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会津若松からの長い帰路&塔のへつり

旅行日:平成27年4月(13~)14~16日⑧
前の記事 サクラ咲く若松城/会津若松の古い街並みを散策する(後)
 会津若松の街を一巡し,駅に戻ってきました。時刻は13時半過ぎですが,早目に帰途に就くことにします。もっとも,ここからJR,会津鉄道,野岩鉄道,東武鉄道を乗り継ぐという時間のかかるルートを選んだので,帰宅するのは21時ごろになりそうです。

 まずは13:41発の会津田島ゆきに乗ります。1両きりのディーゼルカーです。
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 若松城を遠望しながら街の西縁を辿り,朝訪れた七日町の次が西若松。ここまでがJR只見線で,ここから会津鉄道に入ります。
 只見線は大正15年(1926)の開業で,当初は会津線という名称でした。会津線は二つあって,会津若松から只見までの本線と,西若松で岐かれて会津滝ノ原に到る支線からなっていました。
 昭和46年(1971)に只見から新潟県の小出までが繋がると,こちらは只見線に改称し,西若松・会津滝ノ原間が会津線として残りました。その会津線は不採算のため,廃線を指定を受け,昭和62年にJRから第三セクターに移管されました。

 西若松を出ると景色が鄙びてきて,春の浅い田園地帯を走ります。陽射しが強く,車内は暑いくらいです。
 乗客はパラパラ座っている程度でしたが,芦ノ牧温泉に着くと,大勢乗ってきました。どうやらバスツアー客のようです。こうした団体客の“体験乗車”利用は鉄道会社にとっては願ってもない収入源なのでしょうが,乗り合わせた方はたまりません。
 芦ノ牧温泉から先は阿賀川(大川)が峡谷をなしますが,大川ダム建設のために付け替えられた新線に入るため,トンネルが続きます。あまり景色がいいとは言えない区間ですが,大川ダムの若郷湖が尽きるあたりに橋梁が掛かり,峡谷を渡ります。列車は速度を落とし,サービスしていました。

 ツアー客は湯野上温泉で下車し,私もその次の塔のへつりで途中下車。
 雑木林の中にある寂しい駅でした。
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 駅は阿賀川が形成した河岸段丘の上にあって,辺りに人家は見当たりません。林の中に延びた道をしばらく進むと俄かに坂が急になり,数軒の土産物屋が現われました。
 クルマが通れない道をさらに下ると,青緑色をした阿賀川の川面が見えてきて,峡谷の一番狭い場所に吊橋が架かっていました。
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 塔のへつりは塔のように聳え立つ岩々からなる崖の一部分が横方向に「コ」の字型に削れ,まるで通路のようになった奇勝です。
 「へつり」には「(山かんむりに弗)」の字が宛てられます。奇異な印象を受ける地名ですが,山がちな会津地方では岩場の狭い道をへばりつくように進むことを「へつり」と表現するそうです。
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 削られた部分は凝灰岩からなります。凝灰岩は比較的軟らかく,川の流れでも容易に浸食されます。
 この凝灰岩は120~130万年前に噴火し,カルデラを形成した火山活動の火砕流に由来します。会津地方南部では100~850万年前に火山活動が活発だったことが明らかにされており,地層中に4,5層の凝灰岩が確認されています。これらは白河火砕流群と呼ばれています。
 この地方のカルデラは,その後の地殻変動などによって失われてしまいましたが,地層中に証拠を残しているのです。

 阿賀川に浸食された凝灰岩層は,現在では川から離水しており,そのために川面から数メートル上のところに通路状の凹みが残り,奇観を呈しているという訳です。
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 この凹みを歩けるようになっていると思っていましたが,危険ということで大部分は立ち入り禁止でした。いまは雪融けで阿賀川は増水しており,恐ろしいです。淀んだような色をしていますが,かなりの速さで流れていました。

