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【「旅のはなし」の水先案内】

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【旅の詰め合わせ】平成22年版

旅行日:平成22年_
執筆:平成30年8月

 この記事は、独立した旅行記を書かなかったミニトリップなどを一年分まとめて記したものです。
 ちょっとしたお出掛けや時間の都合で執筆に到らなかったものなどがあります。

【1月6日】
 今年の撮影初めは初詣から。混雑する浅草寺に参詣し、押上では建設の進む東京スカイツリー(※1)を見上げました。
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【1月16日】
 この日は江の島へ。何度も行っていますが、珍しく展望灯台に昇りました。天気はまずまずでしたが、丁度干潮時で砂洲が繋がりそうな様子を見られました。腰越の東の小動崎の砂岩の露頭も見事。
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【2月2日】
 ある講義の巡検で大磯丘陵へ。前夜に雪が降ったため、海老名辺りは真っ白でしたが、目的地はあらかた融けていました。
 秦野駅からバスに乗り、平塚市の金田あたりに行ったと思うのですが、詳細な場所までは思い出せません。
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【2月6日】
 なんとなく思い立って、府中の東京競馬場へ。京王競馬場線にも初乗り。
 私は競馬の趣味はなく、なんのレースかもわかりませんでしたが、オーロラビジョンの巨大さに感嘆。馬券も買わず、ランチを食べて雰囲気だけ味わいました。
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【3月25日】
 大学の先輩方の卒業式。午後からはさいたま市の鉄道博物館を初訪問。新幹線0系は前の年の秋に公開が始まったばかりでした。
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【3月30日】
 また埼玉県。今度はサクラの名所である幸手市の権現堂堤へ。サクラはまだ咲いていませんでしたが、菜の花が見頃でした。
 往きは幸手駅から、帰りは南栗橋駅まで歩きましたが、いずれも結構な距離がありました。
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 東京メトロの一日乗車券を使用していたので、夜は市ケ谷の濠端へ。サクラは都心で三分か五分咲きといったところでした。
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【4月2日】
 横浜市瀬谷区の海軍道路にサクラを見に行きました。旧海軍倉庫の敷地をアメリカ軍が接収して上瀬谷通信隊(正式名称は上瀬谷通信施設)となっており、電波障害の関係で宏大な緑地が広がっています(※2)。海軍道路はそこを一直線に貫く道路の通称で、桜並木になっています。
 ローマ字書きの「KAMISEYA」が異国情緒。
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【4月6日】
 3年次のゼミ決めなどの関係で大学へ。夕方、同級生のO君と世田谷区の呑川緑道にサクラを見に行きました。
 東京のサクラは終わりかけで、水面を埋めた花びらが見事でした。
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【4月24日】
 秩父市の羊山公園にシバザクラを見に行きました。池袋から西武線に乗るときには、霧が濃い様子がライブカメラ映像に映し出されていましたが、横瀬駅で下車して現地に着く頃には晴れ上がり、無骨な武甲山を背景にしたシバザクラの絨毯を見られました。
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【5月15日】
 子供の時以来に横浜ランドマークタワーに昇りました。見慣れた横浜の街ですが、みなとみらいの辺りなどどんどんビルが増えています。
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【5月19日】
 私の所属する大学の地図関係の研究会で、東北大に出張。
 先輩のはちたかさんと東京8:56発の「こまち9号」に乗り、仙台へ。中国からのお客様を伴って北海道からフェリーで来たという、顧問のT先生と合流。確かバスで東北大青葉山キャンパスに向かいました。昼食は学食で摂りましたが、ハラル料理があることに驚きました。
 高台にある東北大はちょうど若葉の季節でした。
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 午後は目的の自然史標本館を訪れ、地図庫などを見学させてもらいました。その後、市街地に近い片平キャンパスに移動し、仙台医学専門学校時代に魯迅が学んだという階段教室を訪問。中国からのお客様はこちらが目的だったようです。
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 夕方には解散となり、はちたかさんと共に仙台17:30発の列車で未乗の東北線の支線(岩切~利府)に乗車。横に長く延びた新幹線の車輛基地を見ながら、隣りの新利府駅まで歩きました。
 牛タンの夕食を摂り、一泊するという先輩とは別れて、仙台20:01発の「やまびこ66号」で帰路に就きました。
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【6月20日】
 ゼミの小巡検で押上や国会前の日本水準原点などを回りました。
 スカイツリーの建設工事は展望台のところまで進み、そのアシモトは見物客で賑わっていました。
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【10月15日】
 コスモスを目当てに、初めて昭和記念公園へ。非常に敷地の広い、回りがいのある公園でした。
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【11月20日】
 今度は紅葉・黄葉の井の頭公園を初訪問。
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【12月4日】
 西武新宿駅から西武遊園地ゆきの急行電車に乗り、狭山丘陵へ。大変天候に恵まれ、村山貯水池の湖畔は紅葉がきれいでした。
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 夕方まで天気が良い状態が続いたため、都庁舎の展望台へ。富士山や丹沢の稜線を残照が映していました。

