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雨上がりの東出雲―神魂神社,山王寺の棚田,月山富田城

旅行日:平成27年5月(12~)13~16日⑩
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 鳥取県米子市の法勝寺から低い峰を越え,島根県に入った。まだ明るいので,どこかもう一ケ所くらい立ち寄ることができそうだ。
 混雑しそうな国道9号を避け,広域農道を西へ向かう。同じことを考える人たちで,交通量が多かった。
 松江市の南部を流れる意宇川には鯉幟が泳ぐ。この川渡し鯉幟は,主催者の高齢化などを理由に平成24年以来途切れていたが,3年ぶりに復活したのだという。
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 この辺りは意宇川が丘陵地帯から中海の沖積平野に出るところで,要するに低地に接した高みになっている。「風土記の丘」と呼ばれており,出雲国府跡や旧国分寺,山代郷正倉跡など古代の匂いが色濃い。
 丘陵の中腹には神魂(かもす)神社がある。大社造の本殿は天正11年(1583)の建立で,国宝指定を受けている。遷宮が繰り返されてきた出雲大社よりも大社造の古式を留めているためだという。
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 神魂神社は出雲国国府に近く,出雲国造の始祖とされる天穂日命が降臨した地に創建されたといわれている。祭神は伊弉冊大神(イザナミ)と伊弉諾大神(イザナギ)。
 文献への登場が新しく,神社としての成立は11世紀中頃とされる。しかし,国造の出雲氏の邸内で杵築(出雲)大社と熊野大社(松江市内)の遥拝場として創建され,それが発展したと解釈する見方もある。
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 境内に二つの小さな社が並んでいた。千木(屋根のX字型の部材)の削ぎ方から,男神(外削ぎ,奥),女神(内削ぎ,手前)を祀っていて,対になっているようだ。
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 夕暮れが近づき,辺りの田圃のカエルの声が高まる。境内でも1匹見つけた。
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 きょうも夕陽は期待できそうにないので,松江駅近くのイオンに寄り,土産の購入を済ませておく。クルマだから荷物の心配はないし,明日は時間的余裕がないかもしれない。
 店を出たのは19時半過ぎだったが,空にはまだ微かな明るみが残っていた。

 松江から国道9号を西へ。宍道湖に沿い,対岸の淡い灯を望む。
 荘原で国道を逸れ,南の丘陵地帯に分け入れば,湯の川温泉はすぐである。
 宿泊先は出雲市(旧斐川町)の施設で,地元の人々の日帰り入浴が主であるようだった。宿泊設備は僅か4部屋しかない。辺りに広がるカエルの鳴き声を聴きながら,日本三大美人湯とされる湯に浸かった。

 風呂上りのビールのあとは,松江市の米田酒造が造っている「豊の秋」という日本酒のワンカップを開けた。夜のニュースは松江城の国宝指定が答申されたことを報らせていた。
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 明けて最終日。
 夜半には雨音が聴こえており,目覚めた頃もしとしと降っていたが,出発する頃には上がってくれた。湿度が高まっているので,気温が上がれば靄が出るだろう。

