旅行日:令和4年5月14~17日⑤
最初の記事 残雪と新緑の春の北海道旅行(1) 大沼公園と函館市街をぶらぶら前の記事 残雪と新緑の春の北海道旅行(4) 快晴戸外炉峠と美瑛の丘 美瑛から十勝岳連峰を目指して道道966号を進む。この道は北海道らしい雄大な風景の中を走ることができる。
美沢橋で美瑛川を渡るところを除いては直線の道路で、ひたすら一直線に十勝岳に向かって行くのだ。直線区間は11.5キロ(美沢橋以東7.8キロ)にも及び、突き当たりには小高い大正山が盛り上がっている。開拓を始めるにあたってはこの山から測量して基線を延ばしたか、あるいは山に向かって道を開いたのだろう。「山アテ」と呼ばれる古代からの道路敷設方法だ。
緑のこんもりした小丘が大正山

有名な青い池の近くで道道を外れ、北の丘の上へ。なだらかな台地を生かして、白金模範牧場が拓かれている。十勝岳の大規模噴火によって形成された火砕流台地らしい。
背景に十勝岳を望む牧草地は日本離れした雄大な景観だ。

夕張山地を背景に広がる牧草地

残念ながらウシなどは放牧されていないようだったが、チラッと何かが見えた気がしてクルマを止めた。目を凝らすと、タヌキが無心に穴を掘っている。望遠レンズを装着して写すと、雄大な山並みを背景にできた。芦別岳の附近だ。

こっちに気付いた!

走り出すと再び何かが目に入った。今度はウサギだ。一旦止まったものの、こちらがクルマを降りてカメラを構えると逃げ出した。丸まっていると小さく見える生き物だが、脚が伸びるとデカい。

(2倍にトリミング済み)
牧場沿いの道は二車線の立派なものだったが、電波塔の建つ大きな建物の前で急に行き止まった。「火山砂防情報センター」といって白金温泉のすぐ上の美瑛川の崖っぷちにあり、災害時には避難場所になるようだ。
十勝岳は大正15年の噴火時に大規模なラハール(火山泥流)を発生させ、ようやく開拓が進み出していた富良野川や美瑛川沿岸地域に大きな被害を出した。人的被害が大きかったのは富良野川の方だが、こんにち同様の災害が起これば、白金温泉は瞬く間に埋もれかねない位置にある。
迂回して白金温泉に下り、白ひげの滝を見ていく。
両岸が切り立った美瑛川の左岸側に湧水があり、滝となって川へと流れ落ちている。その流れが幾筋もあることから「白ひげ」なのだろう。川の水は温泉の成分によって白濁している。滝の真上に温泉宿が建っているのも不思議な光景だ。

明治期、この地にはに丸谷温泉、畠山温泉があったものの、ラハールによって埋没した。昭和25年にボーリングによって温泉が掘り当てられ、今の白金温泉の開発が進んだ。
その後も十勝岳の火山活動とは背中合わせにあり、昭和37年と63年の噴火では営業を休止せざるを得なかった。滝を見下ろす絶好の橋だって先ほどの火山砂防情報センターへの避難路の一つにあたっている。
白金温泉を過ぎると、道道は本格的な山岳路に変わる。「十勝岳スカイライン」の愛称がある。
十勝岳の山腹をカーブしながら登り、望岳台に達する。駐車場の隅や沢べりにはまだ雪が残っている。標高は約930メートルで、さすがに半袖では寒い。

望岳台は十勝岳の登山口の一つで、標高2,077メートルの頂上までは約3時間半の登りだという。こことて既に高木限界を突破しており、辺りはハイマツ帯に入っている。十勝岳連峰の森林限界は場所によっては1,400メートル程度だが、新しい火山である十勝岳周辺は火山活動の影響を受けている。高い樹木がないので、上も下も見晴らしが良い。
谷を挟んだ緑の台地は先程訪れた白金模範牧場。元の地形は火砕流がすべて埋め尽くしたのだろう。

望岳台からはしきりに噴煙を上げる前十勝の火口群が近くに感じられる。明瞭な窪みをもつのがグラウンド火口で、4700~3300年前の活発な活動の最後にできたと推察されている。その後の火山活動はグラウンド火口周辺で起こっており、向かって左側に昭和火口(昭和27年)、右側に大正火口と「62-Ⅱ火口」(昭和37年)などが密集している。

グラウンド火口の後ろに噴煙に霞む十勝岳山頂が見える

北の方に目を転じれば、美瑛富士、美瑛岳、オプタテシケ岳と十勝岳連峰の峰々が連なる。さらにトムラウシ山、大雪山と魅惑の山岳がきれいに見えている。残雪のこの時季に来てよかった。
美瑛富士(中央、標高1,888メートル)と美瑛岳(右、標高2,052メートル)

大雪山の山塊とトムラウシ山

大雪山の旭岳(中央)を望む
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