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 以上です。

【註釈】
※1 「東京スカイツリー」の名称はこの時点で決定済みで、平成21年12月の時点で高さ200メートルを超えていた
※2 上瀬谷通信施設は平成27年に日本に返還された

秋の小海線と小諸を経て、栄村稲刈りへ

旅行日:平成22年9月25・26日
執筆:平成30年8月
 大学3年生だったこの年の9月には、縁あって4度目となる長野県栄村を訪れた。
 今回の目的は稲刈り。日曜日の朝から行うということだったので、長野県内を回ってから前泊することにしたのだった。

 切符は学割で町田→横浜市内を「横浜線・中央東・小海線・佐久平・新幹線・長野・信越・飯山線・十日町・ほくほく・六日町・上越・越後湯沢・東京」経由で用意した。細長い乗車券が発券されたが、経由欄には収まりきらずに「上越」以下は手書きになった。
 土日の日程だったものの、当時の「ウィークエンドパス」(8,500円)よりも安く、7,770円であった。


八王子を特急「スーパーあずさ5号」で出発
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 この時の話で間違いないと思うのだが、こんなことがあった。大月の先の山間部を走行中、「お客様の中にお医者様がいらっしゃいましたら、お近くの車掌までお声を掛けてください」というアナウンスが流れた。よくテレビドラマとかであるアレだが、鉄道でもあるとは…。
 どうやら急病人が発生したらしく、本来は八王子から甲府までノンストップのところを塩山で臨時停車した。駅には救急隊が待ち構えていた。

 定刻なら9:53着の小淵沢で下車し、4分接続の小海線に乗り換え。

小淵沢を発車すると、左手に南アルプス
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 天気は上々で、土曜日なので野辺山あたりまでは混んでいたように思う。列車は日本の鉄道最高地点を越えて野辺山原をゆき、千曲川の谷へと下る。信濃川上の先で渡ったその川は、まだ細い流れだった。

野辺山原の背後には八ケ岳
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馬流駅には駅ネコ(?)がいた
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稲刈りが進む
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 八千穂を過ぎると佐久平(佐久盆地)が開けはじめ、黄色く染まった田園地帯を走る。車庫のある中込からは運転本数も多くなり、乗客も増えてきた。

佐久平が開けると、浅間山が見えてきた
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 11:49着の佐久平で下車して昼食。土曜日だというのに、駅前のイオンがやけに空いていたことが印象に残っている。
 ここからは一旦乗車券の経路から外れるが、小海線で小諸を経由して上田に抜ける。小海線には中学生の時に乗ったものの、佐久平から小諸までの区間を乗り残していた。7.4キロなので、15分の乗車で12:41着。
 小諸では城址の懐古園を散策。小諸城は千曲川が浅間山麓を刻んだ地形を利用しており、城町が城よりも高いところにあるという特徴がある。
 園内には小規模な動物園があり、珍しいところでは長野県川上村の川上犬がいた。全国でも300頭ほどしかいないという。
 
