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実りの季節の北関東ドライブ(後) 日光裏見滝,氏家の簗場

旅行日:平成29年9月15日②
前の記事 実りの季節の北関東ドライブ(前) 赤城山麓から足尾へ

 足尾から日足トンネルを抜けて,日光の清滝に入った。中禅寺湖方面に行くのも良いが,先ほどライブカメラを確認すると男体山には雲がかかっていたので,それは止めにして裏見滝を見に行く。
 大谷川の支流荒沢川に沿って,新興住宅地のような街区の整った家並みを抜けると,道が狭くなり滝見物用の駐車場に辿り着いた。ここから滝までは山道を10分ほど歩く。序盤は結構な登りで,一旦は水面から高く離れるが,川の方も滝を介して一気に高度を上げてくる。流れが近づき,木橋を渡る。ここから滝の全景が見渡せた。
 橋から見渡す谷は「∩」字型に奥行きがあり,三方の所々から水が流れ落ちている。

橋から谷奥の無数の滝を見渡す
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 裏見滝と呼ばれているのは,本流である荒沢川に懸かる部分。「裏見」という名の通り,かつては滝の裏側から水の流れ落ちる様が見られたようだ。しかし,明治35年(1902)の颱風で上部の岩が崩落し,裏側には入れなくなってしまった。
 どうして裏側に通路ができていたかというと,それは滝を構成する地層の違いによる。落ち口は完新世の輝石安山岩の層で,滝壺は後期白亜紀(約1億~6500万年前)の流紋岩からなる。二つの層の間に浸食されやすい集塊岩の層が挟まっており,この部分がより削られてへつれ,裏側に回れるようになっていたようだ。
 日光は滝の多いところで,この上流にはさらに初音滝,慈観滝,雲隠滝があるらしい。

 滝壺近くは水音が耳を聾するほどで,飛沫も激しい。涼しいというよりも寒いほどだ。

草木の後ろに地質の違いが窺える
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無数の流れが一つになる
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流れの深みは青みがかって見える
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滝の周辺は常にミスティーなため,コケやキノコが繁茂
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 杉並木の中を通って今市まで下り,県道62号を東へ。国道の青看板に記されている「日光市街」は今市のことなので紛らわしいが,栃木県では独自の配慮があるようで,「今市」の添え書きがあった。この表示は「さくら市街」(氏家)でも見掛けた。

 佐貫観音橋で鬼怒川を渡り,塩谷町へ。橋の名前になっている佐貫観音は高さ18メートルの巨大なもの。立像かと思いきやそうではなく,高さ64メートルの巨大な岩に刻まれた大日如来像(坐像)であった。弘法大師が一夜にして作り上げたともいわれるが,明治時代に発見された銅版阿弥陀曼荼羅の銘から建保5年(1217)が造営年代と考えられている。いずれにしても相当に古く,著しい風化によって判別は難しい。
 地質図によるとこの岩はデイサイト・流紋岩質で,周辺の分布を見ると高原山に由来するようだ。

岩の下部3分の1ほどに刻まれている佐貫観音 (判別困難)
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 国道461号を東に走る。細い道が並行しているのは東武矢板線の廃線跡らしい。塩谷町の中心地玉生(たまにゅう)で県道に折れ,荒川と鬼怒川の間を進む。
 荒川と鬼怒川は並行しており,場所によっては距離が1キロ程度まで縮まるが,前者は那珂川水系,後者は利根川水系であるので,合わさることなく太平洋を目指す。
 宇都宮市(旧上河内町)に入り,国道293号に入れば氏家の簗場は間もなく。が,景色の良さに魅せられて細い路に入り込む。

宏大な田んぼの後ろには高原山
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屋敷林と栃木県らしい大谷石造りの蔵をそなえた農家
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 やや道の拡がっているところにクルマを停め,草叢に近づくと何かが一斉に飛び出した。小さな姿なので初めは何なのか分からなかったが,何度か繰り返しているうちに小型のバッタであることが判った。黄緑色の姿をしているが,イネの中に入る込むと判別がつかなくなってしまう。あまりにも数が多いので,私は「蝗害」ということばを思い浮かべた。

