旅行日:令和4年11月14~16日④
最初の記事 大阪天満宮から天神橋へ前の記事 紅葉の東福寺境内と通天橋 東福寺拝観後、京阪電車で終点の出町柳までやって来た。この後は叡山電車で鞍馬を目指す。
叡山電車のターミナルは出町柳駅で、今出川通から一本北の通りに面している。今でこそ地下の京阪電車との乗換駅となっているが、京阪電車の乗り入れは平成元年(1989)と新しく、昭和51年(1976)の京都市電廃止後は鉄道網から孤立したターミナルであった。
開業は大正14年(1925)で、当時は葵橋対岸の市電河原町今出川電停との乗り換えが意識されていたようだ。その後、昭和6年に今出川通が整備されて市電が東に延伸され、加茂大橋電停(当初は叡山電鉄前電停)が乗り換え電停となった。

「
今昔マップ on the web」より。上図は昭和7年発行2.5万分1地形図「京都東北部」、下図は現行地理院地図。
今出川大橋の賀茂大橋は鴨川と高野川の合流点のすぐ下流に架かる。浅瀬に飛び石が連なり、京都市街地らしい親水空間が確保されている。背後には比叡山を望む。

百万遍で朝食とも昼食ともつかない食事をとってから出町柳駅に戻った。
叡山電車は叡山本線と鞍馬線からなり、途中の宝ヶ池で分岐する。日中は両線とも15分間隔の運転のため、出町柳・宝ヶ池間は毎時8本の乗車チャンスがある。「
叡山電車」というだけあって八瀬比叡山口に行く方が本線であるが、鞍馬の方が奥深い。電車も叡山本線は単行であるのに対し、鞍馬線直通は2輛連結というのが基本らしく、名前とは逆転している。いずれにせよ輸送力は小さく、ターミナル駅も小ぢんまりとしている。
11:00発の鞍馬ゆき電車は混雑していた。紅葉を見に行くといった風の観光客が多い。
発車すると踏切が非常に多く、合間合間に小さな駅が点在する。東大路通や北大路通といった幹線道路とも平面交差が残っている。
住宅地の間を抜け、線路が二手に岐かれてから宝ヶ池に着く。写真は帰りに後方から撮影した。(以下同様)

駅の北側ではわずかな距離ながらも線路が4本並び、壮観だ。八瀬や大原から流れ来る高野川を渡る。
二軒茶屋から単線になるが、複線分の用地が確保されている。架線柱の間隔も広いところが多い。
谷中分水嶺を越えて急な坂を下り、市原に到る。ここまで多客対応の車掌が乗務していたが、ここで降りていった。既に車窓は鄙びたものに変わっており、家は多いが造りがゆったりしたものが目立つ。
ここから共に歩む貴船川は鴨川の支流で、深い谷を刻んでいる。河川争奪かもしれない。橋台も線増に対応している。

次の二ノ瀬までの間に紅葉のトンネルを抜ける。線路沿いに紅葉する樹がずらりと植えられているのだ。
電車は徐行して、車窓によぎる赤い樹をゆっくり見せてくれる。客が歓声を上げる。


二ノ瀬では上りの電車と交換。次が貴船口で、貴船川と鞍馬川の合流点に位置する。駅名に「口」がつくだけあり、貴船集落まではバス連絡となる。
電車は急な坂を登りながら短いトンネルをくぐる。ここまで来ると橋梁もトンネルも単線仕様なので、この区間の複線化は想定していなかったのだろう。

鞍馬着11:31。小さな木造駅舎だが、出入り口が分離されている。駅前には大きな天狗のオブジェが置かれ、記念撮影スポットになっていた。

駅前の天狗のオブジェ

駅を出るとすぐさま鞍馬寺の参道で、きつい坂道の両側に参拝客向けの飲食店や土産物屋が並んでいる。

石段の先に大きな山門(仁王門)が構えている。明治44年に再建された。“愛山料”として300円を払い、境内に入る。参道にはモミジが多く、紅葉が見頃を迎えている。

紅葉のトンネルと灯籠

鞍馬寺の社殿は標高400メートル程度の山上に位置しており、山門とは150メートルほどの比高がある。途中までは短いケーブルカーが通じているが、これに乗ると途中の伽藍を見逃すことになるので、歩いて登ることにする。自動車も通れるように坂道にしてあるが、勾配は相当険しい。山上伽藍を往復するだけなら、ケーブルで登って歩いて下るのが良いだろう。