懐古園の入り口は小諸城三ノ門
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石垣の遺構
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深く谷を刻んだ千曲川を見下ろす
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小型な種類である川上犬
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 小諸14:25発のしなの鉄道長野ゆきで上田に行き、少し街を歩いてから「あさま527号」で長野へ。しなの鉄道で長野へ直行する方が特急券を買うよりも少し安かったのに、どうして中途半端な途中下車をして新幹線を使ったのだろうか。

長野駅にて。E2系が3本並んだ
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 長野からは飯山線で栄村の森宮野原へ向かう。16:31発の越後川口ゆきは夕暮れの飯山盆地を抜け、暗くなりかけた18:16に森宮野原に着いた。

暮れゆく飯山盆地
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森宮野原に到着
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 この日は森集落のいつもの施設で宿泊。翌朝はクルマに乗せてもらい、9時前に稲刈りをする田んぼに向かった。場所は青倉集落の上の方だったと思うが、自信はない。

本日も快晴。見事に色づいた田んぼ
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段々になった田んぼとススキ
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赤トンボ
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 稲刈りは初めてであったが、イネの根元の部分に鎌を入れるだけなので、難しくはない。直線的に植えられなかった田植えの方が大変だった。イネを刈ると、隠れ場所がなくなったカエルが次々と飛び出してきた。

潜んでいたカエルが出てきた
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稲架かけまで終了
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 稲刈り自体は昼前に終わり、そのまま昼食に移行。メインであるコメは畔に持ってきたお釜で炊かれた。
 そのあと16時近くまで何をしてのだろうか。

釜から炊煙が立ち昇る
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秋の空
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夕方、村唯一のコンビニにて
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 帰路は森宮野原16:54発の飯山線に乗車し、十日町17:31着。接続良くほくほく線に乗り継ぎ、越後湯沢には18:22に着いた。すぐに出る各駅停車の「とき342号」は避け、30分ほど待ってから大宮までノンストップの「Maxとき344号」を利用した。僅か46分で着いてしまうから新幹線は速い。

浜名湖巡検

旅行日:平成22年11月8~10日
執筆:平成30年8月

前の記事 飯田線で伊那谷から紅葉天竜峡へ
 10時頃に東海道線の新所原駅で集合し、2泊3日の巡検がスタート。参加者は担当の教授以下、私の同級生2人と後輩4人の学生7人だったと思います。

■第一日目(11月8日)
 まずは新所原10:22発の天竜浜名湖鉄道線(天浜線)で今夜の宿泊地でもある三ケ日へ移動。この鉄道は国鉄二俣線を転換した第三セクター鉄道です。国鉄時代は一部列車が豊橋まで直通していたため、東海道線を跨ぐ立体交差が残っています。

豊橋方の立体交差の跡
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天浜線のディーゼルカー
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三ケ日駅はハンバーガーショップを併設
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 午前中は旧三ケ日町役場にあたる三ケ日地域自治センターを訪れ、地域計画課の方から三ケ日地区の概要についてのお話を伺いました。
 三ケ日といえばミカンが有名ですが、その作付面積は昭和30年の720ヘクタールから、国有林の払下げを背景に昭和50年には1,710ヘクタールへと大幅に増加し、その後は頭打ちになっているそうです。果樹園の増加は肥料・農薬、そして土砂の浜名湖への流入をもたらしています。
 ミカン以外では畜産が盛んで、特にウシは“三ケ日牛”のブランドで売り出しているそうです。

三ケ日地域自治センターにあった三ケ日ジャンクション(当時未開通)の模型
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釣橋川・日比沢川でのアユ釣り
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 昼食を挟んで、午後はJA三ケ日の販売指導課の方のお話を伺いました。ミカン農家は管内に約1,300軒あり、そのうち860人が出荷組合に所属しているそうです。三ケ日ミカンの箱に書いてある「ミカちゃんマーク」はJAでの共同選果を通したものだけが使用可能とのこと。そして、この日が今季の初選果でした。
 傾斜地のミカン畑を歩いてから宿舎の旅館に入りました。