目一杯絞って撮影(F1.8)
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前景に白い花を入れて
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 国道に戻り,鬼怒川に架かる氏家大橋を渡る手前で右折。ダートの道を進んで橋をくぐると,簗場があった。氏家大橋観光やなである。高原山から那須にかけての山並みを一望し,東北新幹線の高架橋も見えるなどロケーションは良い。
 恐る恐る簗の上に上がり,水面に近づく。鬼怒川の流れの一部を細く引き入れてあるので,流れはかなり速く,奔流が簗の下へと吸い込まれていく。
 既に数匹の小魚が掛かっており,小さいながらもアユの姿もあった。が,それらは既にこと切れていた。どうせなら掛かったばかりの魚が暴れまわるところを見たかったのだが,10分ほどじっと眺めていても一尾として掛からなかった。
 観光簗であるので食事処も併設しているが,時刻も時刻であるし客は一人いない。アユの塩焼きでも食べようかと思っていたが,入りづらくて止めにする。

山々を望む簗場の全景
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流れを一ケ所に集めて魚を一網打尽にするはずだが…
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簗の上部は結構高さがあってスリリング。後ろは氏家大橋
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 氏家大橋を渡り,今度は那珂川水系の簗場に行ってみることにする。途中で通った県道225号では乗用車同士が衝突して田んぼに顛落していた。明日は我が身。
 沖積低地から芳賀台地に登り,台新田展望台に寄り道。台地上に築かれた櫓状の展望台であったが,曇ってきたこともあって眺望は今一つ。

芳賀台地の台新田展望台より
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 台地の東側に下り,那珂川に荒川が合流する地点に位置する一ツ石観光やなへ。が,簗場は設けられていなかった。既に17時を回っており,食事処の方も閉店していた。

空振りに終わった荒川の簗場
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堤防の内側は宏大なトウモロコシ畑
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 国道294号を南下し,茂木方面へ。茂木町,益子町,真岡市などは未訪問のエリアなので,いずれはじっくり来てみたいと思っているが,益子で陽が暮れた。
 西へ向かう国道121号は渋滞していたが,真岡北バイパス・真岡バイパスは快適な自動車専用道路であった。北関東道に接続してはいるが,将来的にも10キロほどだけの自専区間となってしまうのは勿体ない気がする。

 鬼怒大橋を渡り,上三川町からは新4号バイパスへ。結城市小田林のコンビニで小休止。
 19時半に小田林を出発,20:40には草加市で国道298号(外環道の側道)へ。美女木から笹目通り,環八を南下。芦花公園で工事渋滞があり,瀬田の時点で21:50。いつもの場所で給油した時点では平均燃費22.53キロ/リットルであった。
 帰投は23時前で,トータルの走行距離は498.2キロであった。

実りの季節の北関東ドライブ(前) 赤城山麓から足尾へ

旅行日:平成29年9月15日①
 9月も中旬に入り,だいぶ秋めいてきた。今年は昨年ほど残暑も厳しくないようで,なおさら秋の訪れを感じる。実りの風景と私の好きな簗場を求めて,北関東を目指した。

 今回も5:35出発で,7:10に入間ICから圏央道。なぜもっと近くから使わないのかというと,例えば相模原愛川ICから利用するとして得られる40分の短縮に約1,200円の投資を要するからだ。線形の悪い国道20号山岳部に対する中央道や,バイパスのない神奈川県西部の国道246号に対する東名ならば,費用対効果が大きい。
 寄居PAで休憩し,本庄児玉ICで流出。伊勢崎方面に向かうが,8時頃だったので坂東大橋などが渋滞していた。

寄居PAには仔猫が…
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 伊勢崎,大胡を過ぎると道路の混雑も解消。どっしりとした赤城山が近づく。。神奈川県内ではパラリと雨が降ったが,群馬県はすっきり晴れている。実りの季節で,田の畔にはヒガンバナが鮮やかな赤い花をつけている。

火山麓の段々になった田んぼ
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黄金色のイネとともに秋を彩るヒガンバナ
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 赤城山が近づくと勾配が増し,田んぼも棚田状になってゆく。前橋市の粕川町室沢というところだ。山間に室沢新池という溜池があり,田畑を潤している。

赤城山を背景にした緩やかな段差の棚田
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 国道353号でみどり市の大間々に出て,遅めの朝食。ここからは渡良瀬川沿いに国道122号を足尾に向かった。
 足尾にはこれまでに3回ほど来たことがあったが,古河橋の奥まで足を延ばすのは今回が初めて。