坂の途中に由岐神社が鎮座する。神仏分離以前は鞍馬寺の鎮守社で大己貴命、少彦名命を祀る。
中央を石段が通り抜けるという変わった構造の拝殿は慶長12年(1607)の建立。「割拝殿」というそうだ。豊臣秀頼の寄進による。

割拝殿は懸造になっている

由岐神社は靫(ゆきえ)明神ともいう。「靫」は矢を背負う器具のことで、戦乱や天皇の病などに際して社前にこれを掲げて平癒を祈ったことに由来する。
その創建は天慶3年(940)に朱雀天皇の勧請とされる。東で平将門、西で藤原純友が朝廷に叛旗を翻した天慶の乱に由来するのだろう。

神社からは道が九十九折れになり、山も深くなってきた。この坂は七曲、八町坂とも呼ばれる。山上の伽藍は見上げれば近いのになかなか辿りつけないので、清少納言も枕草子で「近うて遠きもの」の一つとして「鞍馬のつづらをれといふ道」と挙げている。今では樹相が濃くなってしまってあまり上方は見通せないのだが。
登り下りする人は多いが、京都や大阪から来たといった感じの人が多い。平日ということもあろうが、そこまでメジャーな地ではないのかもしれない。後で京都市街の観光客の多さを見てこの思いを深めることになった。
七曲の途中にある中門。山麓から移築された旧勅使門

陽を透かす紅葉や黄葉

大門から25分ほどで伽藍に到達。
鞍馬寺は松尾山金剛寿命院という。
延暦15年(796)に造東寺長官の藤原伊勢人という者が私寺として建立したとされる。寛平年間(889-898)に東寺の逢延が伊勢人の孫である峰直の帰依を受けて鞍馬寺根本別当となり、真言宗の公寺となった。その後、延暦寺との関係で天台宗に改めた。
かつての本殿は昭和20年に焼失したため、昭和46年に再建された。本尊は秘仏で、公開は60年に一回。本尊の一つは護法魔王尊で、16歳から歳を取らないとされる。永遠の16歳…。

南東に比叡山が見える

寝殿前の紅葉

このまま下って戻るのはもったいないので、山を越えて西の貴船に下ろう。途中には鞍馬寺の奥之院があるようだし。

鞍馬寺の鞍馬山はもともと境内の一部で、宏大な山林を有していた。が、明治3年(1870)に寺領の大半を京都府に移管された。それでも鞍馬山には自然林が多く残っている。
鞍馬山は幼い日の源義経が稚児として預けられていた地で、ゆかりのスポットが点在している。真偽のほどは不確かだが、「義経公息次ぎの水」という湧水もあった。

山中の紅葉
鞍馬山から南に延びる尾根を越える。標高約500メートルの最高地点となる。北の鞍馬山は標高584メートルだ。
西側斜面を下り出すと不動堂がある。

鞍馬山の森は極相林と化していて、常緑樹が多くて紅葉するような落葉樹は少ない。ここまで濃い緑に覆われてしまうと地表まで陽が入らないので、新たな樹種の進出が難しくなる。

奥之院は「魔王堂」という。名前だけ聴くとなんだか恐ろしげだが、前述の護法魔王が祀られている。

魔王堂の本殿

魔王堂からは急な下りに変わり、貴船川の谷まで一気に下る。斜面は陽当たりの条件が良いせいか落葉樹が多く、紅葉が色とりどりだ。暗い森から脱出するとひときわ鮮やかに映る。

瀬音が近づき、貴船川の橋の脇にある西門で県道に脱出。鞍馬寺本殿から西門まで30分強の道のりであった。
次の記事 叡山電車で紅葉の鞍馬・貴船めぐり(後) 紅葉の谷間の貴船散策
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鞍馬駅の天狗像が新しくなったのですね。彩り豊かなものに見えます。紅葉の彩りもきれいなものですね。豊かな自然の恵みを感じます。
私も11年前の冬に鞍馬を訪ねたことがあり、ケーブルカーに乗ろうとしたのですが結局は山道を歩きました。
鞍馬寺、奥にあるお堂を通り貴船神社まで。かなりのハードコースでかつ数日前に降った雪も残っていましたがなんとか歩き通しました。
叡電のパノラマ電車である「きらら」は乗車されましたでしょうか?窓が大きく素敵な景色を楽しむことが出来るのでオススメです。