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【「旅のはなし」の水先案内】

 「旅のはなし」をご覧いただきましてありがとうございます。
 当ブログはその名の通り,各地の旅行記を掲載しています。まったくもって行った順番には並んでおりませんので,以下の各「INDEXページ」をご参照ください。
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【PC推奨】同行者別INDEX (同行者様別に並べてあります/リアルでの知人限定公開)

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奥大井を畑薙第一ダムまで

旅行日:平成29年4月16日
 4月15日土曜日は学生時代の同級生・後輩たち7人と久しぶりに三軒茶屋で飲んだ。
 そこからの流れで,翌日はちょっと出掛けることになった。日曜日なので,8人のうち5人が参加。静岡県方面を目指す。

 クルマを出してくれたはなでーひらさん,くろねこ氏は津田沼で集合したそうだが,私は相鉄線の二俣川駅近くまで迎えに来てもらった。昨夜は遅かったので,10時半集合はありがたい。
 クルマに行くと,はなが助手席に,あとの二人が後部座席にスタンバっていたので,渋々ハンドルを握る。

 海老名SAでm-hoga氏と合流。私がそちらのクルマに乗り移り,東名を下った。富士山が霞んでいる。いつもは運転して通る区間なので,助手席から眺めるのは新鮮だ。
 彼の希望で4月20日に移転となる駒門PAに寄り道。売店とトイレ,それに小さな食堂が入居しただけの古びた施設で,「NEXCO」よりも「日本道路公団」って言葉の方が似合う。

駐車スペースも僅かな駒門PA
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小さな施設と最後のサクラ
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本線への合流部の上を新東名が跨ぎ越す
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4日後に供用される新施設への分岐点
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 きょうの行先をどうするのかは容易に結論が出なかったが,結局奥大井に行ってみることに決まった。
 いはら連絡道で新東名に移り,静岡SAで昼食。もう14時になってしまった。

 島田金谷ICを下り,国道473号で大井川を遡る。この国道は狭い箇所も多いが,高台から大井川を見下ろす場所もあって景色が良い。大井川は広い河原を作って,その中を細々と流れている。周りの山々の新緑が目にさやかだ。

 上りのSL列車が近づいてきているので,田野口駅に寄る。ホーム脇に植えられたサクラの花びらが舞う。
 待つほどもなくやって来たSL列車はこげ茶色の旧型客車を何両も連ね,乗車率も良かった。

よいタイミングでSLを撮影できた
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古い建物を塗り直したような田野口駅駅舎
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手書きの駅名票にサクラの樹,プランターのチューリップ
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 次に立ち寄ったのは千頭駅裏手の道の駅。千頭駅には大井川鉄道の旧型車両が様々保存(放置?)され,メンバーの関心を得られそうだと思ったのだが,以前来た時よりも随分整理されてしまっていた。
 千頭より先は道路が狭くなるので,この先は1台にまとまって進むという案もあったが,既に16時。翌日東京で朝から仕事のあるでーひらさんとm-hoga氏は引き返すことになった。

 残りの3人はさらに奥へと分け入り,長島ダム,井川ダムを経て畑薙第一ダムへ。時間的に井川・畑薙第一ダムのダムカードは無理だろうと思ったのだが,長島ダムの個性的なおばちゃんのお墨付きをもらい,進むことになったのだ。
 おばちゃんが“かの有名な”という大井川鉄道井川線のレインボーブリッジを見下ろすポイントにも立ち寄った。奥大井湖上駅のホームに人影が見えたので,まさかと思いながらくろねこ氏が調べると,あと数分で最終の上り列車が来るところだった。

長島ダムの辺りはまだ新緑を迎えていなかった
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夕暮れの奥大井湖上駅に最終列車が発着する
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西日を受けた井川ダム
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 井川の集落よりも先の道は初めて通った。
 井川ダムの上流は堆積が進み,ダム湖は地図で表されるよりもずっと小さい。これだけの量の土砂が海に流れることなくダムに蓄えられているのだから,砂浜も失われるだろう。