日本では現存最古とされる道路橋の古河橋
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川の水は清らかに見えるが,山肌は植生に乏しい
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銅の採掘を行っていた備前楯山
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 廃村に近い愛宕下が渡良瀬川最奥の集落で,その先には巨大な砂防ダムが構えている。昭和35年に造られた足尾ダムだ。
 渡良瀬川では上流が禿山になって,土壌の保持力が低下したため,下流に流れ下る土砂の量が増加した。大間々扇状地付近での天井川化が進み,鉱毒の被害が広がる原因となったため,この砂防ダムが建設された。
 精錬事業の終了からは28年が経過しているが,未だに植生の恢復に至っていない。

 足尾ダムは三沢合流ダムとも呼ばれており,本流の松木川に,仁田元川,久蔵川が合流して渡良瀬川が始まる。それぞれの川の上流には松木・久蔵・仁田元の3大字があったが,いずれも明治後期に廃村になった。銅山が排するガスによって,生業の場である山の木々が失われたためだという。
 砂防ダム周辺は公園として整備されており,意外と多くのクルマが停まっていた。

幾重にも段になった足尾砂防ダム
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公園内の橋からは砂防ダムが間近に見られた
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土砂の溜まった砂防ダム内
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 戻りしなにわたらせ渓谷鉄道の間藤駅前を通ると,丁度列車が出るところであった。
 渡良瀬川に架かる第一松木川橋梁で待ち構えて撮影。石積みの橋台の上に架設されたトレッスル橋という珍しい形態の橋は,大正3年(1914)の開通である。土木学会のデータベースによると,東北線北部区間からの移設と考えられているとのこと。
 もとの構造を最大限利用するために必要な高さまで石を積んだのだろうか。

第一松木川橋梁を渡るわたらせ渓谷鉄道の列車
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 日足峠を長いトンネルでくぐり抜け,日光市の清滝へ。足尾町も今や日光市内であるので,長いトンネルも市内の移動なのであった。

次の記事 

鳥海ブルーラインを走って鳥海山五合目鉾立展望台へ (2017晩夏の越後南東北ドライブ旅 5)

旅行日:平成29年8月29日~9月1日⑤

最初の記事 曇天空振り魚沼スカイライン
前の記事 日本海沿いを北へ―鼠ケ関から庄内平野を経て象潟・蚶満寺まで
 越後・南東北ドライブ旅,第二日目。秋田県にかほ市,象潟の蚶満寺までやって来た。時刻は16時。
 きょうの宿泊地は山形県酒田市なので,そろそろ引き返すことにしよう。鳥海山の西側には鳥海ブルーラインという旧有料道路の県道が通っており,象潟から鳥海山の5合目まで上がり,遊佐町の吹浦に下ることができる。この手の道路は山頂に向かって登るだけというパターンが多いので,通り抜けられるのは嬉しい。時間も時間なので,あわよくば高みから日本海に沈む夕陽を見たい。

 その前にもう少し九十九島を見ようと,蚶満寺から象潟の郊外に走らせる。

鳥海山にかかっていた雲はほとんど取れた
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規模の大きなマツの丘も
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 日東道の象潟ICへのアクセス道路を登ってゆくと,日本海と九十九島を見渡すことができた。黄色くなりつつ稲穂の海と,深緑のマツの取り合わせは今だって充分に風光明媚だと思わせる。
 そもそもどうして九十九島ができたかというと,これは約2500年前の弥生時代に起こった鳥海山の大規模な山体崩壊による。この際の岩屑雪崩は日本海に達し,その流れ山地形が浅瀬の島となった。その後,沿岸流によって砂洲が造られて外海と切り離され,潟になったのだ。

高台から見下ろす九十九島
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 インターを通り過ぎてなおも登ると,標高180メートルくらいのところで平坦面に達する。
 平野との間に奈曽の白滝という大きな滝があるので,見ていこうと駐車場に停めたが,歩くようなので止める。歩くのを厭う様ではいけないが,夕暮れまでの時間が惜しかった。鳥海山の周辺には飽海三名瀑をはじめとした滝や湧水が豊富なので,また来たときはじっくり見て回りたい。

