖畔で県道に合流する。
水月湖は湖底の「年縞」で知られる。年縞とは湖底に積もった堆積物の層の断面が縞模様に見えるもので,水月湖のものは安定して7万年分が重なっている。つまり,ある時期だけ厚くなったり,逆に薄くなったりすることが少ないのである。
この地層のデータは放射性炭素年代測定に活用される。これは炭素の半減率によって,動植物の死期を判定するもので,地質年代の同定などにも利用される。詳しいことは私の理解の範疇を超えるのだが,この方法にも誤差が生じることがあるという。その際に安定した年縞と照らし合わせることにより,誤差を調整できるのだそうだ。
珍重される年縞が作られたのは,水月湖の地理的条件による。この湖は大きな流入河川ないため,川による堆積物に乏しい。沈降運動によって湖底が浅くならず,そのために生物が住みづらい。さらに地形的に風が弱く,波が立ちにくい―。
筏が出ていて,作業員が二人何やら行っている。が,よく見ると案山子であった。
水月湖が窄まったところを境界に三方湖に移る。こちらは流入河川が多く,かなり湖底は浅くなっている。この狭窄部がなければ水月湖にも多くの土砂が流れ込んでいたかもしれない。
水月湖と三方湖に沿って走り,国道162号に合流する。周辺にはウメの樹が多い。三方郡(現在は三方上中郡)はウメの名産地なのだという。
国道162号は昨日も通ったが,夜と昼とではまるで印象が異なる。トンネルが多いが,明かり区間ではこんなに海が見えたのかと思う。
阿納トンネルで内外海半島の主脈をくぐり抜けると,小浜湾沿いに出る。次の目的地小浜が近づく。
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