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【「旅のはなし」の水先案内】

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黒部川の峡谷の入り口―愛本から宇奈月へ

旅行日:令和元年5月21~23日・前⑤

最初の記事 戸隠神社の宝光社と中社に参詣する
前の記事 八十八瀬の黒部川扇状地をゆく

 入善で富山湾から離れ、黒部川扇状地をじわじわと登ってきた。
 大きなヘアピンカーブで坂を登り、さらに段丘へと上がる。古い時代の扇状地の端っこなのだろうが、両者の比高は40メートルにも及ぶ。標高は140メートルに達し、扇状地ごしに富山湾まで望む。
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 段丘上は「愛本新」という大字だ。北陸地方では新田集落の接尾語が「××新田(村)」と代わりに「××新村」となる。「××新村」なら違和感もあまりないが、大字にする際に機械的に「村」を外したため、接頭語を後ろにつけたような感じになったようだ。
 ちなみに、その名も「開発」という地名もこの地方の特徴的なものだ。

 高い段丘の上ではあるが、舟川から水を引けるようで、一面の水田が広がる。
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水田が飛彈山脈北部の山並みを映す
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 段丘崖の縁まで行くと、赤いアーチ橋が見える。愛本橋だ。
 あの橋は黒部川が山間部から平野に出る地点に架かるのだが、ここからだとその地形がよく判る。
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 橋に行く前に、舟川ダムに寄り道してダムカードをゲット。
 山々の残雪と新緑がさやかだ。峰々が入り組んでいるので、一つ一つ山の名前が分からないのが残念だ。
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 そして愛本橋に立つ。現在の橋は昭和48年に架けられたものだが、江戸時代以来の歴史を有す。
 前回記したように、黒部川は「黒部四十八瀬」と呼ばれるほど乱流しており、その扇状地は交通の難所であった。
 金沢藩は北陸街道を整備したものの、夏季には黒部川が増水し、渡河は難しかった。そこで、金沢5代藩主の前田綱紀は寛文2年(1662)に黒部川の谷口に橋を架けさせた。
 下流になると瀬ごとに橋を架けねばならないが、谷口のこの場所であれば一つで済む。しかし、川幅が広い上に流れが速くて橋脚を建てられないため、両岸から橋材を迫り出させた「刎橋」となった。その際、「相本」の地名を「愛本」に改め、愛本橋と名付けられた。

取水堰が設けられているが、雪融け水を流す迫力は健在
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 「刎橋」の愛本橋は34間(約61.8メートル)の長さであったという。非常に珍奇な橋梁であったため、文人墨客の訪れるところとなった。
 しかし、その維持管理は極めて難しく、江戸時代のあいだに8度架け替えられている。現在も残っていたら一大観光名所になっていただろうが、明治34年に木製アーチ橋に架け替えられて失われた。

 下流方向に目をやれば、黒部川が広い河道を流れだしている。
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 愛本から黒部川の左岸を上流へ。川は急に表情を変え、山間に谷を刻んで流れている。
 音沢大橋で右岸に移り、対岸に宇奈月温泉のホテル群を眺める。
 富山県を代表する温泉地宇奈月であるが、大正時代初めまでは住む人もなかったそうだ。開発も温泉地としてではなく、黒部川の発電事業の基地としての歴史から始まっている。電源開発は東洋アルミナムによって始まり、同社は温泉開発にも手を出した。大正12年に上流の黒薙湯(現在の黒薙温泉)から引き湯し、宇奈月温泉が開湯した。

 宇奈月温泉のすぐ上流には宇奈月ダムが聳える。
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 折しも全力の放水が行われており、非常に迫力がある光景が見られた。
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 宇奈月ダムより上流には道もなく、川に寄り添うのは黒部峡谷鉄道の細い線路だけになる。
 ダム湖にヨーロッパの古城のような建物が見えるのは新柳河原発電所だ。景観に配慮してこんなデザインにしたという。
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 ちょうど黒部峡谷鉄道の列車が走ってくるのが見えたので、先回りして撮影。電気機関車は小さいながらも力強く見えるが、客車の方は遊具のようだ。早い時間の上り列車だからか、乗客は僅かであった。
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 引き返して愛本を過ぎ、広域農道を西へ。アップダウンが大きい分、景色も良く、北陸新幹線の黒部宇奈月温泉駅や富山湾を見下ろす箇所もあった。
 魚津市に戻り、「はじめ屋」で昼食。11時半だというのに、すでに混雑していた。座席を端から順番に詰めさせるなど、客の“管理”が行き届いており、回転は速かった。

 食後は魚津港へ。今の季節は蜃気楼が見られるかもしれない。
 魚津港は同じ考えの人たちで賑わっていたが、富山湾ごしの景色はすっきりと見えている。きょうは晴れて気温が高く、蜃気楼の発生条件を満たしているように思えるが、それだけでは足りないようだ。