畑薙第一ダム。背後は南アルプスの茶臼岳,上河内岳
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 県道は第一ダムの天端を越えて,ダム湖沿いにもう少し続いていた。
 終点にはゲートがあって,林道東俣線に続く。一般車は通ることができないが,シーズンには荒川岳や赤石岳の登山口となる椹島までバスが運行されるそうだ。
 この場所は標高約950メートル。大井川の水源間ノ岳までは直線距離でも35キロ,標高差は2,000メートル以上ある。

県道の終点,林道東俣線の入り口
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 引き返して赤石温泉の白樺荘で第一ダムのダムカードをもらう。人家もない山深い場所であったが,真新しい施設であった。いつか入浴に来てみたい。

 井川で残照が失われ,闇の富士見峠を越えて県道27号を下る。どこまで行っても道が悪く,安倍川本流に出た時はホッとした。
 静岡市街に入り,愛知県に帰るくろねこ氏とは静岡駅前でお別れ。

 はなと夕食を摂ってから国道1号と246号を上り,御殿場から東名。“セルフ送迎”ということで,私の運転で自宅の近くのコンビニに辿り着いたのは0時であった。

薩摩半島をドライブ(3) 坊津から野間崎をまわって吹上浜へ

平成29年3月6~9日⑧

最初の記事 南九州への旅2017―序
前の記事 薩摩半島をドライブ(2) 開聞岳を望みながら池田湖,枕崎へ
 南九州への旅,第三日目。枕崎から国道226号を西へ進み,南さつま市(旧坊津町)に入った。
 きょうは朝から天候が定まらず,陽が射したり雨や雪や雹が降ったりしている。

 次に訪れたいのは坊津。枕崎と野間半島先端部の野間崎にかけてはリアス式海岸が続き,地図上の国道は延々カーブを繰り返して描かれている。
 そんな険しい地形だからこそ,急峻な海岸線の間には良港が点在する。坊ノ浦の奥部に位置する坊津もその一つである。
 国道から県道に乗り入れると,途端に道が狭くなった。両側の建物が軒を接している。平地に乏しい港町であるので,崖の上まで宅地が広がり,崖っぷちのなかなか際どいところに建っている家もある。

滝のような川の両側にも家々が建つ
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 坊津は大陸貿易で栄えた港町であった。「坊」の由来となった一乗院は,百済国の日羅が敏達天皇12年(583)に建立したとされ,古くから要津であったことを窺わせる。
 室町時代初期には別府氏が知行していたが,島津久豊が別府氏を婿として迎えることで南薩摩を平定した。応永27年(1420)頃のこととされる。島津氏の目的には坊津と北隣りの泊津の領有があった。

 クルマを停めて歩き出すと,陽が射してきた。青空も見えて気分が高まるが,きょうの天気は信用ならない。

坊津港
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 江戸時代の初め,文禄・慶長の役の際に連行された明国人が坊津から送還された。明国との関係改善は徳川家康の急務であり,その意向によって島津義弘の命を受けた貿易商人の島原宗安が送還業務を担ったそうだ。

 寛永年間(1624~44)に鎖国令が出されると,中国船は長崎以外への入港が禁じられた。しかし,これで明国との貿易が途絶えたわけではなく,坊津はそのまま密貿易の拠点となった。当時の交易品は織物,薬品,書籍,陶器,香料などであったという。密貿易は遭難などを装って入港してきた明舟によって行われ,鹿児島藩でも要津に唐通詞(通訳)を配置していた時期もある。
 しかし,享保年間(1716~35)には鹿児島藩による大規模な密貿易の取り締まりが行われ,坊津の密貿易は一掃された。この取締りは「享保の唐物崩れ」と称され,江戸時代後期には坊津は貿易港からカツオ漁の漁港へと変質していった。

 街の中には当時の密貿易屋敷が残っているというが,手持ちの大縮尺の地図では,入り組んだ道の奥のその場所に辿り着くことができなかった。
 路地に入ると,石畳みの細道があったりして,単なる漁港とは異なる街の姿が見て取れた。