 写真では分かりづらいですが,「へつり」の“天井”は大きな粒子が岩をなしています。一方,削られた壁の部分は粒子が細かいという特徴があります。火砕岩は岩をつくる火山噴出物の大きさによって分類され,凝灰岩をなす火山灰は長径2ミリ以下です。
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 「へつり」が顕著に現れているのは右岸側ですが,対岸の左岸側も少しだけへつれています。浸食具合の差異は,カーブの内外の川の流れの強弱によるものでしょう。
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 揺れる吊橋に立って,阿賀川の下流を望みます。川幅は広がって,河原が現われます。奥のずっしりした感じの山は小野岳(標高1,383メートル)。
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 駅に戻り,15:23発の会津田島ゆき普通列車に乗車。
 2両連結の真っ赤なディーゼルカーがやって来ました。快速「AIZUマウントエクスプレス号」に使用されるリクライニングシートの車輌で,ヘッドマークも取り付けたまま。豪華な設備ですが,特別料金はかかりません。もっとも,運賃が高額なのですが…。
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 ゆったりした座席にくつろぎ,会津の山々や細くなりゆく阿賀川を眺めます。会津下郷を過ぎると標高も500メートルを超え,近くの山々にも残雪が見られるようになりました。
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 狭いながらも盆地が広がり,15:47,終点の会津田島着。田島は会津地方南部の中心をなす都市ですが,街は大きくありません。
 ここでは13分の接続で,浅草ゆきの区間快速に乗り換えます。ここから南は電化されていて,東武の電車が乗り入れてきています。東京の私鉄電車が福島県まで来ていることに改めて驚かされます。
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 時刻がきて電車は軽快に走り出しました。学校の下校時間ですが,ローカル線の主役である高校生の姿は僅か。
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 5つ目の会津高原尾瀬口はかつての会津滝ノ原で,ここで会津鉄道から野岩鉄道に変わります。この路線は日光線の今市と会津滝ノ原を結ぶ目的で鉄建公団によって建設が進められましたが,国鉄の財政悪化により工事が中断しました。
 その後,福島県や栃木県が株主となって第三セクター方式で会社を設立し,工事を再開,そして昭和61年に開通しました。

 長い山王トンネルを抜けると栃木県。鬼怒川の上流域です。
 野岩鉄道は建設時期が新しいため,トンネルが続きます。その合間で鬼怒川のダム湖が見え隠れ。

 切符を持っていなかったので,長い駅間を利して車掌から購入。会津鉄道は整理券方式のワンマン運転で,新藤原から先の東武は株主優待券を用意してきたので,塔のへつりから新藤原までの分を支払いました。
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 空車を増結した新藤原からは東武鬼怒川線。大正時代に電源開発を目的に建設された下野軌道を改良して使用しているので,急なカーブが多くなり,速度が落ちます。歓楽色の強い鬼怒川温泉が近づき,ビル旅館が林立。廃墟も目立ちます。
 鬼怒川温泉では14分も停車し,始発の特急を先行させます。これに乗り換えれば北千住には50分ほど早く着きますが,急ぐこともないので,このまま行くことにします。
 JRなら途中下車してコンビニに何か仕入れに行くところですが,途中下車不可の私鉄は勝手が違います。

 ようやく走り出しましたが,駅の数も列車本数も増えたため,よく停まります。荒っぽい河原をした大谷川を渡り,男体山を遠望。間もなく下今市で,日光線と合流します。
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 日光線は東武が威信をかけて建設した高規格路線なので,電車は一気に速度を上げました。路線とは裏腹に各駅の利用者は少なく,僅かな乗客が駅舎を抜けていきます。夜の闇が近づき,ホームだけが明々としています。旅情を感じます。

 栃木を過ぎ,18:53に新大平下を発車すると,ようやく駅を通過するようになります。区間快速の停車駅設定は随分大胆で,JR接続の栗橋にも,車庫のある南栗橋にも停まりません。春日部からの乗車が多く,これまで独占状態だったボックス席はようやく相席になりました。春日部からは街明かりの増えた中を快走し,17駅も連続して通過し,19:53に北千住着。会津田島から3時間53分を要しました。
 後続の急行で中央林間に抜けることもできましたが,下車時の精算の煩瑣を厭い,一旦改札を出ました。千代田線に乗り換えて代々木上原に出,小田急で帰宅しました。
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