ベタ凪富山湾ごしの能登半島
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蜃気楼発生時にはのびて見えるという新湊大橋
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特徴的な建物は魚津埋没林博物館
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 魚津を後にし、県道1号を西へ。富山県道のトップナンバーだが、道は細い上に紆余曲折しており、辿るのは難しい。
 今朝の時点では、午後は順光になる称名滝を見に行こうと考えていたのだが、もうそんなことはすっかり忘れてしまっていた。

次の記事 

八十八瀬の黒部川扇状地をゆく

旅行日:令和元年5月21~23日・前④

最初の記事 戸隠神社の宝光社と中社に参詣する
前の記事 陽の沈む日本海沿いをゆく―上越市から富山県へ

 第二日目は富山県魚津市からスタート。先に記したように、明日の上高地にそなえてきょうは岐阜県の新平湯温泉泊まりだ。夕方に神通川筋を分け入るまでは富山県の北側をウロウロしようと思う。

 7時半過ぎにホテルを発ち、まずは一旦西へ走る。富山県の魚津以西は空白領域だ。
 国道8号の旧道で黒部市を抜け、黒部大橋へ。川幅が広いので、長大なトラス橋となっている。
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 雪融け水を集めた川水は白っぽく濁り、いくつもの瀬にわかれて流れ下る。対岸側には立山連峰が屏風のように連なる。
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 上流方向に見えるのは長野県境をなす後立山連峰にあたるようだ。右端の尖っているのが剱岳だろうか。
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 そのまま川べりを下り、河口近くの下黒部橋へ。乱れた流れが富山湾に注ぎ込むのが見える。
 日本海は真っ青で、その向こうには能登半島がくっきりと見えている。天気が良くて何よりだ。
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並行する橋梁をあいの風とやま鉄道の列車がゆく
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 せっかくなので、河口まで付き合うことにした。河口は海と川がせめぎ合い、砂洲ができている。
 黒部川は北アルプスの山々の間を、峻険なV字谷を刻んで流れ来る。上流部の降水量が多く、土砂も多量に供給されるが、谷口の愛本から下流は河床勾配が緩むため、規模の大きな扇状地が発達している。中世には水が出ると瀬が日々変わると言われたほどで、いまでは一本にまとまっている黒部川だが、かつては「黒部四十八瀬」と呼ばれるほど乱流していたという。
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川が運んだ土砂を海が持ち上げた砂の高まり
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ハマヒルガオが咲く
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 川からは離れ、扇状地内の入善町を走っていると、湧水を見つけた。
 黒部川は大きな扇状地を形成しているので、扇端部にあたる海の近くには湧き水が多い。もっとも、この扇状地は海の中まで続いているので、海中にも真水が湧く場所が多くあるのだろう。
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 ムギが収穫期を迎えていた。雪の多いこの地域で二毛作をしているとは全然知らなかった。防砂林の向こうは日本海だ。
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 入善からは扇状地を上流へ。緩やかな傾斜地には水田が続き、近づいてきた山々を映していた。
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次の記事 

陽の沈む日本海沿いをゆく―上越市から富山県へ

旅行日:令和元年5月21~23日・前③

最初の記事 戸隠神社の宝光社と中社に参詣する
前の記事 ミズバショウの咲く霧の越水ケ原と戸隠神社奥社

 戸隠神社奥社をあとにして、県道36号を鳥居川沿いに柏原(信濃町)へと下る。
 国道18号を北上し、信越大橋で新潟県に入る。道幅が広くて走りやすい道で、日本海に向かってぐんぐん下る。天候はみるみるうちに恢復し、青空が広がった。先を急ぎたい気持ちを上回り、妙高市の大字志というところで一旦国道を逸れた。「志」は「し」と読む一文字地名だ。

田植え直後の田圃が広がる
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傾いてきた陽を映す水面
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段々の田圃の後ろは妙高山?
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 高田平野に下ると帰宅ラッシュで混雑。直江津にある家系ラーメンの「上越屋」で夕食にしようかと考えていたのだが、あいにくの臨時休業。
 直江津からは国道8号を西に向かう。18時を過ぎたというのに、宿泊地の魚津市まではまだ約90キロを残している。先は長い。