坊津の裏路地にて
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 坊ノ浦の北には峰ケ崎という小さな半島が突き出している。その付け根には南さつま市坊津歴史資料センター「輝津館」という施設があり,坊津に関する資料館になっていた。立派な施設で見応えもあったが,マイナーな場所なので見学者は少なさそうであった。

坊津の高台に建つ近代的な輝津館
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 この場所は高台であるので見晴らしがよい。坊ノ浦の入り口には双剣岩という尖った二本の岩が立つ。浦の中は波が静かだが,外側は荒れ気味だ。
 峰ケ崎の北の泊浦も望むことができた。泊浦の湊は泊津といい,坊津と合わせて坊泊とも称される。

輝津館前から坊ノ浦を一望する
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坊ノ浦の湾口に突き立つ双剣岩
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切り立った崖が直接海に落ち込む泊浦
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 国道を北へと走り,泊津を過ぎる。長い坂の先で丸木崎トンネルを抜け,小半島を横切る。こんな風に,浦と小さな半島の峠が交互に現われる。相変わらず雲行きも不安定で,暗くなって雨が降り,しばらくするとカッと陽が射すことを繰り返す。

久志浦の入り口には砂嘴のような形の小さな岬(宮崎鼻)が…
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 道が広かったのは久志浦までで,その先は1.5車線幅の区間となった。見通しも悪い箇所が多く,距離の割に時間が掛かる。
 久志浦の次は秋目浦。鑑真が漂着した地とされる。

 鑑真は天平5年(733)に聖武天皇が派遣した遣唐使の乞いに応じ,唐から出国を試みたが,5度も失敗した。失明しながらも,天平勝宝5年(753)に6度目の渡海で遂に沖縄に渡ることに成功した。そこから屋久島を経由して大宰府を目指したが,遭難して“薩摩国阿多郡秋妻屋浦”に漂着した。この秋妻屋浦が秋目浦に比定されている(郡はのちに阿多郡から川辺郡に変更された)。
 秋目浦には「唐浦(もろこしうら)」という地名も残っており,大陸との繋がりを窺わせる。

今藤峠辺りから秋目浦
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 秋目浦の位置には枇榔島とも称される沖秋目島がある。やや面積のある島だが,とにかく山がちな地形をしている。
 沖秋目島にはビロー樹が繁茂していたために江戸時代には蒲葵(びろう)島と呼ばれていたが,明治初期の大火によって全滅した。戦後に外地からの引揚者が開拓を試みたが,水不足とネズミの害に遭い,無人島に戻ったという。

後藤鼻から手近に見える沖秋目島
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 秋目浦から野間崎付け根の野間池までは,浦を挟まずに海蝕崖の断崖が続く。海と山のせめぎ合いのような地形で,国道は最高で標高170メートルくらいの崖の中腹をゆく。
 もう少し晴れていれば良かったけれど,この区間が最も眺望が良かった。

野間崎が見えてきた
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 長い坂を下ると,野間池が見えてきた。元々隔絶性の高い入り江だったために“池”という地名になったのだろうが,入り口の埋め立てが進んだためにさらに池のようになっている。
 野間池の集落から坂を登って,野間崎方面に行ってみる。非常に細い道で,見通しも悪くて肝を冷やした。
 標高115メートルの見晴らしの良い場所に立つと,ここまで辿ってきた急峻な地形が重なり合って見えた。波の音は聴こえず,風力発電の風車が風を切る音がしている。

 細い道は野間崎先端の野間岬附近の灯台近くまで通じているようだが,西の海は暗いし,道も荒れていそうなので引き返した。

野間崎の高台から沖秋目島方面。陽が射してくれたので眼福
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左にカーブした崖と海が接するところが野間岬
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 野間池から引き続き国道226号を東へ走る。道幅が広くなり,海沿いを快走する。が,国道の改良はまだ半ばらしく,狭い区間も残っていた。
 鼻山を回り込むと,石積みの段々畑が現われ,目をみはった。平地に乏しい野間半島では段々畑が多いが,ここのものは規模が大きく,特に「谷山の段々畑」と呼ばれている。
 谷山(たにのやま)の段々畑は江戸時代後期に入植者によって築かれたとされる。畑一枚の面積は小さく,平成6年までサツマイモや花卉の栽培が行われていたという。