白い花をつけた蕎麦畑を前景に
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 奈曽の白滝からは急勾配でぐんぐん登る。ヘアピンカーブが連続し,植生もどんどん移り変わり,低木が多くなった。緯度が高いので,関東甲信越あたりの山に較べるとかなり低い標高で高木限界を迎える。
 4合目くらいで路肩が広がっている場所があり,周囲も開けていた。海や街が遥か下になっている。

陽の光の道ができた日本海
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雄大な道路の風景
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丘陵地の間を田んぼが埋め尽くす旧象潟町方面の大展望
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崖の縁に風力発電機が林立する南由利高原
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 さらにカーブを繰り返し,奈曽川の深い谷を挟んで稲倉岳(標高1,554メートル)を望む場所に来た。
 遠くからだと大きな一つの山のように見える鳥海山であるが,西鳥海山と東鳥海山の二つの円錐形成層火山からなり,稲倉岳は前者の方に区分される。鳥海山の火山活動は約55万年前に始まり,16~2万年前に西鳥海山が,2万年前以降に東鳥海山が形成された。新しい東鳥海山の方が急峻で,標高も高い。
 西鳥海山は稲倉岳の他,笙ケ岳(標高1,635メートル)や月山森(同1,650メートル)などの外輪山からなり,長径2キロほどの爆裂火口の内部には鍋森,扇子森の中央火口丘や火口湖の鳥海湖をもつ。しかし,ここからだと火口内部を窺い知ることはできない。

稲倉岳
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象潟は遥か下方に
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 ここまで来れば,五合目の鉾立展望台は間もなくだった。山荘や食事処,トイレなど一通りの施設があるものの,人気はほとんどない。広い駐車場に何台か停まっているクルマの主は山に入っているのだろう。
 温度計は13度を示しているので,いろいろと着込んでから車外に出る。風がなく陽が射しているからいいものの,8月とは思えない気温の低さだ。

 展望台は奈曽川の深い谷に迫り出すような造りになっていて,谷底を覗きこむと足が竦む。みるみる雲が湧いてきて真っ白になったからと思いきや,雲が流れてまた山体が見えたりする。なかなか目まぐるしい。

日暈の中に自分の影が映った
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谷伝いに雲が流れ下ってゆく
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深く深く刻み込まれた奈曽川の谷
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 稲倉山の後ろに黒々と姿を見せているのが,標高2,236メートルで鳥海山最高峰の荒神ケ岳。こちらは東鳥海山に属する。
 東鳥海山はは七高山(2,229メートル)や伏拝岳を外輪山とし,長径約3キロの爆裂火口に荒神ケ岳や新山がある。新山は享和元年(1801)の噴火でできたため,享和岳とも呼ばれている。山岳信仰の山であるので,荒神ケ岳には大物忌神社が祀られている。
 東鳥海山は弥生時代の紀元前466年に大規模な山体崩壊を起こし,馬蹄型のカルデラが生じた。なぜ紀元前のことが年単位で特定されているのかというと,埋もれ木の年輪年代測定法によるらしい。木の年輪幅が寒暖の差によって変わることを利用したものだという。

 それはともかく,この際の岩屑雪崩は日本海に達し,象潟の流れ山地形を形作った。カルデラはその後の火山活動による熔岩で埋まり,荒神ケ岳の熔岩ドームが形成された。
 貞観13年(871)には山頂附近で水蒸気爆発を起こし,火山泥流が山麓に多大な被害をもたらしたことが記録されている。前述の享和の噴火では登拝者8名が噴石の犠牲になっている。最近では昭和49年(1974)の春先に水蒸気爆発を起こし,融雪泥流を引き起こした。

荒神ケ岳や七高山などからなる東鳥海山は黒っぽく見える
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手前の急崖には白糸の滝が懸かる
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奈曽川の谷から出た雲が高原地帯を覆う
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 鉾立山荘は秋田県に位置するが,鳥海山の各峰は山形県に属する。一般的に,県境クラスの境界は尾根に沿って山頂に達することが多いだろうが,鳥海山附近の県境は妙に直線的な上に山頂部を山形県側が独占している。
 これは,境界をめぐって宝永元年(1704)に矢島藩と鶴岡藩が幕府に訴え出たことによる。幕府の裁定により,西は笙ケ岳から稲倉岳の8合目,東は女郎岳の腰の不毛の地を由利郡(矢島藩)と飽海郡(鶴岡藩)の境界とした。その後,廃藩置県後の県域の変遷を経て由利郡は秋田県に,飽海郡は山形県に属したため,このような境目になっているのだ。