傾斜地のミカン畑
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収穫間近の果実
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夕食はこんな感じのラインナップ
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宿泊先はあまり泊まる機会のない旅館っぽい旅館
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■第二日目(11月9日)
 二日目は小型バスをチャーターして浜名湖周辺を巡ります。きょうは並行して水質調査も行うので、朝は8:30に一旦徒歩で出掛け、三ケ日の街が面している猪鼻湖(浜名湖の内湖)の湖岸まで行きました。

三ケ日の街
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猪鼻湖
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 10時頃にバスが迎えに来て、まずは街の東側の津々崎へ。
 そして猪鼻湖をぐるりと回り込んで、浜名湖との接続部にあたる猪鼻瀬戸を見に行きました。瀬戸の幅は80メートルほどしかなく、風光明媚ではありますが、湖水の入れ替えが難しいため、猪鼻湖の水質汚染の原因になっているそうです。

入り江のような猪鼻瀬戸
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瀬戸に架かる吊り橋の瀬戸橋は昭和30年の竣工
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瀬戸橋の袂には変則表示の信号機
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 寸座峠を越え、国道382号を引佐細江(細江湖)という入江沿いに旧細江町へ。国道382号はかつての姫街道をトレースしています。姫街道は見附宿で東海道から分岐し、浜名湖の北岸を回って三遠の国境である本坂峠を越え、御油宿に到る脇往還でした。
 細江町の気賀は江戸時代に、東海道の新居関所に相当する関所が置かれた地でした。
 かつての施設は失われましたが、一連の施設が復元されています。

物々しい入り口
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復元された関所の建物
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 昼食は国民宿舎奥浜名湖のレストランにて。引佐細江を見下ろす高台にあり、眺望は上々でした。

昼食はまたソースかつ丼を食べた模様
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気賀の街と引佐細江
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三方原の向こうに浜松のアクトタワーを望む
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 午後は引佐細江を大きく回り込み、舘山寺温泉へ。東名高速が浜名湖を渡る場所が浜名湖と引佐細江の間の狭窄部で、幅は550メートルほど。また、舘山寺温泉の裏手には内浦という小さな内湖もあり、湖岸線は複雑に入り込んでいます。

浜名湖と引佐細江(東名高速の赤い橋より向こう側)
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内浦
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 舘山寺からは浜名湖と内湖の庄内湖を隔てる半島を南下。この半島は浜名湖の形を複雑なものにしていますが、周辺は干拓が進み、直線的な湖岸ばかりです。そうした場所の一つである干拓地上の浜名湖ガーデンパークに入場。「浜名湖花博2004」が開かれた場所だそうです。
 園内には展望塔があり、約50メートルの高さから浜名湖やその周辺を一望にしました。

すっきりしたデザインの展望塔
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庄内湖にははまゆう大橋が架かる
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弁天島と浜名大橋
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 最後は湖西市にある東海道の新居関所を訪問。関所建築としては往時のものが唯一現存しています。
 現存する建物は安政東海地震(嘉永7年・1854)で被害を受け、翌安政元年に改築されたものです。関所が廃止されたのは改築から14年後の明治2年(1869)のことで、おそらくまた建物が新しかったために転用がきいたのでしょう。小学校、町役場として戦後まで利用されていたそうです。

新居関所
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 第二日目の巡検を終え、弁天島温泉のホテルに入ったのは16時半過ぎ。晩秋の早い陽が沈むところでした。
 夕食はホテルのレストランで摂ったはずですが、内容は憶えていません。翌日は参加者の一人であるとよしの誕生日だったので、ちょっとした誕生会を開催。ただ、近くのコンビニにはケーキがなく、やむを得ずロールちゃんで代用されたのでした。

眺めの良い部屋から。夕陽はギリギリで撮れず
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夜の景色。カメラの性能の限界を突破
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■第三日目(11月10日)
 最終日は6時少し前に目を覚ましたので、一人で朝の散歩へ。国道1号を歩いて中浜名橋、西浜名橋を渡り、新居町駅まで。1時間ほどブラブラして、新居町7:08発の列車で弁天島まで戻りました。