国道の上と下に展開する段々畑
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 谷山の附近が国道最後の未改良区間となり,ペースが上がる。小浦を回ると宏大な干拓地が現われ,風景も荒々しいものから穏やかなものへと変わってきた。

高崎鼻附近から吹上浜を遠望
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 南さつま市の中心をなす加世田は県道でパスし,国道270号を北へ走る。
 加世田を流れる万之瀬川より北は,砂丘の吹上浜となる。 この砂丘は緩やかな弧を描きながら南北約30キロにわたって続き,最大幅は2.8キロに達する。
 砂丘と東側のシラス台地の間には僅かな平野があり,国道はアップダウンを繰り返す。排水性の悪そうな地形だ。

 日置市に入った伊作川のすぐ北側で砂丘に出てみた。雲が低く,荒涼としていて人気もない。

荒涼とした砂の高まり
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砂山の向こうは海に届きそうなくらい低く垂れこめた雲
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波打際にて
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 時刻は18時少し前。そろそろ鹿児島に戻ろう。
 永吉から県道35号を東へ。あまり広い道ではなかったが,交通量が少ないシラス台地上の茶畑をゆくルートだった。
 JR鹿児島線の薩摩松元駅前に出て,今度は24号。山の中だが,鹿児島の街が近づいて交通量が増えた。九州道の鹿児島ICの下をくぐり,武岡トンネルをくぐると突然鹿児島中央駅の裏手に出た。

 夕食を摂ったりして時間を潰し,20時にコインパーキングにクルマを収めた。今夜のホテルは天文館の繁華街にあり,駐車場が1,080円と高い。少し離れたコインパーキングなら20~8時で300円で済む。
 明日は晴れの予報が出ている。早く起きることにしよう。

次の記事 

薩摩半島をドライブ(2) 開聞岳を望みながら池田湖,枕崎へ

平成29年3月6~9日⑦

最初の記事 南九州への旅2017―序
前の記事 薩摩半島をドライブ(1) 知覧麓を歩く
 南九州への旅,第三日目。
 指宿スカイラインの頴娃ICから,県道17号を南下する。頴娃以南は「スカイライン」という名の道路ではなくなるが,そのまま稜線を進むので眺望が良い。

 途中の駐車場に停めると,広い公園のようになっていた。この旅で初めての開聞岳にお目にかかる。大して高い山ではないが,とても端正な形をしているので,存在感は大きい。
 錦江湾も東シナ海も望み,錦江湾の向こうには大隅半島が見えている。あちらは陽が射しているようで明るいが,こちらは雪が舞い出した。風が冷たい。

開聞岳が姿を現した
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手前に指宿市街と知林ケ島,錦江湾の向こうが大隅半島
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 徐々に高度を下げ,池田湖の湖畔に到る。
 池田湖は池田カルデラ内のカルデラ湖で,約5,500前の噴火後に陥没し,水が溜まって形成されたという。カルデラは直径約4キロ,湖の面積は10.9平方キロメートルとそこまで大きくはない。しかし,池田湖の深さは233メートルもあり,海抜マイナス167メートルに達する。さらに,湖底に熔岩ドームがあり,地形図で見ると同心円状の等高線が乱れている。

池田湖と開聞岳
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湖の外側に切り立った外輪山
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 湖の西側を回り,開聞岳のすぐ下に位置する十町で国道226号に出た。開聞岳は南と西を海に接しており,海沿いの山裾を回る道路も整備されている。きょうは天気が良くないので,回るのは見合わせた。