 いつの間にか西の空は雲に覆われていた。太陽も隠れ,これでは海に沈む夕陽は拝めそうにない。
 逆光が解消されて見えやすくなった西の方には庄内平野や,山形県唯一の離島である飛島の小さな姿が望めた。

山体に当っていた陽が翳り,綿状の雲が湧いてきた
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庄内平野を遠望
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洋上には海岸段丘からなる平べったい飛島の姿
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 山形県側の吹浦まで一気に下る。眺望的には鉾立展望台に劣るので一度も停まらなかったが,5合目に近い国民宿舎大平山荘は眺めが良さそうであった。
 国道7号で酒田の近くまで戻り,市街をぐるりと迂回するそのままバイパスを進む。酒田ほどの都市ともなるとロードサイド店も充実している。宿泊先もイオンの隣りであった。
 第二日目の走行距離は314.3キロ。累計で700キロを少し超えた。

次の記事 

日本海沿いを北へ―鼠ケ関から庄内平野を経て象潟・蚶満寺まで (2017晩夏の越後南東北ドライブ旅 4)

旅行日:平成29年8月29日~9月1日④

最初の記事 曇天空振り魚沼スカイライン
前の記事 下越を北上して笹川流れへ

 越後・南東北ドライブ旅第二日目。鼠ケ関(ねずがせき)で新潟県から山形県に入った。鼠ケ関は緯度で言うと尾花沢や古川と同じくらいにあたるので,既にずいぶんと北まで来ていることになる。
 鼠ケ関は勿来関,白河関とならぶ奥羽三関の一つである念珠関(ねずのせき)が置かれた地であった。弁天島というのが景勝地らしいので,東北突入記念に立ち寄ってみることにした。

 弁天島は陸繋島のようだが,陸繋砂州の部分は漁港の堤防にされている。島には海洋信仰の厳島神社があった。
 島の先端には灯台があるようだが,南側に造られた歩道は随分荒々しい。崖の途中に辛うじて人が歩けるだけの水平な部分を造り,脇にはホッチキス状の金属製の手すりが点々と打ち付けてある。その歩道は波に洗われ,とても通れそうにない。

社殿が新しい厳島神社
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波が洗う弁天島灯台への道
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 仕方なく島の北側に回ると,こちらには通れる道があった。磯は黒っぽい色をしている。笹川流れの花崗岩と同じく深成岩の斑レイ岩であるが,こちらは苦鉄質(花崗岩は珪長質)であるので色が違うのだ。生まれた年代も新しく,日本海が拡大して以降のものらしい。
 灯台の向こうに見える粟島はだいぶ小さくなってきた。胎内市以来のお付き合いもそろそろ終わりになりそうだ。

弁天島北側の黒っぽい色の磯
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小ぶりな灯台の向こうに粟島
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笹川流れ方面を振り返る
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通るのを断念した遊歩道を上から見下ろす
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漁港の道端ではイカを干していた
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 江戸時代の念珠関は街の北にあったらしい。国道7号に戻るところの交差点名は異字体の「鼡ケ関」となっていた。
 6キロほど進むと日東道のあつみ温泉ICがある。鶴岡西ICまでは通行料無料だが,トンネルばかりだろうからそのまま国道を進む。無料高速のおかげで交通量は再び減ってくれた。

 国道7号の方も由良からは内陸に入って鶴岡,三川を経て酒田を目指すので,由良で海沿いの県道50号に折れる。
 由良の港は出羽三山の開山伝承にも登場する。飛鳥時代の崇峻天皇の第三皇子である蜂皇子は蘇我馬子から逃れて丹後国由良から日本海を北上し,当時はまだ倭国の勢力圏外であったこの地にに上陸したという。由良からは三本足のカラスに導かれて羽黒山に登り,さらに月山と湯殿山を開山したとされる。丹後の由良と同名の当地を結びつけたのだろうか。
 由良の集落を見下ろす場所では,鳥海山も姿を現した。山頂附近に雲がかかっている。

