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有明海,干潮時刻―御輿来海岸

旅行日:平成27年1月(15~)16~19日⑤
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 北部九州の旅,第二日目。熊本城を見学したあと,熊本駅にやって来た。ここで一旦熊本の街を離れることになる。

 熊本駅の在来線は高架化工事の最中にあって,ホームの位置も入り乱れている。主に鹿児島線が発着するホームは改札前に並んでいるが,支線格の豊肥線や三角線の列車は鹿児島方にだいぶズレた場所に設けられた短いホームから出る。
 私が乗車する11:34発の三角線もそうであった。
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 列車は単行のディーゼルカーで,3つ目の宇土までは鹿児島線を走る。座席はフカフカした転換クロスシートで,座り心地はよいのだが,建てつけが悪いのか速度が上がると窓が振動してガタガタと大きな音を立てる。
 宇土は小西行長の居城―宇土城のあったところで,熊本城との近さに驚かされる。十数キロしか離れていない。

 宇土から単線の三角線に入る。速度も落ちて騒音も気にならなくなる。
 しばらくは車窓に干拓地が続く。冬なので乾いた景色だ。
 そして,宇土から二つ目の住吉という駅を発車して少し行くと,有明海が展開する。海との間には国道57号が挟まるのだが,交通量は少なく,眺めは悪くない。間もなく干潮を迎えるので,干潟が現れている。入江の漁港も干上がり,そこに舫われた小舟が一様に“座礁”しているのには驚いた。
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 海に面した小山を回りこむため,一旦海岸から離れ,網田という駅に着く。網田と書いて「おうだ」と読むこの駅で下車する。屋根のないホームが長く延びている。
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 網田駅の駅舎は明治32年(1898)に九州鉄道がこの路線を開通させた際に建設されたもので,熊本県内では最も古い駅舎である。九州鉄道は福岡・佐賀・長崎・熊本・大分の5県に路線を持っていたが,駅舎が現存するのは唯一であるという。
 現在はJRから宇土市に譲渡されており,かつての事務室の一部がカフェになっていた。土曜日の昼食時なので,賑わっている様子が窺えた。
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 私がこの駅で下車したのは,有明海の干潟を眺めるためである。下車した12:10という時刻にも意味があって,きょうはこのあと12:39が干潮時刻となっている。わざわざ熊本市街を抜け出してきたのは,この時刻に合わせたからだ。
 干潟のビューポイントは二ケ所あるようで,線路が避けている小山の上か海岸沿いである。
 少し迷ったのだが,市が「干潟景勝の地」を謳っている小山に登ってみることにした。
 軽舗装の細道を歩き出すと,道沿いは果樹園になっていた。実をつけている樹は少なかったが,いくつか黄色い実が生っているのが見えた。
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 果樹園の間から海が見えてきた。“よい景色”を眺めすぎて価値基準が上がってきた私だが,この景色には息を飲んだ。
 「干潟景勝の地」には数台分の駐車場が整備され,ベンチも用意されていた。が,誰もいなかった。
 網模様を描いた干潟が広がり,沖合に白波が立っている。うしろに薄っすらと見えているのは,長崎県島原半島の普賢岳だ。
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 12:39,干潮時刻を迎えた。
 惜しむらくは,潮位が134センチ(観測点:宇城市三角※)までしか下がらないことである。この潮位は,大潮の干潮時がほぼ0になる「潮位表基準面」によるものであるから,さらに1メートル以上も下がることもある訳だ。潮位表を見ると,マイナス37センチという日もある。
 なお,この134センチという値は,この日の東京(観測点:中央区晴海)の満潮時潮位(13:49,潮位表基準面+165センチ)と大差ない。三角での満潮は6:21の305センチと18:05の321センチなので,いかに有明海の干満の差が大きいのかが分かる。
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※気象庁ホームページ「潮位表 三角(MISUMI)」による。

 この附近の海岸は御輿来海岸という。景行天皇が熊襲征伐に来た際に輿を留めたことに由来するという伝承があるようだが,かつて二対の「甑岩」があった。きっとこの岩が伝承に結びついたのだろう。
 潮が引くと露れる網模様は,泥岩と砂岩の互層のためだという。
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 少し下方の区画へ続く道があったのだが,「管理に手間が掛かるため300円をお納めください」と無骨な文字の看板があった。はじめはあまりよい気持ちがせず,それでも魅力に負けて下っていった。辺りは細い竹が非常に密生しており,そこだけぽっかり空いた路の先には広場になっていた。ようやく私にも管理の手間が伝わってきた。
 料金箱のようなものは見当たらなかったので,お金は石灯籠の間に置いておいた。届いたかどうか。

 少し低い場所から干潟を撮影する。日の出の方角なので,それと干潮時刻が重なると美しい景色が見られるそうだ。
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 道を引き返して,網田駅の西側に位置する戸口という集落に戻った。持ち時間がまだあったので,漁港にも足を運んでみる。
 干潟の中に舗装された道路がある。干潮時に漁に出られるように整備されたもので,海床路というそうだ。宇土市内には何ケ所かあり,数年前に焼酎「二階堂」のテレビコマーシャルに登場した長部田海床路が有名になった。そちらはここから4キロほど東にあって,三角線の車窓からも見えた。
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 海床路から見ると,露わになった砂地にも細かな網模様が刻まれていた。生き物がいないかとしゃがみこんで覗きこんだが,何も見つからなかった。
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 戸口集落から先ほど登った小山を見上げる。道は狭く,込み入った路地が漁村らしい佇まいであった。
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 家々の間に「南無阿彌陀佛」と刻まれた墓石のような碑を見つけた。江戸時代の津波の慰霊碑だという。
 寛政4年(1792),普賢岳が爆発し,その衝撃によって眉山が山体崩壊を起こした。崩壊した土砂は有明海へと流れ下り,津波を引き起こした。高さ12メートルと伝えられるこの津波は肥後国に押し寄せ,約5,000人の死者を出した。ここ戸口浦村では535人が亡くなったと記録されているから,特に被害が大きかったようだ。
 山体崩壊と返し波を喰らった島原の被害はそれ以上で,死者1万と言われている。江戸時代を通じても大きかったこの災害は「島原大変肥後迷惑」と云われた。
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 次に訪れるのは三角西港である。三角線の終点である三角駅とは離れており,バスを利用せねばならない。
 三角駅からのバス便もいいのだが,産交バスのホームページを見ていると,熊本市から天草へ渡るバスが網田駅前から三角西港を経由することが判った。都合がいいことに13:08発という快速「あまくさ号」という便がある。
 この辺りを勘案し,網田から三角西港へ直行し,西港から三角駅へバスで抜けるというルートを作成した。御輿来海岸と西港に丁度1時間ずつを割り振ることができて,かつ三角駅での乗り継ぎもよい。

 網田駅前に戻り,国道でバスを待つ。
 が,定刻を過ぎても通り掛からない。この時間は非常に長く感じるものだ。
 かなり待たされたような気がしたが,バスは7分遅れであった。

 快速「あまくさ号」はハイデッカーの観光バスタイプで,車輌はくだびれているが,眺めは良い。宇土半島の北岸を,海に沿った国道で走る。鉄道は次の赤瀬から半島を突っ切って南岸に抜けてしまうので,この景色は見られない。
 雲仙の山々は近づいたが,干潟は磯に変わっていった。
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 座席は60くらいあるのだろうが,乗客は10人も乗っていない。居眠りしている乗客が多く,私だけが海に目を向けている。

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