 国道が海沿いの切り立った崖の上に出ると,駐車スペースがあった。富士見PAという名称は開聞岳が薩摩富士と呼ばれていることにちなむのだろう。

 開聞岳は阿多カルデラの中央火口丘であるとされ,約4,400年間前に火山活動を開始した。当初は浅い海での噴火であったが,熔岩を噴出する噴火を繰り返し,約2,500年前には現在の高さに達した。
 有史以来の大規模な活動記録は貞観16年(874),仁和元年(885)にある。大正4年(1915)以降は噴煙を上げていないが,平成12年に噴気が観測されている。
 標高922メートルで,きれいな円錐形をしているが,よく見ると上の方はちょっといびつな形をしているようにも見える。これは標高700メートル付近に鉢窪と呼ばれる段状の部分があるためだ。鉢窪より上は仁和噴火の熔岩ドームであるとされる。
 比較的新しい時代の火山ゆえ,まだ浸食谷があまり発達しておらず,現在の端正な姿がある。

半分海に突き出た開聞岳
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火山性の黒っぽい岩場を南シナ海の波が洗う
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 このまま国道226号を進めば,目的の枕崎に行かれるが,この道は通ったことがある。
 頴娃で右に折れ,南薩広域農道へと針路を取った。この選択は正解で,信号も少なく,交通量も少なかった。台地上を行くのでアップダウンが激しいが,直線が続く。北海道を思わせる道路風景もあった。広域農道は良い。

 台地上は現在,茶畑やニンニク畑になっているところが多い。開聞岳は噴火によって周辺にコラと呼ばれる硬質なスコリア質の火山砂礫を堆積させ,頴娃町や知覧町の台地上は水を通さない不毛の地となっていた。そのため,平安時代以来小規模な開墾が細々と行われるに過ぎなかった。
 戦後になってようやくコラの除去が大々的に行われ,灌漑設備も整えられたことにより農地化が進んだという。

不毛の台地を開墾した茶畑
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青々としたニンニク畑を背景に,今回のレンタカーを写す
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 やがて県道34号に合流。知覧からそのまま南薩縦貫道を走ってきたら,ここに出てきたらしい。
 合流点の交差点は金の採掘をしている岩戸山の中腹にあり,眺めの良い公園があった。

南シナ海に浮かぶような開聞岳を遠望
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 枕崎の街に入り,時間も丁度いいので昼食にする。
 漁港の食堂でカツオの船人めしを食した。カツオの切り身と鰹節を載せた丼飯で,途中から出汁をかけて食す。漁師料理の発展形なのだろう。
 店を出るとかなり強い雨が降っていた。走り出すと止んだが,きょうは朝から不安定な天気だ。

昼食は船人めし
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枕崎港雨模様
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 枕崎からさらに西へ進み,南さつま市に入る。鹿児島県には南九州市と南さつま市があり,しかも隣り合っているのでなかなか紛らわしい。
 標高約150メートルの耳取峠に差し掛かると,枕崎の街が下方に展開した。今度は陽が射している。

耳取峠から枕崎の街を遠望
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次の記事 薩摩半島をドライブ(3) 坊津から野間崎をまわって吹上浜へ

青春18きっぷでミニトリップ―新しい吾妻線と川原湯温泉

旅行日:平成29年3月30日

 3月も末となり,いよいよサクラの時季に突入。
 …のはずだったのだが,アテが外れた。東京都心のサクラは3月21日,横浜市でも25日に開花したものの,気温の低い日が続き,一向に咲きそろわなかった。
 サクラ旅は前日の時点で見切りをつけ,それとは関係のないところに行くことにした。


 横浜8:41発の東海道線宇都宮ゆきでスタート。上野東京ラインができて便利になったのだが,湘南新宿ラインや各線の快速運転,さらに東京や上野始発まで含めると,どの列車に乗ってどこで乗り換えるのが適切なのかを把握しづらい。
 私は高崎線に入るのだが,大宮で後続の快速「アーバン」を待つことになった。横浜を9分後,2本(湘南新宿ラインを含めると3本)あとに出る列車である。

 快速なので1時間ちょっとで高崎着。途中で座れたので,時刻表を開いてこの先の行程を検討した。
 きょうは結局,吾妻線に乗ることにした。理由は単純で,関東地方のJR東日本線で唯一の未乗区間があるからだ。丁度19分後に出る長野原草津口ゆきがあるが,1本後のにする。

