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会津若松の古い街並みを散策する(前)

旅行日:平成27年4月(12~)13~15日⑥
前の記事 安達太良山麓の二本松
 サクラを追い掛ける東北旅,最終日です。
 きょうは晴れの予報ですが,磨りガラスの窓を開けると,曇っていました。
 宿泊先は大町四つ角交差点に面していました。鉤の字型のこの変形交差点は,江戸時代には会津五街道と呼ばれる主要道路の基点でした。往来が激しいことから,高札場が設けられていて,大町札の辻とも呼ばれていたそうです。
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 天気が好転するのを待ちたいので,若松城は後回しにし,歴史ある建築物めぐりから始めます。
 まずは西へ延びる七日町通りへ。かつての越後街道,米沢街道,下野街道にあたります。「なぬかまち」と読み(現在の町名は「なのかまち」),古くは7のつく日に市が立ったそうです。

□白木屋資料館(旧白木屋漆器店)
 白木屋は享保年間創業の漆器問屋。土蔵造りの洋風建築は,大正3年(1914)に建てられました。
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□滝谷建設工業会津若松支店
 6本の柱が象徴的なこの建物は,昭和2年(1927)の建築。当初は郡山橋本銀行若松支店で,郡山合同銀行を経て,第四銀行若松支店として昭和50年代まで使用されました。昭和55年に建築会社の社屋に転用されています。
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 次の交差点で,少し左に入ってみます。桂林寺通りはかつての下野街道(会津西街道)で,阿賀川,鬼怒川に沿って南下し,日光街道の今市宿へと通じていました。会津藩にとっては参覲交代の路でもありました。

□花と陶器 永山
 大正5年築。土蔵造りで,ひときわ重厚感が強いですが,ミセの部分が開放的に造られています。
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□満田屋
 こちらはかつての味噌の醸造場。天保5年(1834)の創業で,味噌・醤油の醸造の他,植物油の搾油や塩の販売を行ってきました。江戸期から明治時代にかけて建てられた主屋や蔵をリノベーションし,観光客相手の食事処もしています。
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□会津天宝醸造
 満田屋の隣も味噌の醸造場で,こちらは明治4年の創業。主屋は大正10年の建築で,道に長く面した平入です。
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□尚伸
 七日町通りに戻ります。昭和3年築の旧鈴木洋装店は看板建築です。“洋装”という言葉はなんとなくハイカラな感じがします。
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□鶴之江酒造
 寛政6年(1794)創業の酒造です。かつては永宝屋を名乗っていましたが,鶴ケ城と猪苗代湖にちなんで明治時代に改称しました。
 一階の庇が低く,二階の格子が広く取られているため,階下が狭く,階上が高そうな印象を受けます。
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□笑美
 蔵造りのレンガ建築を見つけました。詳細は不明ですが,最近まで民芸品店として使用されていたようです。それも移転したようで,がらんとしています。
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□バンダイスポーツ七日町店
 街並みの中で特に目を引く3階建てのビルディング。現在は地元のスポーツショップチェーン店が入居していますが,大正15年に塚原商店として建てられました。
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□渋川問屋
 この辺りが市街地の西の端。海から遠く離れた会津には越後街道から海産物が入ってきました。それらが集積されたのが,この問屋でした。複数の建物からなり,明治時代に建てられた写真の建物をはじめ,大店の雰囲気を濃く残しています。
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 すぐ先に踏切があり,只見線の七日町駅があります。前述のように,街の名前は「なのかまち」に変わっていますが,駅名は古い「なぬかまち」のままです。

 別の通りを辿って,街の中心部に戻ります。

□末廣酒造
 白い大きな蔵は会津を代表する酒造である末廣酒造。創業は嘉永3年(1850)だそうです。
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 末廣酒造には複数の蔵を含む多くの建物があり,その多くが明治後期から大正時代に建てられました。
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 主屋から奥に続く木造三階建ても立派です。
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□日本基督教団栄町教会
 これだけ歴史的な建築が残る会津若松にあって,栄町教会は数少ない文化財指定建築です(国登録有形文化財)。
 日本基督教団の宮城中会では明治27年より会津でも布教活動を始め,徐々に信徒を増やしていきました。この建物が建てられたのは明治44年のことです。
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 主要な通りから少し入ったところに蒲生氏郷の墓があります。
 会津の歴代領主に関しては次回詳しく述べることにしますが,氏郷は天正18年(1590)に会津に42万石を与えられました。居城は当時黒川と呼ばれていた若松で,城や街割りを整えました。若松城の雅称である「鶴ケ城」は,蒲生家の舞鶴の家紋にちなむとされます。
 氏郷は文禄4年(1595)に歿し,子の秀行が跡目を継ぎました。

 五輪塔である氏郷の墓には空・風・火・水・地の五文字が刻まれています。これは仏教の五大思想において,宇宙を構成するとされる5つの要素を示しています。
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 市役所前からまちなか周遊バス「ハイカラさん」に乗車し,東山温泉の近くにある会津武家屋敷へ。
 小型バスを生かして細い道にも入っていきましたが,なにぶん収容力が小さく,座れず立っていた私は天井にアタマをぶつけました。
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 会津武家屋敷の前には観光バスが何台も横付けされ,想像していたのと違うと思いましたが,折角来たので入場しました。
 施設内にはいくつもの建物が移築あるいは復元されています。その中の目玉は復元された会津藩家老の西郷頼母の邸宅です。
 頼母は藩主松平容保の京都守護職就任を留めさせようとして,家老を免ぜられました。その後も戊辰戦争に反対しましたが,容保のため,最後は戦いました。新政府軍が会津に迫り,頼母が籠城する中,邸宅では家族や親戚の者合わせて21名が自害するという悲劇を生みました。
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 この藁葺屋根の邸宅は,移築された旧中畑陣屋主屋。旧所在地は西白河郡矢吹町中畑,江戸時代は石川郡中畑村で,白河藩の陣屋として使用されていました。
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 こちらは白河藩領から移築された精米所。水力を用い,16の石臼で一日16俵の米を精米することができたそうです。
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 最後は土産物屋の中を通らないと出場できない構造になっており,観光地らしい観光地でした。
 ここからは徒歩で若松城に向かいます。
次の記事 サクラ咲く若松城/会津若松の古い街並みを散策する(後)
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