旅行日:令和5年4月18~20日⑨
最初の記事 阿蘇山を望む俵山展望台と長部田海床路前の記事 苓北町、陸繋島の富岡城址 熊本県の旅、第三日目で最終日を迎えた。本日は八代市をスタートして、熊本空港から帰路に就くことになっている。未訪問の内陸部方面に行ってみよう。
ホテル朝食だったので、8時ごろのスタートとなり、まずは給油。
八代ICから九州道に入り、人吉ICまで南下する。3年前(令和2年)の水害で並行する国道219号とJR肥薩線が大きな被害を受けて不通のため、通行料が無料となっている。この間、38.5キロもあるのに中間にインターチェンジがない。日本一の長さとのこと。
序盤は球磨川とその支流に沿い、長さ6,340メートルの長大な肥後トンネルを抜けて山江村に入る。
人吉ICから九州道沿いに戻るように走り、まずは山江村のツツジの名所だという丸岡公園を訪れる。やたらと道が狭かったが、駐車場は広かった。

様々な種類・色のツツジが植えられており、満開のものも多い。その数は実に約5万本という。ライトアップもあり、4月の第三日曜日に「つつじ祭り」も行われるそうだ。
南側が開けた高台なので、人吉盆地を見下ろし、周りの山々を一望にする。

可憐な色合いの花

花の後ろに新緑の山襞が連なる

青空を背景に

帰りは別のルートを下った。こちらは走りやすい2車線道路だったので、往きは変なところを来てしまったようだ。
山江村は球磨川の支流の万江川が貫流している(
山田+
万江で山江)。源流部は肥後峠だが、県道が未開通のため、八代市方面に通り抜けられない。
清らかな流れに少し付き合う。新緑が輝き、藤の花が彩りを添える。

河畔の樹木を飾り付けたような藤の花

人吉市内に戻り、広域農道を通って相良村へ。川辺川を遡ろう。
相良大橋の袂からの眺めが良かった。人吉盆地が開けつつあり、田園地帯が広がる。まだ田んぼに水が入っていないのは残念だ。氾濫原の中に巨大な樹のように盛り上がっているのは永江雨宮神社の杜だ。寄ってみよう。

雨宮神社の杜

“樹”の下に来ると、こんもりした小山であることが判る。その上に向かって長い石段が延びている。嘉永5年(1853)に上田広助という人物が私財を投げうって築いたという。藩主の相良長福が士分に取り立てようとしたが断ったという話も残っている。

いびつな長い石段
永江雨宮神社の創建は詳らかではないが、戦国時代に相良為続が雨乞いを行った記録が残っている。相良氏は鎌倉御家人以来の球磨地域の領主で、そのまま戦国大名を経て、江戸時代を通じて人吉藩主であった。相良村の村名は相良氏に由来するが、相良氏は旧領地の遠江国榛原郡相良荘(静岡県牧之原市)の地名を名乗ったものなので、静岡県の地名が熊本県に移ったともいえる。

境内の裏手には巨岩が積み重なっており、その隙間を通る「三産くぐり」がある。安産のご利益がある由。

少し離れて撮影。“トトロの森”の愛称もあるそう

国道445号を北へ走る。川辺大橋で川の左岸に移り、田園風景を快走していく。鯉のぼりが風にそよいでいる。通りがかりの郵便屋さんが良いアクセントになった。

人吉盆地から続いていた平地が尽きると、峡谷に入ってゆく。
次の記事 五木村の石灰岩地形と旧東陽村の石造アーチ橋群
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