 改札を出て,展望フロアのある高崎市役所へ。晴れているものの,春らしい霞んだ空で,上毛三山はぼんやりしていた。

浅間山は見えず,榛名山は霞む
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駅方面と関東平野
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駅近くで見つけた豊田屋旅館本館,昭和7年築
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 12:37発の列車に乗る前に昼食を摂っておこうと思ったのだが,春休みということもあって駅ビルの店はどこも混んでいる。
 一計を案じてホームに降り,駅そばのスタンドに立った。ここの先客は一人だけであった。

巨大な天ぷらの入った舞茸そばの昼食
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 ホームを移動し,12:37発の両毛線小山ゆきに乗る。
 上越線と吾妻線の列車は高崎を発着するダイヤになっていたが,今年(平成29年3月4日)のダイヤ改正でその原則が崩れた。上越線の3.5往復,吾妻線の4.5往復が新前橋発着になり,両毛線直通列車と乗り継ぐこととなったのだ。
 小山ゆきは3両連結で,混雑していた。10分ほどで新前橋に着き,6分の接続で万座・鹿沢口ゆきに乗り継ぐ。こちらは4両繋いでおり,ガラガラに空いていた。いずれもオールロングシート。

新前橋駅で両毛線(左)から吾妻線直通(右)に乗り換え
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 上越線を15分ほど走り,渋川からようやく吾妻線に入る。少なかった客は渋川でさらに減った。
 私がこの線に乗るのは二度目で,前回は平成18年の8月に終点の大前まで往復している。終点まで乗っているのに未乗区間があるのは,八ツ場ダムの建設に伴って線路が付け替えられた区間があるためだ。

 列車は利根川支流の吾妻川の谷に入り込む。吾妻線は終点大前までこの川沿いをゆく。
 それにしても列車の振動が大きい。吾妻線は昭和20年1月2日に長野原線として渋川・長野原(現在の長野原草津口)間が貨物専用で開通した。開通した年も日付もすごいが,これは群馬鉄山で採掘される鉄鉱石を輸送する目的を持っていたためである。工事を急いだため,道床が薄いのではないかと邪推する。

 きょうは非常に暖かく,眠くなってくる。居眠りしていると,駅に停車する時のガックンという衝動で起こされる。これは車両自体に何か問題があるのだろう。
 河岸段丘の上に発展した沿線で最も大きな街の中之条,次の群馬原町を過ぎると,俄かに谷が狭まってきた。
 そして,岩島を発車すると,新線区間に突入する。突然走行音が静かになるので,それと判る。ガタンガタンというレールの継ぎ目を拾う大きな音がなくなり,ロングレール+スラブ軌道のゴーーーという音に変わった。
 カーブしながら第二吾妻川橋梁を渡り,八ツ場トンネルに進入する。第二吾妻川橋梁は緩やかにカーブした斜版橋で,延長431メートル。続く八ツ場トンネルは長さ4,582メートルあり,ダムの高さ分上り勾配が続くため,ひたすらモーターの音がトンネルに反響する。旧線では吾妻峡の渓谷が見え隠れしたが,そんなもの望むべくもない。
 ようやくトンネルを抜けたら,すぐに川原湯温泉駅に停車した。ここで途中下車。

新しい川原湯温泉駅
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 標高約600メートルの山峡はさすがにひんやりしていた。近くの山には残雪が見える。駅の周りは開発途中で,道も駅前ロータリーのところで途切れている。僅かな家と牛乳販売店が一軒。
 下車して目指すは共同浴場の「王湯」。次に乗る列車まで1時間5分となっている。

すぐ上方の山肌には雪が…
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 高台移転した川原湯温泉は,駅から県道のトンネルを抜けて行く。王湯は比較的近い位置にあるが,それでも駅から11分ほど掛かった。
 王湯は小さな施設で,入湯料は500円と安い。浴槽もあまり広くなく,シャワーブースも3つしかなかったが,露天もあるのは嬉しい。今はダム建設関連工事の音が騒々しいが,いずれはダム湖を望むようになるのだろう。
 30分ほど浸かり,脱衣所を出た時には列車まで残り15分強。2階の休憩室には入れなかった。