 8時過ぎに宿を発つ。近くには大量の銅剣が出土した荒神谷遺跡があるが,私はまだ古代史に自信がないので,今回はパスする。
 広域農道や県道を辿り,雲南市の山王寺(旧大東町)に向かった。山王寺は斐伊川の二次支流のさらに上流に位置し,棚田が広がる。
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 石州瓦が目立つ中で,藁葺屋根の家を見つけた。淡いながらも靄が湧き立ち,しっとりとした風景を見せてくれた。私の好きな,晴ればかりが良い天気ではないと思わせる眺めだ。
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 下方から見上げる。
 ここでもカエルの鳴き声がしているが,彼らは決して姿を見せてくれない。私が歩くと,そこだけ声が止むのだ。
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 山王寺の棚田は地辷り地帯を開発したものである。
 附近の地質は泥層が重なったものなので,摩擦抵抗が少なく,辷りやすい。一方,山間部にしては平坦で地下水にも恵まれているため,水田開発には向いている。しかし,田に水を引き入れることは地辷りを促すことに繋がり,田は損なわれる。その修復の過程で一枚の田が細分化され,棚田は小さくなると言われている。傾斜地で広い水平面を確保できないという事情もあるのだろう。
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 駐車スペースが眺めのいい場所にあったので,棚田をバックに今回のレンタカーを撮影しておく。
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 前日の風土記の丘附近まで北上し,国道432号の駒返峠を広瀬へ抜ける。峠までは狭路もあり,拡幅工事を行っていた。峠の手前はループ線となっていた。
 この先は改良工事が済んでおり,トンネルで峠を越え,一気に下った。
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 広瀬は中海に注ぐ飯梨川河口から10キロほど遡ったところで,平地と山地の境界にあたる。西岸にある市街地の対岸には中世に富田(とだ)城があった。
 富田城は出雲国守護の拠点であったが,特に守護代の尼子氏で知られる。守護として力をつけた山名時氏の叛乱(明徳の乱)のあと,室町幕府は京極高詮を出雲国守護に任じ,現地には守護代として甥の尼子持久を配置した。
 尼子氏は中央の混乱に乗じて伸張し,この富田城を本拠地に中国地方東部に勢力を拡げた。しかし,吉田郡山城(広島県安芸高田市)の毛利元就を攻めるのを失敗した辺りから旗色が悪くなり,逆に富田城を攻められて滅亡した。永禄9年(1567)のことであった。

 富田城は月山にあるため,月山富田城と呼ばれている。月山は標高184メートルとそれほど高くないが,突兀としていて,要害にふさわしそうだ。多くの遺構が残るそうだが,山中は雨でぬかるんでいるだろうから,見上げるにとどめる。
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 関ケ原の戦い後は出雲国を失った毛利氏(吉川氏)に代わり,堀尾吉晴が出雲・隠岐二国23.5万石を与えられた。吉晴は慶長12年(1607)から16年にかけて城を松江に移した。飯梨川上流での製鉄の影響で川底への堆砂が進み,この川は舟運に向かなくなっていたこと,戦略的な意義も薄れていたことが理由とされる。
 霧で見通しの利かない山上に天守のような建物が見える。実際には城は支流の谷の手前側にあったから,展望台か何かだろう。
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 道の駅を併設した小さな市立歴史資料館を覗き,飯梨川に架かる橋に立つ。

 城が松江に移ったのち,寛永12,15年(1635,38)の水害で飯梨川は流路を変え,かつての城下町は失われた。まさに堤外地となっているこの場所に街があったとは信じがたい。
 寛文16年(1666),松江藩主の松平綱隆は弟の近栄に2万石を分け,広瀬藩が立藩された。以後,この広瀬は松江藩の支藩として幕末まで存続した。
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 飯梨川沿いに下り,中海近くの荒島へ。ここで国道9号に出て,湖沿いに西へ進む。
 東出雲ICから西の山陰道は無料区間のため,松江中央ランプまで利用し,再び松江市街に赴く。

 松江に戻ってきたのは,大学の先輩である司さんに聞いた蕎麦屋で昼食を摂るためである。司さんは高校時代を松江で過ごしており,たまたま今回の山陰旅行の話をした際に「そば 田村屋」というその店の話を伺ったのだ。
 店の場所は調べてきたが,細道の奥にあって不案内なため,県立美術館の駐車場に停め,そこから歩いた。
 「あまり観光客が来るようなところではない」という言の通り,知らなければ戸を開けて入りづらい外観であった。
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 小さな店で,十数席しかない。私が入店したのは11時半で,開店から30分ほどしか経っていないため,一番乗りだったようだ。
 出雲で蕎麦と云えば割子そばが知られる。メニューにも見えたが,「観光客向けじゃないからみんな割子とか頼まない」というようなことを言っていたのを思い出し,月見そばにしてみた。確か550円で,安かった。前3日間と違い,きょうは冷涼である。
 出雲地方の蕎麦は,実を皮ごと挽いて蕎麦粉にするため,麺がやや黒いという特徴がある。つゆは甘目で旨かった。
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 食後は県立美術館の一郭で行われていた写真展を見て回り,すぐ裏の宍道湖畔に出てみた。湖の向こうに松江城の天守が見ないかと期待したが,残念ながらビルの影になっているようだ。
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 野外には12体のウサギの彫刻「宍道湖うさぎ」が並ぶ。人気の撮影ポイントである。
 宍道湖は東西に長く,西の岸が霞んでいた。
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