アーチ橋を連続させた中浜名橋
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東海道線の旧橋台
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西浜名橋からの朝陽
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 ホテルの部屋からは浜名湖と遠州灘が繋がる今切口が良く見えます。縄文海進後、浜名湖と遠州灘は砂洲によって隔てられ、淡水湖である浜名湖の湖水は浜名川によって海に流れていました。
 ところが、明応7年(1498)の地震によって津波が発生し、砂洲を崩して浜名湖と遠州灘が繋がり、浜名湖は汽水湖となりました。「今切」という地名は「今切れた」という意味でつけられたと言われています。

ホテルの部屋から、朝の今切
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 9時にはホテルを発ち、浜名湖を埋め立てた渚園にある浜名湖体験学習施設「ウォット」を訪問。
 施設を見学した後は、施設を運営する静岡県水産技術研究所の方から浜名湖の漁業を中心にしたお話を伺いました。

浜名湖体験学習施設「ウォット」
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筒から顔を出したウナギ
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 弁天島に戻ったのち、弁天橋を渡って東の舞阪へ。
 江戸時代の東海道は舞阪宿と新居宿の間が船便で、浜名湖の今切を渡っていました。舞阪宿の西側には渡船場があり、主に幕府役人や大名が利用した北雁木(がんげ)の遺構が残っています。

渡船場の常夜灯
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舞阪漁港
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 あまり店などがないエリアだったので、住宅の1階の小さなお好み焼き屋で昼食。
 午後は舞阪郷土資料館と図書館を訪れました。

江戸時代の舞阪宿のジオラマ
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浜名バイパスをくぐり、遠州灘に面した砂浜に出た
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雲間からの陽が今切口に射し込む
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 これにて巡検は終了。15時頃に弁天島駅で解散になり、東海道線の普通列車を乗り継いで帰りました。しかし、記録が一切ないため、どのような乗り継ぎで帰ったのかはもう分かりません。横浜市内までの乗車券には横浜駅の無効印が捺されているので、珍しく横浜まで乗り通したようです。
 仮に弁天島15:27発の掛川ゆきに乗ったとすると、浜松と沼津だけで乗り継ぐだけで横浜着は19:57です。

飯田線で伊那谷から紅葉天竜峡へ

旅行日:平成22年11月7・8日
執筆:平成30年8月

 私の通っていた大学は地理系であったので、学外での巡検の授業もあった。大部分は任意の選択授業であったが、夏・冬休み以外で遠くに行かれる貴重な機会であり、期間中の授業は公欠扱いになるので、私は好んで選択していた。

 3年生だったこの年の11月には静岡県の浜名湖周辺に行くことになった。
 11月8日の月曜日に東海道線の新所原駅集合ということであったので、前日は紅葉を見がてら未乗の飯田線に乗ることにした。乗車券は「海老名→横浜市内」を「相模・横浜線・中央東・川岸・飯田線・東海道」経由で用意、学割で7,640円であった。横浜から新所原往復は学割で6,900円なので、大差はないという計算だったようだ。

※このテの古い旅行記は「あたかもその時に書いたかのような文章」で執筆してきましたが、さすがに8年も経つと記憶が曖昧な部分も多くなってきました。なので、今回からは回想で書いていきます。


 11月7日日曜日、八王子7:29発の特急「スーパーあずさ1号」で出発。八ケ岳あたりの紅葉がきれいだったようで、定番の新立場川橋梁で1枚写しています。

旧線の立場川橋梁と八ケ岳
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 9:14着の上諏訪で下車し、5分の接続で飯田線直通の豊橋ゆきに乗り換え。この列車は上諏訪から豊橋までを6時間35分もかけて走ります。列車は導入されたばかりの新型車輛でした。