小ぢんまりとした王湯
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高台に移転してきた新しい街と八ツ場大橋
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川原湯温泉駅に通じる道をもう一つ建設中
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 身体はすっかり暖まり,風が吹き抜けるトンネル内も心地良いくらいだった。
 ホームに降りた時には,トンネルに反響する列車の音がだいぶ大きくなってきていた。

ギリギリで列車を写せた
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 川原湯温泉駅を出発した列車は,川原湯トンネルと横壁トンネルを相次いでくぐり抜け,第三吾妻川橋梁を渡る。右手から旧線が合流し,長野原草津口駅に着く。第三吾妻川橋梁は中路アーチ橋で,斜材を減らしたスマートな造りをしている。隣りを通る国道の長野原めがね橋とデザインを競っているかのようだ。
 未乗区間の乗車は完了したので,ここで下車。丁度30分後の15:50発高崎ゆきに乗る。

 長野原草津口駅は名称通り草津温泉の玄関口で,列車とバスの結節点である。かつてはホームと駅舎が跨線橋で連絡していたが,ホームの片側の線路を行き止まりにすることで,ホームから改札までを平面にした。いくらエレベーターを設置したりしたって,この構造にはかなわない。
 駅前にはバスロータリーがあるくらいで,店などはない。吾妻川の向こうにコンビニの看板が見えたので,歩いて行ってみたが,「Xキロ先」という看板であった。
 橋から見下ろす川は,両岸がコンクリートですっかり固められていた。八ツ場ダムが完成したら,この辺りまでバックウォーターが来るのだろうか。

長野原草津口駅
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両岸をコンクリートで固めた吾妻川
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 万座・鹿沢口からの高崎ゆきが着き,長野原草津口始発の特急「草津4号」が先発する。自由席,指定席とも半分以上の席が埋まっていた。
 特急に遅れること7分,こちらも発車する。

真新しい新線(右)と急なカーブがあった旧線(左)
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 来た道を引き返し,16:50着の渋川で途中下車。

渋川駅ホームから赤城山を望む
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最近改装された風の駅舎
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 渋川で降りたのは,いつかクルマで通った時に坂の途中の古い街並みを目にしたからであった。渋川は利根川と吾妻川の合流点に位置する段丘上の街であるが,西側には榛名山の裾がのびて傾斜地になっている。
 残念なことに,目当ての街並みは少し歩いただけでは見つけられなかった。が,いくつかの成果は得られた。

お茶屋さんを覗いていたネコが…
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…こちらに気付いて険しい表情を向けてきた
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 ネコが覗いていた石坂園という茶舗は裏手に古い建物があった。明治13年(1890)に建てられたという古い三階建てで,かつての店舗。前を通る県道の拡幅工事に伴って,奥へと曳家したのだそうだ。

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店舗裏手の古い建物
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 駅と平沢川を隔てて10分ほどの距離に新町五差路という交差点があるが,この上側がかつての中心市街地らしい。
 渋川新町は明治期から昭和30年頃までは東武鉄道の軌道線である高崎線,前橋線,伊香保線の結節点になっており,戦前はさらに渋川から中之条への吾妻軌道と沼田への利根軌道が出ていた。

 交差点の近くに近代建築を見つけた。藤五という群馬県資本の百貨店の支店だったという。百貨店にしては小さすぎる建物だが,開店した当時の渋川の街にとっては丁度いいサイズだったのだろう。
 現在は居抜き物件として化粧品店が細々と営業しているが,解体されることになったと窓ガラスに貼ってあった。

大きな窓ガラスが特徴の旧藤五
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別の角度から。だいぶくたびれた様子
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 渋川17:37発の高崎ゆきに乗り,新前橋で下車。横浜までは3時間弱かかるので,ここからグリーン車に乗って帰る。
 駅の近くのスーパーでビールなどを買い,ホームでICカードにグリーン券の情報を登録して,18:20発の通勤快速上野ゆきに乗り込む。既に暗く,車窓はもう楽しめない。
 特に急がないので,籠原で始発の湘南新宿ラインに乗り換え。高崎線内はガラガラだったが,池袋,新宿,渋谷での乗車が多く,通路側の座席も塞がった。

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