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三遠ドライブ(前) 大島・宇連ダム,鳳来寺,四谷千枚田

旅行日:平成27年8月27日①
 6時過ぎに厚木ICから東名に入りました。間近に望む大山は山頂附近が雲に覆われていますが,中腹に陽が射し,輝いています。

 ―前日からの仕事の三連休を利用し,私は東北地方辺りを巡る計画を立てていました。しかし,颱風が接近し,かの地は三日とも雨という天気予報を受け,規模の縮小と行き先の変更を余儀なくされました。
 天気予報をこまめにチェックしながら決めた行き先は,渥美半島,浜名湖方面。クルマで訪れることのできる範囲内で,かつ休みの間で晴れの予報が出たのは,27日の静岡県西部から愛知県にかけての僅かな地域だけでした。

 雲に覆い隠された富士を右に見て,御殿場JCTから新東名へ。いつの間にか晴れ間は消え失せ,山から靄が流れてきます。
 景色の良い駿河湾沼津SAにて朝食がてらの休憩。重々しい雲が低く立ち込めています。フードコートの屋外デッキに出てみると,1羽のキジがいました。

・駿河湾を背景に佇むキジ。尾が短い
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・あまり近づくと逃げ出しそうなので,望遠レンズに付け替えて撮影。精悍な表情をしている
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・斜面には茶畑が広がり,駿河湾を挟んで伊豆半島をも望む
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 西に向かえば天候が恢復する筈でしたが,大井川を渡河する辺りから雨が降り出しました。80キロ規制が敷かれ,速度を抑えて進みます。
 浜松SAを過ぎると,雨は激しくなり,強い音を立てて車体に打ち付けるようになりました。これでは海どころではありません。
 名古屋方面が未開通の現状では大きなループ線となっている浜松いなさJCTを回るうちに気が変わり,三遠南信道へと進みます。自動車専用道路で,二車線なので速度は低いですが,嬉しい無料区間となっています。長いトンネルをいくつもくぐるうちに愛知県に入り,終点の鳳来峡ICに到りました。豊川の主要な支流である宇連(うれ)川の上流です。

 インターチェンジの近くに2つのダムがあったので,訪問。宇連川支流の大島川の大島ダムと,本流の宇連ダムです。

・まずは大島ダム。平成13年完成と比較的新しい
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・このところの雨で満水位に達し,洪水吐が機能中。流れ下る水の模様が美しい
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・宇連ダムは昭和33年完成の古めのダム。ダムカードは大島ダムのものを含め,2枚をここで入手
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 晴れて来れば豊川沿いに下って海沿いに出ることも考えていましたが,予報は曇りに変わっています。地図を眺めながらこの後のルートを検討し,ひとまず鳳来寺を経て四谷千枚田を見に行くことにします。
 宇連川に沿っては,国道151号とJR飯田線が敷かれており,国道を湯谷温泉まで下ります。
 湯谷からは鳳来寺山パークウェイが鳳来寺へと通じており,これで高度を稼ぎます。この道路はかつての有料道路で,現在は山頂の駐車場だけが有料となっています。詰所で居眠りしていたおじさんに510円を払い,広い駐車場から鳳来寺まで歩きます。
 左手は崖,右手には深い谷が刻まれているようですが,霧に隠されて谷底は知れません。

・参道は濃霧に覆われていた。ここから伽藍が見えるという場所でも視界は利かず
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・帰りには霧が霽れて,幻想的な眺めとなった。上写真と同じマツの一本木が写っている。鐘楼のうしろは鏡岩と呼ばれる流紋岩の一枚岩で,鐘の音が10分間も聴こえるという
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 鳳来寺は鳳来寺山の山頂近くに大宝3年(703)に建立されたと伝わっています。開祖の利修仙人は鳳来寺山の7本の霊木のうちの1本から峯薬師如来を彫り,修行のために高麗に渡りました。その後,鳳来に乗って帰国し,文治天皇が病にかかった際には祈祷で治癒させたため,天皇によって寺が立てられました。峯薬師如来は当寺の本尊となっています。
 江戸時代には徳川家康ゆかりの寺(後述)として幕府の庇護を受け,寺領1,350石を有しました。

 足下の悪い雨上がりのため参拝者は少なく,恰好の獲物を見つけたとばかりに蚊が集まってきて,耳元を羽音がかすめます。私は落ち着きませんが,泰然と景色を眺めているおじさんもいました。

・本堂は大正時代に焼失し,昭和49年の再建
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・本堂脇から谷を見下ろす
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・さらに上方にある堂は修復工事中であった
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 鳳来寺に隣接して,鳳来山東照宮があります。慶安4年(1651)に時の将軍であった徳川家光の発願によって造営されました。
 家光の発願は,同元年に日光東照宮に参拝した際に知った伝承が動機になっているといわれています。
 ―家光から遡ること4代,三河国岡崎城主であった松平広忠はなかなか子に恵まれず,正室の伝通院(於大の方)ととも祈念のため鳳来寺峯薬師に参拝しました。すると,夢告げがあったのち身ごもり,天文12年(1542)に第一子が誕生しました。この子こそ,家光の祖父にあたる家康です。
 この伝承で家康に対する思いを新たにした家光は,鳳来寺山の一郭に家康を祀る宮を造営したというのが,鳳来山東照宮の由緒となっています。

・社殿は創建当初のものが残り,重要文化財指定を受けている。写真は拝殿
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・東照宮は斜面に石垣を築いて造られた平場に位置する。新緑や紅葉が美しそうだ
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 道を引き返し,駐車場に戻りました。集まってくる虫を手で払いながら早足で歩いたため,蒸し暑さを感じました。

 鳳来寺山パークウェイを門谷の方へ下ります。門谷は鳳来寺の門前町で,ここから寺までは1,425段の石段が続くそうです。
 昭和43年までは鉄道も来ており,クルマからは廃トンネルも見られました。
 海老の先の滝上というところで県道を分かつと,俄かに道が狭くなりました。清水川という川に沿って分け入れば,見事な棚田が現われました。ここが四谷千枚田です。

 四谷千枚田は新城市四谷の鞍掛山山麓に広がります。緩やかな谷を埋めるように斜面の遥か上方まで続く田は圧巻です。
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 見学者のために数台分の駐車場が用意されており,ここに停めて散策に出掛けます。
 この谷では明治37年(1904)の初夏に長雨による山津波が発生しました。山津波は家屋10戸や田畑を押し流し,11名の犠牲者が出たそうです。
 その後,村人たちによって少しずつ復興がなされ,このような美田が生まれました。
 新城市に合併する前の鳳来町が平成17年に建てた説明板によれば,田は1,296枚あり,そのうち耕作が行われているのは850枚,一枚の平均面積は0.9アール(90平方メートル)に過ぎません。
 農家の方が耕している田には獣害を避けるための柵が設けられていますが,近くの学校が借り受けているようなところは開放的で,そういう田が撮影向きでした。

・黄色く色づきつつある稲穂。上へ上へと続く
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・水滴で遊びます
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・大きな水滴。ややピン甘かな…
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・実った青いクリとともに
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 クルマに乗って千枚田の上に登ります。主要地方道ですが,幅は狭く,往来も多くありませんでした。
 中腹の田は面積がやや大きく,谷に向かって段々に続いてゆく様子は表せませんでしたが,尋常でない田であることは伝わるかと思います。
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 道は仏坂峠を越えて設楽町の神田へと下りていきます。写真は峠の手前の四谷トンネルですが,このような規格の悪い道でした。
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次の記事 三遠ドライブ(後) 新豊根ダム,久留女木の棚田
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