上諏訪から豊橋まで走る長距離列車
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 岡谷までは中央線、辰野までは中央線の旧線を走り、ここから飯田線に入ります。
 よく言われるように、もともと地方の電気鉄道だった飯田線は駅がこまめに設けられており、ちょこちょこ停車します。辰野の次の宮木まで1.1キロ、次の伊那新町まで1.2キロ、その次の羽場まで1.8キロ…といった具合です。

 私は同じ列車に乗り通す気はなく、11時前に駒ケ根で下車。細かい時刻を書けないのは、当時使っていた小型時刻表の飯田線のページが抄録であるため、着時刻がはっきりしないためです。

駒ケ根では名物ソースかつ丼の昼食
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 早目の昼食を済ませ、駒ケ根12:08発の天竜峡ゆきに乗ります。今度は国鉄時代に造られた旧型電車にあたりました。
 駒ケ根より南は天竜川の河岸段丘が顕著になり、そこに流れ込む深い谷をいくつも渡ります。伊那谷では田切地形といいますが、こうした谷を渡る際には線路が大きくカーブして橋梁の高さと長さを抑えています。この線形は飯田線の特徴の一つです。
 この日は晴れていて、段丘上では中央アルプスの山々がよく見えていました。伊那谷は初めてだったので、この時は木曽駒ケ岳くらいしか名前を知りませんでした。

駒ケ根からの電車
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田切・飯島間?中央アルプスを望む
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飯島駅にて。後ろは陣馬形山
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七久保・高遠原間?
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 下伊那は市田柿の産地。家々では干し柿作りが行われていました。
 飯田を過ぎ、終着の天竜峡には13:53着。

車窓からも干し柿作りが見られた
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天竜峡駅で下車
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 この辺りが伊那谷の南端部で、天竜川は峡谷に入っていきます。その入り口にあたるのが天竜峡で、駅を拠点に手軽な散策ができます。
 次の列車まで1時間強の持ち時間があり、姑射橋と吊り橋のつつじ橋で峡谷を渡りつつ、一周の散策。

紅葉にはまだ少し早い林
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つつじ橋より上流方向
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逆光に赤・黄の葉が際立つ
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龍角峰と呼ばれる景勝地の展望台から
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上流方向に開け始める伊那谷と姑射橋
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 駅に戻り、15:08発の豊橋ゆきに乗車。天竜峡から大嵐にかけては飯田線のハイライトで、ひたすら天竜川の峡谷を走ります。水力発電用のダムがいくつも設けられているため、淀みと減水区間が交互に現れ、流れの激しさはありません。もっとも、この区間(三河川合~天竜峡)は電力会社が出資した三信鉄道による開通なので、天竜川の激しい流れとそれを車窓に眺めることはトレードオフの関係にあるともいえます。
 人家の少ない地でありながら駅の数は多く、列車は一つ一つ丹念に停まっていきます。小さな河内川を渡ると長野県は終わりで、静岡県浜松市に入ります。

為栗駅附近。天竜川の平岡ダムによる堆砂が著しい
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中井侍駅附近。こんな急斜面でも茶やミカンが栽培されている
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秘境駅として特に著名な小和田駅
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 大嵐から佐久間にかけては佐久間ダム建設にともなって昭和30年にルート変更が行われました。天竜川沿いの線路を放棄して東の水窪川の谷を借りるため、2つの長いトンネルをくぐります。
 佐久間の先では佐久間発電所からの放水路を渡り、眼下の水流に圧倒されました。

 東栄から愛知県に入るころには16時半を回り、秋の夕暮れ。

早瀬駅?
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 湯谷温泉附近の鳳来峡までは車窓が見えていた記憶がありますが、暗くなってきました。17:58着の豊川で下車し、一泊。

 翌朝は豊川稲荷に参詣してから飯田線で豊橋に出て、東海道線で新所原に向かいました。新所原駅まで写真がなく、メモも取っていないのですが、到着時刻から逆算すると、豊川9:30発→豊橋9:44着、9:49発→新所原9:59着と推定されます。本数の多い飯田線はもう少し前の列車かもしれません。

次の記事 浜名湖巡検

Appendix

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さがみぃ

Author:さがみぃ
相州生まれの相州育ちです。
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