由良港。荒倉山と白山島の間に鳥海山が小さく見える
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 由良から加茂にかけては崖下の海沿いを走る。道も広くて気持ちよいが,波飛沫を浴びてフロントガラスが白く汚れる。
 加茂にはクラゲの展示で知られる鶴岡市立加茂水族館がある。駐車場は埋まり,施設前にも人が大勢。最近流行っているとは聞いていたが,ここまで人気があるとは思わなかった。
 国道112号に折れ,高館山を回ると東側の山が切れて,庄内平野に入る。緑に覆われた砂浜海岸が延び,手前には湯野浜温泉のホテルビル群が並ぶ。そして,背景にはたおやかな鳥海山の優美。

由良と加茂の間にて。白波が押し寄せる
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庄内海岸,湯野浜温泉,長く裾を引いた鳥海山
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 湯野浜温泉を抜けると風景は一変し,鬱蒼とした松林となった。庄内平野の海岸部には砂丘が発達しており,メロンなどが栽培されている。砂丘に造られた庄内空港の滑走路の下をトンネルでくぐる。
 松林を抜けると,道が広がって出羽大橋を渡り,酒田の街に入る。国道は市街地を抜けているが,一方通行区間もあった。再び砂丘になって,立体交差で国道7号に合する。酒田市とにかほ市の間も高速道路の未通区間なので,交通量は多い。

出羽大橋で京田川と最上川を渡る
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 吹浦の鳥海大橋で月光川を跨ぐ。庄内平野と砂丘はここで尽きて,代わりに鳥海山の山裾になる。長く引いた裾は海にまで達し,波が洗っている。一番突き出した三崎で山形県から秋田県にかほ市に入る。近代以前の三崎は峠越えをしており,松尾芭蕉も伊能忠敬も難渋したことを記しているが,現代の国道は何とも呆気なかった。
 小砂川のコンビニで小休止。酒田以来,前後のクルマを気にしながら走ったのでくたびれた。
 駐車場から見上げる鳥海山が見事であった。

田んぼの向こうにどっしりと構える鳥海山
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薄日を受けた稲穂を前景に撮影
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 秋田県で最初の街は,市町村合併でにかほ市になった象潟。
 取り敢えず入ってみた道の駅「象潟」がこの旅の最北到達地点となった。昨年は湯沢市まで来たので,緯度にして約10分だけ記録を更新した。秋田県は南北に長いカタチをしているので,一般道でこれ以上先を目指すのは大変だろう。

 少し戻り,国道と並行するJR羽越線の踏切を渡って,蚶満寺を訪れる。
 蚶満寺は延暦年間(782~806)に慈覚大師が創建したと伝わる古寺で,元禄2年(1689)には「おくのほそ道」の旅で松尾芭蕉も訪れている。当時の象潟は東西1.5キロ,南北5キロの潟があって,その中には多くの島が点在していた。九十九島や八十八潟と称され,文人憧れの景勝地であった。
 なお,「蚶」という字は「アカガイ」の意で,象潟の地名も古くは「蚶方」(『延喜式』など)と記された。

蚶満寺山門は江戸時代中期の建立とされる
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 景勝地だった象潟は文化元年(1804)の地震で風景が一変した。象潟では地面が約2メートル隆起し,潟は干上がり陸化した。マツの小島は海中から,水田の中に浮かぶようになった。
 地震後,当地由利郡を領有する本荘藩では陸化した象潟の開田計画を立てたが,もともと潟を寺領としていた蚶満寺はこれに反対した。計画阻止のために24世住職の覚林は京に上り,皇族閑院宮の文化4年の祈願所の指定を受けた。藩は閑院宮家に祈願所の取り下げを申し入れ,覚林は捕えられた。
 開田は一部が実施され,その10分1ほどが蚶満寺に寄付されたという。

寺の周囲の水田地帯にはマツの生えた小丘が点在
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蚶満寺本堂
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船着場の跡とされる池
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樹齢1000年とされる境内のタブノキは,大きすぎて引きがとれず
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 庫裡にはネコがたくさんいた。首輪をして鈴をつけられているから,寺で飼っているのだろう。
 人に慣れているらしく,近づいても逃げない。その代わり,カメラを向けてもこちらには関心はないとばかりにソッポを向いてしまうので張り合いがない。ネコを可愛がっていると蚊がたかる。

境内はネコだらけ
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 歴史があるぶん気位の高い寺かと思ったが,拝観受付の方も気さくで,印象は良かった。さっきのネコが何か悪さをしたらしく,建物の中から叱る声が聴こえてきた。

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相州生まれの相州育ちです。
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