 国道は高田平野からトンネル一本で日本海沿いに出る。この変化はなかなか劇的だ。北に突き出した鳥ケ首岬まで来ると、太陽がだいぶ水平線に近づいた。
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東の方向。尖った山は米山
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 上越市から糸魚川市に移ると、いよいよ太陽が水平線に接近。クルマを停めて“その瞬間”に備える。
 18:51、赤みを増した太陽が水平線に触れた。すぐとなりの陸影は能登半島の禄剛崎だ。
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半ば以上が沈んだ
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陽の落ちた海岸
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 国道はひたすら日本海沿いをゆく。夕陽が残した明るみが少しずつ失われ、暗くなってきた。
 夜の運転に備え、能生のコンビニでコーヒーを買っておく。
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 糸魚川市街を過ぎると完全に暗くなり、姫川を渡って親不知海岸に差し掛かる。ここをクルマで走るのは初めてだ。
 青海を過ぎるとロックシェードが連続する。暗いのでもはやシェードなのかトンネルなのかはっきりしないのだが…。
 ロックシェード内はアップダウンが激しく、カーブも多い。なんだか巨大生物の体内を進んでいるかのようだ。平衡感覚がおかしくなってくる。幅が狭く、対向車はトラックが多いので気が抜けない。

 港町が現れると市振。新潟県最西端の集落だ。境川という小さな川を渡ると富山県に入る。
 日本海から離れ、朝日町の泊からは平野部をゆく。片貝川を渡って魚津市に入ったのは20時半過ぎであった。

 第一日目の走行距離は492.0キロであった。

次の記事 八十八瀬の黒部川扇状地をゆく

ミズバショウの咲く霧の越水ケ原と戸隠神社奥社

旅行日:令和元年5月21~23日・前②

前の記事 戸隠神社の宝光社と中社に参詣する

 戸隠神社の宝光社、中社を経て、奥社のある越水ケ原まで上がってきた。標高は1,200メートルを超えており、霧の中は肌寒い。
 晴れていれば鏡池の畔に行って険しい山容をした戸隠山の新緑を眺めたかったが、とても見えそうな天気でない。

 奥社の駐車場は有料なので、戸隠森林植物園の方に停めた。あたりは小川の流れる湿地帯で、ミズバショウの花が咲いている。
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 ミズバショウの白い部分は花ではなく、仏炎苞と呼ばれる苞なのだそうだ。花は苞に包み込まれるようにして、中央部に小さなものが沢山集まっている。
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 木立の中にはカタクリも群生していた。雨に濡れて俯いているかのようだ。
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 濃い霧のなかを歩いていくと、みどりが池という名の小さな池が現れた。静かな水面に木々を映している。
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水辺のミズバショウ
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池の畔には白い花の樹も
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 木道を進むと、戸隠神社の奥社の参道に出た。戸隠山の麓にある奥社は遠く、ここから徒歩で40分かかるそうだ。奥社に参詣するために来たといってもいいので、もちろん歩く。もう15時半になっている。
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 峻険な戸隠山は山岳信仰の地として、平安時代から修験道が行われた。その中心は顕光寺で、寺を中心に集落が発達したという。戦国時代には武田晴信(信玄)と長尾景虎(上杉謙信)の争いに巻き込まれて荒廃したが、上杉景勝によって奥之院、中院、宝光院が再興された。
 江戸時代のはじめには徳川家康の庇護を受け、神領1,000石が与えられた。
 顕光寺は神仏習合の寺であったが、慶応4年(1868)の神仏分離令により、別当らは神職となり、戸隠神社となった。

 参道は一直線で、両側には清らかな水が流れている。
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 沿道の樹木がスギに変わると、門が見えてきた。
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 茅葺きで朱塗りのこの門は瑞神門。神仏分離以前には仁王門と呼ばれた。
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 隋神門の先にはスギの巨木が連なる。戸隠神社を象徴する景観だ。
 奥社の門前には院坊や講堂が20あまり建ち並んでいたというが、いまでは杉並木の裏側に礎石を残すのみだ。宗徒は江戸時代中頃には許可を得て中院・宝光院の門前に居住するようになったというから、その当時ですら隔絶された住みづらい場所だったのだろう。
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 にわかに登りがキツくなり、霧も濃くなってくると戸隠神社奥社の境内に入る。写真を撮るために何度か立ち止まったとはいえ、最初の鳥居からキッチリ40分かかった。
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 奥社は山体を穿ったような社殿で、天手力雄命(あめ の たぢからお の みこと)を祀る。
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 奥社の境内は標高約1,350メートルで、戸隠山山頂は1,904メートルある。奥社から登るルートもあるが、極めて急峻で事故も多いという。
 社殿のとなりにある九頭竜社は戸隠山の地主神である九頭竜大神を祀っている。戸隠神社は九頭竜神信仰が発祥とされる。
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 戻りは足を速めて参道を下り、鳥居までは25分だった。クルマに戻るともう17時近い。

次の記事 陽の沈む日本海沿いをゆく―上越市から富山県へ

Appendix

プロフィール

さがみぃ

Author:さがみぃ
中の人は相州生まれの相州育ち。アラサー。
地理・地図好きの筆者が、街を歩いたり、ドライブしたり、列車に乗ったり、山に登ったりしたことをダラダラと書いていきます。

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